第70話 After the Roar
昨日の一言が、
騎士団の空気を変えた。
翌朝。
訓練場には、すでに何人かの騎士が集まっていた。
準備はしている。
声も出している。
だが――妙に静かだった。
「……」
誰も、キドの方を見ない。
武具の点検。縄の確認。水筒の補充。
やることは普段と同じなのに、会話が続かない。
視線が合いそうになると、
すっと逸れる。
(……あれ?)
キドは一歩踏み出す。
「あの――」
声をかけた瞬間、近くにいた皇室騎士が
「はっ!」
反射のように背筋を伸ばした。
必要以上に直立不動だった。
「…………」
それ以上、会話が続かない。
昨日までなら、
質問が飛んできた。
軽口もあった。
訓練の確認も自然に寄ってきた。
今日は――誰も近づいてこない。
(……距離、遠くないか?)
横を見る。
公爵家騎士たちは普通に準備していた。
「団長、縄これでいいですか?」
「昨日の泥、まだ乾いてませんよ」
いつも通りだ。
温度差がひどい。
少し離れた場所に、セディの姿があった。
視線は手元の記録板に落ちている。
呼びかけようとして――やめた。
顔を上げない。
こちらを避けているわけではない。
だが、目を合わせようともしない。
(……いや、避けてるのか?)
なんとも言えない距離感だった。
⸻
執務室
訓練後。
キドは机に向かい、報告書をまとめていた。
紙をめくる音だけがやけに響く。
向かいの椅子では、
ロエルが完全に暇そうに座っていた。
足を組み、窓の外を眺めているだけ。
しばらく沈黙が続き――
キドがぼそりと呟いた。
「俺、何かしましたかね……」
ロエルは視線も動かさず答える。
「あ? 昨日山揺らしてただろ」
「揺らしてません」
紙を置く。
少しだけ肩が落ちた。
「……あそこまで言う必要、ありましたかね」
ロエルがちらっとだけ視線を寄越す。
「今さらそれ言うのか」
「理屈は間違ってませんが、言い方が……」
キドは額を押さえる。
「完全に怒鳴ってましたよね、俺」
「怒鳴ってたな」
即答だった。
「自覚はあります……」
短く息を吐く。
ロエルが、ふっと笑った。
「まあ、効いただろ」
「……ならいいんですが」
キドはまだ納得しきれていない顔をしている。
ロエルは少しだけ真面目な声音になる。
「甘やかすより、よっぽど親切だ」
その言葉に、
キドは答えなかった。
ただ、ペンを持ち直す。
訓練場の空気は、妙に整っていた。
号令前だというのに、私語がほとんどない。
列は真っ直ぐ、装備も静かに整えられている。
(……昨日より、むしろ統制取れてるな)
キドはその様子を見渡しながら、内心で首を傾げた。
以前なら、この時間はもう少しざわついていた。
誰かが冗談を言い、誰かがそれに返し、軽く笑いが起きる。
それが自然な流れだったはずだ。
だが今日は違う。
静かすぎた。
「……団長、本日の行程はこちらです」
差し出された書類を受け取る。
セディの視線は、手元のままだった。
書類も、やけに丁寧だ。
必要なことだけを伝え、静かに一歩下がる。
「……ああ、ありがとう」
受け取ったキドの返事も、どこかぎこちなくなる。
(いや、何だこれ)
怒鳴ったのは自分だ。
理由も、必要性も理解しているつもりだった。
だが。
(距離、できてないか……?)
そのとき、背後から気の抜けた声が落ちてきた。
「昨日山揺らした張本人が、難しい顔してんな」
振り返ると、ロエルが壁にもたれて立っていた。
いつもの調子だ。
「揺らしてません」
「鳥、全部飛んでったぞ」
「それは知りません」
即答すると、ロエルが小さく笑う。
「で? 反省会か?」
「……そこまでじゃありません」
キドは視線を訓練場へ戻した。
規律は良い。
動きも揃っている。
騎士団として見れば、むしろ正しい状態だ。
それでも。
「……少し、やりすぎましたかね」
ぽつりと漏れた言葉に、ロエルは肩をすくめる。
「さあな」
間を置いて、軽く続けた。
「でもまあ、ああいうのは滅多にねえだろ」
キドは苦笑した。
訓練場では、号令を待つ騎士たちが静かに整列している。
昨日とは違う朝。
だが、確実に“昨日の続き”の朝だった。
「……始めますか」
小さく呟き、キドは前へ出た。
今度は、いつもの団長として。
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