第69話 Different Orders - キドゲキド -
強さを求めるか。
守ることを選ぶか。
その違いは、ほんの一歩で分かれる。
翌朝。
空はよく晴れていた。
雲ひとつない――見事すぎる青空だった。
初夏の陽射しは、まだ朝だというのに遠慮がない。
「……暑くないか?」
列の後方で、誰かがぼそっと言った。
「まだ初夏ですよね?」
「初夏だな。誰だ“爽やかな季節”とか言ったやつ」
「これ普通に暑いだろ……」
背嚢を担いだ瞬間、別の騎士が呻いた。
「重っ……!」
「何入ってるんだこれ」
「砂嚢だそうだ」
「聞きたくなかった」
小さな笑いが起きる。
公爵家の騎士が肩紐を引き直しながらぼやいた。
「山って、登る必要あります?」
「平地でよくないですか?」
「むしろ日陰でやりましょうよ……訓練ってそういう配慮ありません?」
「あるぞ」
前方から返ってきた声に、全員がぴたりと止まる。
振り返らずに立っている背中――キドだった。
「配慮した結果が、この重量だ」
容赦がない。
「行軍中の発汗量、疲労、装備負荷。
全部まとめて体に覚えさせる」
一拍置く。
「戦場に“今日は暑いから軽め”はない」
誰も反論できない。
「準備完了次第、出発する」
それだけ告げて歩き出す。
騎士たちは顔を見合わせ、小さくため息を吐きながら列を整えた。
⸻
登り始めて三十分。
斜面は緩いが、確実に体力を削ってくる。
土は乾ききっておらず、踏み込むたびに靴底を取られる。
陽射しは上から容赦なく照りつけ、背中の熱が逃げない。
「……これ地味にキツいな」
「黙って歩け、口開けると余計疲れる」
息遣いが徐々に荒くなり、会話が減っていく。
その中で――列の中ほどの歩調が、わずかに乱れた。
装備の揺れが不自然に大きい。
革具が擦れる音が、他よりも遅れて響く。
見ていれば分かる程度の、ほんの小さな崩れ。
だが、行軍の列の中ではそれが異物のように浮いた。
前を歩いていた足音が止まる。
砂を踏む音が向きを変え、まっすぐ戻ってくる。
キドだった。
視線は対象から一度も外れていない。
「背嚢を外せ」
低い声だったが、列の数人が思わず顔を上げた。
女性騎士が息を整えながら顔を上げる。
額の汗が顎先に落ちる。
「……まだ、行けます」
声は震えていない。
だが呼吸が浅い。
その瞬間、横から静かな声が差し込んだ。
「続行可能です」
空気がわずかに張る。
セディが一歩前に出ていた。
「本人が継続の意思を示しています」
キドはゆっくり視線を向ける。
「意思は確認していません」
「限界を見極めるのも訓練です」
即答だった。
周囲の騎士たちが無意識に歩みを止める。
誰も声を出さない。
「ここで止めれば、次も同じところで止まります」
風が抜ける。
草が擦れる音だけがやけに大きく聞こえた。
「無理を越えさせる経験が必要です」
「違います」
キドは女性騎士の背嚢に手を添え、揺れを止める。
「体幹が崩れている。踏み込みも浅い。
このまま続ければ膝を壊します」
指先で触れただけで、芯が抜けているのが分かった。
女性騎士から視線を外し、セディを見る。
「壊れたら終わりです」
セディの表情が、ほんのわずか硬くなる。
「それでは選別になりません」
「これは選別ではありません」
声が一段低くなる。
「隊の運用です」
沈黙が落ちた。
遠くで鳥の声がした。
「……訓練とは、淘汰でもあります」
セディは退かない。
「戦場はもっと過酷です」
「ここで退かせてどうするのです!」
次の瞬間――
「いい加減にしろ!!」
怒声が山に跳ね返った。
木々の間に反響が走る。
鳥が一斉に飛び立つ。
列の騎士たちの背が反射的に伸びた。
女性騎士が息を呑む。
「戦場が過酷だから止めるんだ!」
土を強く踏み鳴らす。
乾いた土が靴底で砕ける音がした。
「崩れてる兵を押し出して何になる!」
セディが言葉を返そうとする。
「限界を――」
「限界は分かってる!」
遮った。
「分かってないのはお前だ!」
空気が凍る。
「膝をやれば次は戦場に立てない!
足を潰せば一生だ!」
一歩、踏み出す。
怒鳴っているのに、声は妙に冷えていた。
「強くする? 選別?」
視線を逸らさない。
「それは指揮じゃない」
「使い捨てだ」
セディの顎が強張る。
「……言い過ぎです」
低い反論だった。
だがキドは止まらない。
「言い過ぎ?」
息を吐く。
「減らしてみろ」
「一人欠けた瞬間に隊列が死ぬ!」
周囲の誰も動けない。
「穴が空いた場所を埋めるのは誰だ!」
一瞬の間。
「お前か!? 俺か!?」
返事はない。
風の音だけが通り抜ける。
キドは吐き出すように言った。
「……減らさない」
怒鳴りではない。
「一人も欠かさない」
女性騎士へ向き直る。
「装備を外せ」
逆らえる声音ではなかった。
女性騎士が震える手で背嚢を下ろす。
地面に落ちる鈍い音が、やけに響いた。
沈黙。
セディは動かない。
言葉を探すように唇がわずかに動く。
だが出ない。
握った拳が白くなる。
視線が、ほんの一瞬だけ逸れた。
やがて――
「……行軍再開」
それ以上は言わなかった。
キドは答えない。
背を向け、歩き出す。
列が続く。
誰も逆らわない。
山の空気だけが、まだわずかに震えていた。
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