第88話 ハラヘリヘリハラ
体術訓練の日。受け身を覚えられない男が一人いた。
騎士団 屋内訓練場
木床の広い訓練場に団員達が整列していた。
今日は剣ではなく体術訓練の日だった。
団員達の前でキドが腕を組む。
「本日は、組み技訓練を行う」
訓練場に小さなざわめきが走った。
「敵が武器を持っていても、自分が丸腰の時もある。例え勝利できずとも切り抜ける事はできるようにな」
団員達が頷く中、列の端ではロエルが腕を組み、興味深そうに眺めていた。
一人が声を掛ける。
「ロエル様、ご経験あります?」
ロエルは軽く笑った。
「いやー、さすがにないなぁ」
あちこちから小さな笑いが漏れる。
キドが手を上げた。
「下級騎士、また未経験者はまずは俺が投げる。受け身を取れるように」
団員達が一歩前に出る。
「落ちる時は腕で床を叩け。頭を守れ」
訓練が始まった。
キドは順に下級騎士、未経験者を投げていく。
ドン
パン
乾いた音が訓練場に響く。
「いてぇ」
「ギャッ」
体格が大きくとも、体重があろうとも、キドは涼しい顔で流れ作業のように投げていく。
「団長、もっと優しく」
「敵は優しくしてくれないぞ」
肩を竦めるキドに、団員達は不満顔を向ける。
その横でロエルが投げられた。
ドン
背中から床へ落ちる。
「……え?」
団員達がざわついた。
「なんで受け身を取らないんですか?」
ロエルは床に転がったまま笑った。
「いや、どんな感じかなーと思って」
起き上がりながら肩を回す。
「あはは。面白いな、これ」
キドは思わず声を上げた。
「訓練ですよ! 次はお願いしますよ!」
ロエルは楽しそうに頷いた。
しかし。
ドン
また受け身を取らない。
団員達は顔を見合わせた。
その後も訓練は続き、徐々に受け身を取れる者が増えていく。
「よし、もういいぞ」
キドが声を掛けた者は訓練を外れていった。
最後まで出来ずに残ったのは、ロエルだけだった。
「何でですか!! 何で出来ないんですか?!」
キドが叫ぶ。
ロエルが小首を傾げる。
「んー……わかんない」
キドは腕を組み、少し考える。
そして、ゆっくりロエルへ近づき、迷いながら手を伸ばした。
指先が、ロエルの髪に触れる。
ロエルの笑みが、ふっと消えた。
目の奥に、冷たい鋭さが宿った。
次の瞬間。
ロエルはキドの手を避け、そのまま足首を払う。
キドが前のめりになる。
ロエルはそのままキドの後頭部を掴み、床に叩きつけた。
ドンッ
訓練場が沈黙に包まれる。
団員達が呆然とする。
「……あれ? 何で受け身取らないんだ?」
ロエルは不思議そうに首を傾げた。
キドは顔を床に付けながらロエルを睨む。
ロエルは口元を緩めた。
「キドも受け身苦手なんじゃないか」
「あー、だから俺が出来るようにならないんだな」
ロエルが考えるそぶりをする。
キドはゆっくり立ち上がった。
その額には血が滲んでいる。
「あっ、ごめん。切れちゃった?」
ロエルは屈託なく笑った。
「でも、ちょっとだし大丈夫だろ?」
その言葉でキドがロエルに掴みかかる。
「団長! 抑えて!」
団員が止めようと手を伸ばすも、その手を払う。
「邪魔だ!」
「あ、次進んで良いの?」
ロエルの目が輝く。
キドがロエルの胸元を掴み投げる。
ロエルは空中で身体を傾け、足が床につくなりキドへ踏み込んだ。
今度はキドの足を払う。
キドは後ろ向きに倒れる寸前で手をつき、体勢を立て直す。
二人の組み手は終わらなかった。
「負けてください!」
「え? 何で? 訓練だろ?」
必死なキドと楽しそうに笑うロエル。
「……あの二人は完全にやられる事がないから受け身に馴染みがないんだな」
「受け身取る前に切り替えしてますしね」
団員達は休憩しながらその様子を眺めていた。
「団長、俺も休憩したい」
「だったら早くやられて下さい」
「やられても良いけど、俺受け身取れないよ?」
「何でですか?! 出来るまでやりますよ!」
「キドも出来ないじゃん」
「俺は出来ますよ!」
団長達が訓練を終え、食事を済ませてもまだ続いていた。
やがてロエルが床に転がる。
「早く立って下さい!」
「もう負けたからいいだろー?」
「ダメです!」
ロエルは天井を見ながら言った。
「腹減ったー」
「立てと言っているでしょう!!」
キドの怒鳴り声が訓練場に響いた。
ロエルは床に転がったまま、のんびりと言う。
「昼飯の時間だろ?」
キドのこめかみに青筋が浮かんだ。
「まだ訓練中です!!」
ロエルは片手をひらひらさせた。
「じゃあ昼飯食ってから続きやろう」
「やりません!」
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