第二十章 審判長の降臨と、決戦の幕開け
ゴロゴロゴロ――!
最後の夕日が完全に闇へと飲み込まれた瞬間。
雲中坊市の上空を覆っていた墨藍色の暗雲が、巨大な裂け目を生んだ。
そこから現れたのは、華やかな法宝の光でもなければ、耳をつんざく雷鳴でもなかった。
ただ――
息が詰まるほどの、ほとんど絶対的な静寂だった。
高空に浮かぶ雲中坊市全体が、見えない巨大な手によって押さえつけられているかのように、完全に動きを止める。
街の至るところを長年流れていた霊気の流れさえ、一瞬にして凝固した。
雲の彼方。
無数の純粋な金色のコードと、冷たい因果の線が複雑に絡み合う。
その巨大な影が、ゆっくりと虚空を引き裂きながら姿を現した。
そして――
第七街区を見下ろす。
至高編劇会本部・最高審判長。
――降臨。
「……あれが、審判長なのか?」
路地の奥。
廃墟の陰から、雷恩は空を見上げていた。
そこに浮かぶ巨大な虚影は、まるで神そのものだった。
雷恩は歯を食いしばる。
機械義肢の内部では、歯車が高次元の圧力に耐えきれず、耳障りな悲鳴を上げていた。
冷たい汗が、一瞬で背中を濡らす。
生命そのものの階層が違う。
あまりにも絶対的な圧力だった。
反抗するという考えさえ、贅沢に思えるほどに。
隣では、墨清が断剣を握る手を微かに震わせていた。
その顔は、紙のように青ざめている。
「終わった……」
「本部最高位の権限による圧制を受けたら、私たちどころか――」
「この坊市全体を支えている因果の基盤さえ、一瞬で完全にフォーマットされる……」
だが。
二人の前に立っている林野だけは――
まるで何事もないかのように立っていた。
林野は、食べ終えた麺の丼を後ろにいた唖叔へ何気なく手渡す。
それから、手についた油をパンパンと払った。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
その目には、埃と硝煙がこびりついている。
恐怖はない。
そこにあるのはただ――
日常の営業を無理やり邪魔されたことに対する、極端な不機嫌さだった。
「審判長だか何だか知らないけどよ……」
林野は唇を尖らせる。
そして、背後へ手を回した。
古びた無刃聖剣を抜き放つ。
その瞬間。
地下密室のさらに奥。
歯車羅盤が――
轟ッ!
耳をつんざくような轟音を響かせた。
浮世書斎の崩れかけた木壁から、無数の金色の文字が一斉に浮かび上がる。
それらは瞬く間に実体を持った鎖へと変わり――
天へ向かって伸びていく。
そして。
上空から押し寄せていた恐るべき高次元の圧力を、真正面から受け止めた。
「夜中に人の家の前まで来て、勝手に神様ごっこを始めるなよ」
林野は無刃聖剣を構える。
「しかも、挨拶の一つもなしか?」
「坊市のルールくらい、少しは覚えてきたらどうだ?」
その声は決して大きくなかった。
だが、足元にある歯車羅盤との共鳴によって、その声は明瞭に増幅され――
雲中坊市全体の上空へと響き渡った。
空に浮かぶ巨大な虚影が、ほんのわずかに停止する。
次の瞬間。
冷たく、威厳に満ちた声が――
いや。
無数の声が幾重にも重なったような巨大な意志が、すべての人間の脳内へ直接叩き込まれた。
『規則違反の物語体』
『底層異物を発生させ、究極リセットに抗う』
『本日――裁決・抹消する』
その冷たい宣告が落ちた瞬間。
天空に浮かぶ巨大な墨藍色の歯車羅盤が――
轟然と回転を始めた。
その中心から、無数の光が一斉に放たれる。
一万。
二万。
五万――
そして。
十万。
破壊の力を帯びた十万本もの審判光線が、まるで滝のように、いや――
大雨そのもののように。
第七街区へ向かって一斉に降り注いだ。
「――お客さんだ!」
林野が大笑いした。
そして両足で、地面を強く踏み込む。
ドンッ!!
次の瞬間。
林野の身体が金色の光へと変わった。
一輪の太陽。
いや――
天へ逆流する烈日となって。
破滅の雨へ向かって、真正面から突っ込んでいった。




