第80話 軽く、だったね
穏やかな遊びから一転――その剣、本気ですか?
皇女殿下 私室
柔らかな午後の光が、窓辺から静かに差し込んでいた。
丸いテーブルを囲み、ラミアとロエル、そして数人の女官達がカードを手にしている。
その輪の中には――何故かキドの姿もあった。
さらに、その場には皇太子まで腰を下ろしている。
皇女の私室とは思えないほど、そこは妙に賑やかだった。
カードが配られると、静かな駆け引きが始まる。
互いの表情を読み合いながら、札が一枚ずつテーブルへ置かれていく。
その中で、ひときわ大きな声が上がった。
「やった! また俺だ!」
キドが片手を高く掲げ、嬉しそうに勝利を宣言する。
「ふふ、キド様。随分お気に召されたようですね」
ラミアがくすりと笑う。
「はしゃぎ過ぎだろ」
ロエルが呆れた声で言った。
皇太子はその様子を、穏やかな笑みを浮かべながら静かに眺めている。
やがて数度の勝負が終わり、テーブルの上のカードが片付けられた。
その時、皇太子がゆっくりと椅子から立ち上がる。
「さて――そろそろ身体を動かしたい。付き合ってくれるかな?」
「え……」
先ほどまで喜びで赤くなっていたキドの頬から、すっと血の気が引いた。
「軽く打ち合えれば、それで構わないよ」
「……はい」
キドはぎこちなく頷く。
「行ってらっしゃい。私は、まもなくユアン様がいらっしゃる頃ですので、こちらで」
ラミアが笑顔で見送った。
⸻
騎士団 演舞場
演舞場の空気は、妙に張り詰めていた。
集まっていた騎士達は、揃って顔色を悪くしている。
(皇太子殿下が怪我をされたらどうなる)
(第二皇子殿下のように、勝手に怪我をされそうな方には見えない……)
誰もが同じ不安を抱いていた。
皇太子は軽く周囲を見渡す。
「誰か、相手をしてくれるかな?」
その穏やかな問いに、場の空気がさらに固まる。
「ル、ルード様を呼んで参ります!」
キドは即座にその場を離れようとした。
「いや」
皇太子は軽く首を振る。
「ルードとは幼い頃から幾度も対峙している。今日は別の相手にしておこう」
キドはゆっくり振り返り、騎士達を見渡した。
「お前達、光栄なことだ。誰か前へ出ろ!」
騎士達は一斉に顔を背けた。
(早くしろ、誰でもいい!)
(だったら団長がやればいいじゃないですか!!)
(俺の胃が弱いのはお前達も知ってるだろう!)
(胃を理由に逃げないでください!)
キドと騎士達は、目だけで激しい会話を交わしていた。
その無言の攻防を、ロエルは冷めた目で眺めている。
やがて、小さく肩をすくめた。
「……俺で良ければ」
ロエルが前へ出る。
「そうか。では頼む」
皇太子は穏やかに頷いた。
二人は演舞場の中央へ進み、木剣を手に取る。
キドと騎士達が固唾を呑んで見守る中、剣が交わった。
乾いた音が、静かな演舞場に響く。
「ロエル様! 皇太子殿下相手におかしなことしないでくださいよ!」
キドは祈るような声で叫ぶ。
「だから団長がやれば良かったんですよ」
団員がぼそりと呟いた。
キドは振り返る。
「いいか、俺はな。騎士の家系に生まれた。生まれながらの騎士だ」
胸を張る。
「皇族を守ることはあれど、刃を向けることはない」
「さっき胃のせいにしてましたよね」
「胃は大事だろ!」
木剣がぶつかり合い、乾いた音が響く。
互いに間合いを探りながら、打ち込み、受け流す。
規則正しい音が、途切れることなく続いていた。
「久々だからね。この程度がちょうどいい」
皇太子は微笑みながら言う。
「疲れなくて丁度いいですね」
ロエルも口元に笑みを浮かべる。
それを見て、キドは胸を撫で下ろした。
「あれくらいなら……大丈夫だな」
胃を押さえていた手を離す。
騎士達も、ようやく息をついた。
――その時だった。
皇太子が木剣を軽く振る。
「さて」
その声に、嫌な予感が走る。
「終わる前に、少し本気を出そうか」
「えぇ?!」
キドの悲鳴が響いた。
「軽くって言ったじゃないですか!!」
「団長! 聞こえてますよ!」
団員が慌てて止める。
皇太子はゆっくり視線を向けた。
「次は君が相手してくれるのかな?」
優雅な笑みだった。
キドは胸の前で手を合わせ、首を激しく振る。
「滅相もありません」
「そう」
皇太子はあっさり言った。
「じゃあ、次回だね」
キドは真っ青になった。
「……緩急が凄いなぁ。胃に悪い」
風が、静かな演舞場を抜けていった。
「……軽くって何だっけ」
お読みいただきありがとうございます。




