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重ねの魔女  作者: 焼魚圭
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7 虚しさ

 本康は身体を起こし、思い返しては未だに信じられない過去を呼び起こす。お経を読み上げていた男の声は身体にこびりついていて線香の匂いを今も頭が描いている。世界の時間と平行線を描きながら進む昨日。本康の身体は未だ昨日に取り残されたままだった。

「どうして死んでしまったんだ」

 彼と過ごした日々を思い出しては積もっている虚しさを空気とともに吐き出すもいなくなってはくれない。常に付き纏う寂しさとなってしまうのだろうか。彼の中に残されたのは欠け落ちてしまった心。朽ち果てるのも時間の問題だろうか。式場に入る際にも彼の姿を見てしまう程には参っているのだろう。きっとあれは幻。本康が生んでしまった苦しみの形。

 元気を失った本康の姿を見て久利は果たしてどのような想いを抱くだろう。少なくとも無は有り得ない。嫌な予感と暗い想像を這わせ続けていた彼の元に久利は現れた。静寂を保ったまま視線を向けて大きなため息を一度ついて冷たい睨みを投げつけた。

「葬式は終わったんだろ、そんな無駄をするから悲しみなんか残るんだ、感情なんかに甘えず働け」

 業務の開始は遠くありながらも仕事を始める久利の動きは今までと何一つ変わりなく、目の前にいるのが本当に人間と呼ばれる生物か、同じ種族なのかと疑ってしまう。今のやり取りを見ていたのだろう。一人の男が本康へと歩み寄って静かに引っ張り口を開いた。

「昨日の葬式って友だちなんだろう」

「中学の時からの大切な友人だった」

 口にすることでますます思い出は溢れかえり、帰ってこない彼の存在はますます大きくなって本康の魂に重みを加えてしまう。酒を交わすこともふざけ合うことも出来なくなってしまったのだと飲んだくれの友人とともに悲しみを味わい続けていたものだった。

「あいつ、あまりにも冷たすぎないか、人として大切なものを失ってる」

「いいんだ。争いは苦しいからもうやめて欲しい」

 本康にとってどれほど大きな存在だったのか、大切な人がいなくなるということがどのような事か、上司は頭を巡らせ共に休むこととしたようだった。ドリップパックを開いてコーヒーを淹れ、本康に差し出す。軽く口に含んで顔を歪める本康は日頃の反応とあまりにも違いすぎる。不安が大きくなったのだろう、上司は本康を見つめたまま告げる。

「無理するなよ」

「コーヒー、苦いです」

 覇気のない言葉は彼の中でどのように生まれたのか本人にすら分からない状況。彼に一輪の困り顔が咲いた。いつもであれば砂糖とミルクは必需品だという彼がただ顔を歪めるだけという状態は日頃はそれほど気にかけていなかった上司の目からしても異様なことは明らか。

「今日は砂糖とミルク入れないんだな。嫌いなものを飲みたい気分なのか」

「勘弁を」

 冷静ではいられないと言うだけの事で発生するうっかり。そのようなミスを連続で発生させる恐れがある以上は仕事を任せることなど出来ない、そんな判断を下さざるを得なかったそう。

「お前一旦帰って休養取ったが良くないか、そうしろそうしろ。会社員じゃ中々出来ないことだ」

「そうさせていただきます、ありがとうございます」

 上司は視線を下げて渋い顔をする。本康はただ己の反応が誤りだったのではないだろうかと疑いのきりに包まれ始め、すぐさま表情に出てしまったのだろう。上司は無理やり微笑み言葉を繋げる。

「いつもなら待ってくださいよとか反抗しそうだがな。やっぱり重症だろ」

 言われて気が付いたそれがますます本康の心を蝕んでしまう。陰の想いが噛みついて離さない今、仕事に手を付けようなどと努力したところで空回りをしてしまいそう。鞄を開き道具を仕舞う際にも様々な指摘が飛んできてこのままでは日常生活を送るだけで人々のストレスの温床になってしまうと更に余裕を失って。準備を済ませた頃には指摘の数が点にまで届きそうなまでに積み重ねられていた。

 力なく歩いていく中で人々の幸せを描いた笑い声が響き渡っている。本康にとってはそれらの一つ一つが己との温度差を強調してしまう音となって。やがて溜め息がこぼれ落ちる。風に飛ばされそうなほど軽く感じられる音は実際のところ本康の傍を離れられないほどの重みを持っている。何もかもが灰色で全てを失ったようにすら思えてしまう。歩き続けることで人の数は減り、落ち着いた空気が手元に寄ってきたところで脳裏を通りすがる思い出たちにその目は苦しみの曲線を描き始める。恐らくこれまで築き上げてきた友好関係の数々も人生の通りすがりに過ぎないのだろう。しかしながらその通りすがりが本康にとってどれ程大きく大切なものだったのか。ひしひしと感じさせられてはもう一度溜め息を零す。

「なんで死んじゃったんだよ」

 これからも何年も十何年も何十年も生きて時たま数人で酒を交わし合う未来を思い描いていたものの決して叶わない話へと変わり果ててしまった。幸せのキャンバスからごっそりと抜け落ちてしまった色を埋めることの出来る代わりの色を探す事など出来そうにもなく、普通の生活に戻るまで途方もない距離を感じてしまう。歩き続けてみるもののこの足では永遠にたどり着くことが出来ないようにすら思えてしまう。

 公園のベンチを見付けて絶望の淵に座る気分で己の深淵を見つめていたその時のことだった。目の前に一人の男の姿が見られ驚きに満ち溢れる。

「本康、やっぱりそうだよな、昨日のあれは幻じゃなかったんだ」

 そこに立っているのはいつも見かける顔。しかしながらその表情や言葉の調子は近頃の彼とはかけ離れすぎていて耳や目を疑ってしまう。遂に過去のものを引っ張り出して幻覚を描いてしまうまでに精神が参ってしまったのだろうか。

「確かに昨日の葬式は苦しかった。友だちが死んでしまうなんて」

 何度も見つめ、彼の言葉を反芻して。確かに目の前にいる彼は現実のものだろう。しかしながら今は仕事中ではないだろうか。久利に兄弟などいないはず。それ以前にこれほど親しい時点で本人で間違いない。本康にとっては本来の彼だったはずが何故だか遠い存在に感じられて仕方がなかった。

「一つおかしい事があるんだけどさ、聞いてくれよ。俺がいないはずの時間にいないはずの場所で見たって噂が絶えないんだ」

 どこで見られたのか、その日はどこにいたのか。丁寧に説明をしていく久利の顔はいつも見ているはずの久利よりも本物に思えてくる。久利が悩んでいるという事については本康にも覚えがあった。

「カフェにいたのはそっちの方の久利なのか」

「カフェ。魔女について調べてた時の事だな」

 まるで久利が二人いるような扱い。しかしながらそうでなければ説明の付かない事がいくつもある。本康が知る今の久利は決してカフェなどには寄ろうとしない。恐らく生きるために必要な買い物だけを済ませて帰るだけ。人として乱れている彼は見るに堪えない痛々しさを纏っていたものの友人だと思って生きてきた。しかしながら今ではあの久利が偽物だったのではないだろうかとさえ思えてくる。それ程までの変わりようだった。

「良かった、ここにいたんだな。こっちが本物の久利だったんだ」

 心の空模様が闇に塗れている中で一縷の希望を手に入れた心地だったものの、目の前の久利が返した現実離れした言葉には驚きを隠せない。

「多分どっちも本物。俺は笠音の魔法に囚われてるんだ」

 笠音とは誰だろう。森の管理人だった魔女の家に肝試しのために訪れた事を思い出しながら寒気を帯びてしまう。もしかすると狂っている今の全てが本康の所為であるかも知れないということ、あの軽はずみな行動が過去にまで染み出していつもの久利を変えてしまったような気がして止まなかった。

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