第53話 視察という名の観光
小舟から戻った先で待っていたのは、穏やかな景色と――まったく穏やかでない二人でした。
そのまま合流した結果、視察の空気も少しだけ乱れました。
小舟を降りたルードとラミア。
湖上では、まだロエルとユアンが何やら言い合っている。
水面は静かだというのに、あの一角だけ空気が荒れていた。
岸からでも分かる程度には、はっきりと。
「……」
ルードは一瞥したあと、固く目を閉じてため息をついた。
キドは青ざめながら視線を泳がせる。
(……これ、俺のせいだな……)
「話が弾んでいるのですね」
ラミアが、微笑ましいものを見るように言った。
「……そうだな」
もはや否定する気力もなかった。
(いや、ある意味弾んではいるな……うん、間違ってない……)
キドは心の中で必死に自分を肯定した。
やがて、口論を終えたのか終えていないのかよく分からない顔で、ロエルとユアンが岸へ戻ってくる。
「楽しかったですか?」
ラミアが満面の笑みで尋ねた。
ロエルとユアンは、一瞬だけ固まった。
ロエルはすぐに何事もなかったかのようにラミアへ微笑みかけ、
ぽん、と頭を撫でそのまま歩き出した。
ユアンは「はっ」と小さく鼻で笑い、それを見送る。
(……本当に態度が違いすぎますわね)
「……戻るか?」
疲れの滲んだ声でルードが言う。
「いいえ、景観の確認も必要ですわ」
間髪入れず、ユアン。
「保養地として成立させるには、視察が必要ですもの」
――ただの観光では?
キドは口に出さず、心の中でだけ呟いた。
「参りましょう、ルード様」
断る隙もなく、腕を取られる。
「……自分で歩ける」
「あら。私は護衛対象ですのよ?」
当然の理屈だった。
「護衛が同行するのは、職務ではありませんの?」
「……」
理屈としては正しい。――それが一番厄介だった。
ルードは後ろを振り返り、助けを求めるように視線を送る。
しかし。
キドとロエルは、見事なまでに同時に空を見上げていた。
「……」
ラミアはそんなやり取りを見て、にこにこと手を振った。
「仲がよろしいのですね」
本気でそう思っている顔だった。
⸻
さらに後方。
「……視察、ですか」
キドが小声で呟く。
「景観確認らしいぞ」
ロエルが肩をすくめる。
「散歩だろ」
「ロエル様のせいでは? 舟で喧嘩なんてするからです」
「キドが乗せたんだろ」
「……」
二人は同時に黙った。
責任の押し付け合いは不毛だと悟ったらしい。
⸻
保養地の商業区画へ入ると、整備途中ながらも店がいくつか並び始めていた。
木造の建物、湯気の立つ屋台。仮設とは思えない賑わいである。
「まぁ……!」
ラミアの目が輝く。
「ずいぶん雰囲気が出てきましたね」
「試験運用にしては頑張りすぎだな……」
ルードが思わず周囲を見回した。
――そのときだった。
「温泉、皆様でご一緒できるのが嬉しいです」
ラミアが、無邪気に心から楽しみにしている声音で言った。
一瞬。
空気が止まった。
「――は?」
最初に固まったのはルードだった。
ロエルは咳払いをして顔を背けた。
キドは一瞬で胃が痛くなった。
「……ラミア。今、何と言った?」
「はい? 皆様で入れるのが――」
「待て待て待て待て」
ルードが珍しく声を荒げる。
ロエルはすっと視線を逸らした。
「……キド」
「はい?」
「説明しろ」
「俺ですか!?」
キドの胃が、きゅっと縮んだ。
その時だった。
「それはいけませんわ、殿下」
ユアンが、きっぱりと言い切った。
三人の視線が一斉に集まる。
「男女が同じ湯に入りますと、夫婦と見なされてしまいます」
「見なされねぇよ」
ロエルが即答する。
ユアンは真剣だった。
「夫婦になりますと、ほどなくしてコウノトリが参りますもの」
沈黙が落ちた。
ルードが額を押さえる。
キドは天を仰いだ。
ロエルだけが、ゆっくりユアンを見る。
「……ユアン嬢」
「はい?」
「それ、誰に教わった?」
「乳母ですが?」
絶対の自信だった。
「……そうか」
ロエルはそれ以上何も言わなかった。
⸻
「こちら、一式いただきますわ」
ユアンはそのまま買い物を始めた。
「全部ですか!?」
店主が驚く。
「ええ。経済活動は大切ですもの」
(……買い物したいだけでは?)
キドは遠い目になった。
「ものは言いようだな」
ロエルがぼそりと言う。
「聞こえておりますわよ?」
ユアンがにこやかに振り返る。
「自分は何も言っておりません!」
キドが即座に距離を取った。
「おい」
「巻き込まないでください!」
「お前の態度も同罪だろ!」
「自分は任務を遂行しているだけであります!」
キド、敬礼。
「お二人共、私きちんと見聞きしておりましたわ」
ユアンがにっこり微笑む。
「元凶はロエル様だけであります」
「お前さぁ……」
軍人調のキドと、呆れるロエル。
「皆様、本当に仲がよろしいのですね」
ラミアが嬉しそうに笑う。
ルードは――もう訂正しないことにした。
その代わり、そっと空を見上げる。
(……ラミアが楽しそうなら、それでいいか)
完全に諦めの境地だった。
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