第76話 退屈もまた、贅沢だ
公爵家、皇太子対策会議。
普段は人も通らぬ廊下のさらに奥。
今は使われていない物置のような小部屋。
窓は小さく、机も椅子も数が足りず、全員が妙に肩を寄せ合う形になっていた。
そこで行われていたのは――
皇太子殿下対策会議だった。
集められたのは、ルード、キド、女官長、家令、そして精鋭騎士数名。
公爵家の中枢が、なぜか隠れるように集まっている。
声は全員、無意識に小さい。
「……皇太子が何日滞在するかわからない状況だ。備えは出来ているか?」
ルードが低く問う。
すぐに女官長が口を開いた。
「既に女官達は皇太子殿下付きになる事を拒否しておりますが、順に回す事で決着を付けました」
家令が続く。
「調度品の被害報告は現在まとめておりますが……
壊される前提で配置を見直しております」
精鋭騎士の一人が、姿勢を正して報告する。
「騎士団は万が一に備え武器の管理を徹底。
皇太子殿下滞在期間中は、武器庫の施錠確認、ならびに皇太子殿下周辺に上級騎士を常駐させます」
キドが首を傾げた。
「……第二皇子殿下は既にお帰りいただきましたし、そこまで気にする事ですか?」
数名が、ゆっくりとキドを見た。
ルードが話し始める。
「キド。確かに皇太子は一人でいれば大人しい。
だが――また第二皇子が来ないとは限らないだろう」
「流石にもう来ないのでは?」
「皇室騎士団はどうだった?」
ルードが視線を向ける。
「第二皇子は、ちゃんと団長をしていたか?」
キドの表情が止まった。
「……いえ」
一拍。
「自由行動してました」
室内の空気が重くなる。
「この際、万が一第二皇子が来たら騎士団が相手をするしかない」
「え」
「屋敷を壊されるよりマシだ」
「……」
「……」
キドと精鋭騎士達が黙り込んだ。
現実的すぎて、誰も反論できない。
女官長が静かに尋ねる。
「皇太子殿下の対応は、どなたが?」
一瞬の沈黙。
そこでキドが、ふっと口元を歪めた。
「……この際、ロエル様に押し付けるのはいかがですか?」
数人が顔を上げる。
「お互い気が合うようですし」
悪い顔だった。
ルードも同じ顔になる。
「キド、お前……なかなか悪い奴だな」
「ですがロエル様は自由人です」
家令が現実的な指摘をする。
「頼んで動く方ではないのでは?」
ルードが腕を組み、しばらく考える。
「……屋敷内外の警備に任命するか」
「は?」
「勝手にサボって皇太子と茶でもしてくれれば、それでいい」
「……なるほど」
妙に納得が広がった。
ルードが机を軽く叩く。
「では議題変更だ」
全員の視線が集まる。
「ロエルを都合良く動かす方法について」
「挙手を頼む」
次の瞬間、全員が同時に手を挙げた。
⸻
その結果。
ロエルは本人の知らぬところで、
皇太子殿下対応係に任命された。
訓練場
「明日から訓練は早朝に行う!暗いうちから行うぞ!」
キドの号令が響く。
「えぇー!?」
団員達の悲鳴。
「うるさい!休憩時間が増えると思えば良いだろう!」
「何故ですか!」
「これから暑くなる。その方が合理的だ」
キドは真顔だ。
(絶対それだけじゃない)
空気がそう言っている。
ロエルは黙って聞いていた。
⸻
皇女殿下私室前
扉が静かにノックされる。
中から女官が出てきた。
「! ……ロエル様」
「ラミアは?」
「ルード様がお連れになって……」
「どこに?」
「……敷地内のどこかに……」
「……そうか」
ほんの少し、残念そうに息を吐く。
庭園
人影もなく、ただベンチが置かれた静かな一角。
そこに並んで座る二人。
皇太子とロエル。
ロエルは左足首を右膝に乗せ、
そのまま頬杖をついている。
皇太子は口元に笑みをたたえたまま、何も言わない。
沈黙。
風が葉を揺らす。
ロエルが空を見たまま呟く。
「……暇じゃないですか?」
本気で暇そうだった。
皇太子がわずかに笑う。
「静穏というのは、存外退屈なものだな」
「何かします?」
皇太子は背もたれに軽く体を預けた。
「さて、君の希望を聞こうか」
「いや、別に」
「では――」
皇太子が小さく肩をすくめる。
「しばし無為を楽しむとしようか」
その瞬間。
植え込みの陰に潜んでいた上級騎士達が、
無言で拳を握った。
(成功だ……!)
(動かない……!)
(破壊しない……!)
その頃――報告会
狭い小部屋。
「休憩時間を確保させ」
「ラミアを隠し」
「皇太子と過ごす選択肢のみを残す」
「ついに我々は勝利を手に入れた」
ルードが深く頷く。
女官長も家令も、満足そうだ。
キドが静かに頷く。
「これで屋敷は守られます」
誰かが小さく杯を掲げた。
公爵家中枢達は、静かに祝杯を上げた。
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