第82話 夕食は、代わりに食べておこうか?
皇女殿下の一言で始まった鬼ごっこ。
気付けば、公爵・騎士団長・元侯爵家嫡男が日没まで本気で走り回る事態になっていました。
太陽が雲に隠れ、庭園の空気が少し和らいだ午後だった。
集まっていた面々の前で、ラミアがふと口を開く。
「皆様で、遊びませんか?」
胸の前で手を合わせ、小首を傾げる。
その仕草があまりに愛らしく、周囲の男達の頬が一斉に緩んだ。
皇太子が微笑む。
「いいよ。何をしたいのかな」
ラミアは少し考え、それから言った。
「私、鬼ごっこをしたことがないのですが……皆様と出来たら嬉しいです」
一瞬、空気が止まった。
だがすぐにロエルが笑う。
「そうだね。やってみようか」
「嬉しいです」
ラミアはぱっと顔を明るくした。
その笑顔を見てしまえば、もう誰も反対など出来なかった。
⸻
鬼ごっこ開始前。
庭園の端で、ルードが真剣な顔で言った。
「いいか? ラミアを捕まえるなよ?」
「当然です。殿下は歩いても捕まえられそうですし」
キドがあっさり答える。
「おい! それは不敬だぞ!」
皇太子がくすりと笑った。
「ラミアが鬼の場合はどうしようか?」
「とりあえず俺が先に捕まります」
ロエルが軽く言う。
ルードがじっとロエルを見る。
「お前はそれでラミアと一緒に鬼をやろうと言って手を繋ぎ、そのまま庭園を散歩して離脱するつもりだろう」
ロエルは視線を逸らした。
「図星ですね」
キドが呆れた声を出す。
皇太子が楽しそうに笑う。
「飽きないな、君達といるのは」
その時。
「お待たせいたしました」
ラミアが戻ってきた。
「女官の方にお聞きしたのですが、最後まで残った方の願いを叶えると楽しくなるそうです」
ルードとキドが静かに顔を見合わせた。
二人の脳裏には同じ言葉が浮かぶ。
(皇太子殿下に帰っていただく)
だが。
「私が鬼、か」
皇太子だった。
二人は固まった。
(どうします?)
(本気で逃げる訳にはいかないだろう)
こうして――
忖度鬼ごっこが始まった。
⸻
ラミアとロエルは皇太子から離れた。
だが――
キドとルードはその場から動かない。
皇太子が不思議そうに首を傾げる。
「逃げないのかな?」
キドが胸を張る。
「騎士たる者、皇太子殿下を背にして逃げる訳には参りません!」
皇太子が穏やかに言う。
「……カードの時は、私を負かして随分喜んでいなかったかな?」
「カード……ですから」
キドは顔を逸らした。
「お前は一体何をしているんだ!」
ルードの説教が始まった。
皇太子はしばらくその様子を眺めていたが、やがて静かに方向を変えた。
ラミアを追うことにした。
⸻
「皆様、お話されてますね」
ラミアが振り返る。
「そうだね。何をしてるんだろうな」
ロエルも笑った。
「あ、お兄様が来られました」
皇太子が近づいてくる。
ラミアは一生懸命走る。
だが遅い。
本人は全力のつもりだが、歩くのと大差がなかった。
「ラミア、走ると危ないよ」
皇太子が優しく声をかける。
その時だった。
ラミアの足が石につまずく。
「ラミア、危ない」
皇太子が駆け寄り、後ろから支える。
「転ばなくて良かった」
安堵の息。
しかし。
ラミアはにこりと笑った。
「捕まってしまいましたね」
皇太子は笑顔のまま固まった。
「次は私が鬼ですね」
⸻
「俺が捕まります」
ロエルが言った。
皇太子が小さく笑う。
「すまないね」
「怪我させたくないだけです」
ラミアがロエルを見つける。
「ロエル様、捕まえてしまいますよ?」
ロエルは笑った。
「ラミアなら、捕まってもいいかな」
「ロエル様、逃げてくださいね」
「はいはい」
ロエルは軽く離れる。
だがラミアはゆっくり追いかけてくる。
(……遅いな)
ふと顔を上げる。
少し離れた所で、皇太子が優雅に微笑んでいた。
(困ったな……)
ロエルは頭を押さえた。
⸻
なんとか鬼はロエルへ交代した。
「頑張ってくださいね」
ラミアが嬉しそうに言う。
ロエルは笑った。
「ありがとう」
そして。
鬼ごっこが始まってから初めて、本気で走った。
⸻
ロエルはルードとキドの前に立つ。
「で、どっちから行く?」
「残ってるのは俺とキドだけだ」
ルードが腕を組む。
キドも笑う。
「これで皇太子殿下にお帰りいただけますね」
ロエルが言った。
「あのさ」
二人を見る。
「皇太子に帰れ、って言うんだろ?」
二人が固まる。
ロエルがにやりと笑う。
「それ、どっちが言うんだ?」
沈黙。
次の瞬間。
キドが全力で走り出した。
「ずるいぞ!」
ルードも走る。
こうして本気の鬼ごっこが始まった。
⸻
少し離れた場所。
ラミアと皇太子がその様子を眺めていた。
「楽しそうですね」
「そうだね」
皇太子が微笑む。
「私達は茶でも飲んで待っていようか」
「はい」
二人はそのまま城へ戻っていった。
⸻
庭園では、まだ鬼ごっこが続いていた。
「お前らいい加減諦めろよ!」
ロエルは息が上がっている。
「俺はまだ走れますよ!」
キドも汗だく。
「俺も余裕だ!」
ルードは太い枝を杖にしていた。
鬼ごっこは、いつの間にか形を変えていた。
日が傾き、庭園の影が長く伸びる頃には、もはや追いかけっこではなく――
その頃。
城の中では――
皇太子とラミアが静かに茶を飲んでいた。
そして庭園では。
かくれんぼになっていた。
庭園のあちこちから、息の荒い声が飛ぶ。
「暗くて見えねーよ!」
「訓練が足りないんですよ!」
「まだ捕まらんぞ!」
鬼ごっこは、終わる気配がなかった。
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