第55話 静養地は静養させてくれない
保養地の朝は静かでした。
ただし、その静けさが心地いいとは限りません。
翌朝。
昨夜の騒ぎが嘘のように、保養地は静まり返っていた。
鳥の声。
木々を抜ける風。
遠くで湯の流れる音。
いかにも静養地らしい朝である。
キドは窓の外を見て、ぽつりと呟いた。
「……環境は本当にいいんですよね、ここ」
誰も否定しなかった。
景観よし、空気よし、施設もよし。
保養地としては文句のつけようがない。
――利用者さえ除けば。
「殿下、お加減はいかがですか」
ユアンが紅茶を差し出す。
「とてもよく眠れました」
ラミアは嬉しそうに受け取った。
昨夜の惨事など関係なかったかのような顔である。
「皆様もお休みになれましたか?」
「ええ、まあ……それなりに」
キドは曖昧に答えた。
実際は、夜中まで配管の確認だの応急処置だのに駆り出され、
まったく休んだ気はしなかったが、
それを口にしても仕方がない。
ロエルは椅子に深く座り、欠伸をひとつ。
「で、あいつは?」
「……まだ来ていません」
「起きてこないのか?」
「はい」
⸻
数分後。
全員で様子を見に来ていた。
ノック。
反応なし。
ロエルが扉を開けて中を覗く。
「……寝てるな」
本当に寝ていた。
恐ろしく深く。
キドが額を押さえる。
「これ完全に昨日の疲労ですね……」
ユアンは静かに頷いた。
「静養の成果ですわ」
ロエルは腕を組む。
「一番静養してるな」
ラミアは安心したように微笑む。
「ゆっくりお休みになれて、よかったです」
⸻
沈黙。
ロエルが言った。
「じゃあ先帰るな」
「はい?」
キドの声が裏返った。
「あいついつ起きるかわからないし、明るいうちに俺がラミア連れて帰るよ。」
「いやいやいやいや!」
キドが全力で止めに入る。
「公爵様を置いて帰るとかあり得ませんから!!」
「そのうち起きるだろ」
「そういう問題じゃないんです!」
ラミアは少し迷ったが――
「……では、お兄様にお伝えしていただけますか?」
「伝言で済ませないでください!!」
⸻
その時だった。
「私は残りますわ」
ユアンが、きっぱり言った。
「……は?」
「護衛対象である私がいますもの。ルード様が私を護衛するのは当然でしょう?」
理屈として正しい。
正しすぎて逃げ道がなかった。
キドの背中に、嫌な汗が流れる。
ロエルはあっさり頷いた。
「じゃあ任せた」
「任せないでください!!」
⸻
そして――
ロエルとラミアは本当に帰っていった。
⸻
静かになった。
驚くほど静かになった。
キドとユアンだけが残された。
鳥の声だけがやけに大きく聞こえた。
先ほどまでの騒ぎが嘘のように、時間の流れまでゆっくりになった気がする。
キドは悟った。
(逃げ場がない……)
ユアンは優雅に紅茶を飲んでいた。
「……とても、静かでよろしいですわね」
「そ、そうですね……」
キドは手持ち無沙汰のまま周囲を見回した。
書類はない。
指示もない。
見張る必要すらない。
(……やることが、本当にない……)
胃が痛かった。
会話が続かない。
沈黙が重い。
任務よりきつい。
「……あの」
キドが意を決して口を開く。
「何か、ご不便はありませんか」
「特にございませんわ」
即答だった。
会話終了。
キドは内心で崩れ落ちた。
「お庭の花も見頃でして」
「先ほど拝見しましたわ」
「……そうですか」
まだ数分しか経っていない気がした。
体感では一刻ほど過ぎている。
「え、と、良ければ庭園の散歩でも……」
「少し静かにしていただけないかしら?」
「……すみません。」
のんきな鳥が、まるで励ます気もなくもう一度鳴いた。
(長い……ルード様、まだ起きませんか……)
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