第52話 湖上、口論につき
例の爆破で生まれた温泉は、無事に保養地へと引き込まれた。
調査も終わり、安全性にも問題はない。
試験利用として、すでに入浴も可能となっている。
――温泉そのものに、問題はない。
問題があるのは、そこへ向かう面々の方だった。
例の爆破で湧き出した温泉は、噴出地点からこの保養地まで
急造の導湯路で引き込まれている。
本格的な整備はこれからだが、
試験利用と安全確認を兼ねて、すでに入浴は可能な状態だった。
ルードとラミアは既に公爵家所有の保養施設に到着し、荷物を降ろしていた。
山あいの空気は澄み、遠くで湯気が白く立ち上っているのが見える。
仮設とは思えないほど、整えられていた。
キドとロエルの元に、ユアンもまもなく到着するとの報告が入る。
「行きましょう。ユアン嬢を出迎えなければなりません。」
キドが歩き出そうとしたところで
「放っておけばよくね? 勝手に来たんだし」
「勝手に火薬を使った人が何を言う。」
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湖畔。
保養地の裏手に広がる湖は、風もなく、水面が鏡のように静まり返っていた。
ルードとラミアは、小舟に乗り、ゆっくりと岸を離れていた。
櫂が水をかくたび、規則正しい音だけが響く。
「落ち着くな。」
ルードは深く息を吸い込む。
戦場とも執務室とも違う、柔らかな空気だった。
「はい。静かですね。」
ラミアも周囲を見渡し、嬉しそうに微笑む。
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その頃。
岸ではユアンが到着し、小舟を眺めていた。
遅れてキドとロエルも現れる。
「ユアン嬢も小舟に乗ってはいかがですか?」
キドが慎重に提案する。
「さ、ロエル様」
「何で俺?」
露骨に嫌そうだった。
「俺は護衛の責任者です。お願いします。」
「……」
押し切られた。
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用意された小舟に、ロエルが先に乗り込む。
続いてユアンが乗り込んだが、その足取りには隠しきれない不満が滲んでいた。
ユアンは湖の中央にいるルードとラミアを見て、小さくため息をつく。
「……本当はルード様とご一緒したかったのですけれど」
「嫌なら、落とすぞ?」
「何をですの?」
「ユアン嬢を。湖に」
真顔だった。
「泳げるだろ? 向こうにルードいるぞ」
ロエルは櫂を取り、にこやかに笑った。
ただし目はまったく笑っていない。
「どうして私が落とされる前提なんですの」
「望みを叶えてやろうと思って」
「それ、善意ではありませんわね」
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ぎし、と小舟が揺れる。
岸ではキドが顔面蒼白だった。
(やめろ……この二人を同じ船に乗せた判断誰だ……俺か……俺だな……)
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「……仕方ありませんわね」
ユアンは扇子を広げ、大きくため息をつく。
「ルード様と“静かに”湖を楽しみたかったですわ」
「そりゃ気の毒だな」
即答。
「代わりに、私と口論しながらの遊覧になりますわね」
「代わりになってないぞ、それ」
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ロエルが舟を漕ぎ出す。
一見、穏やかな遊覧。
ただ空気だけが妙に剣呑だった。
「引き返すか? ユアン嬢」
「引き返しませんわ」
「強情だな」
「そちらこそ」
「歓迎した覚えはない」
「奇遇ですわね。私もです」
二人同時に微笑んだ。
湖面の風が、なぜか少し冷たい。
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しばらく進んだ後。
「……本当に、不思議な方ですわね」
「よく言われる」
「褒めておりません」
「知ってる」
間髪入れない。
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「殿下への態度と、私への態度、違いすぎませんこと?」
「そうか?」
「そうですわ」
ロエルは特に気にした様子もなく櫂を動かす。
「殿下にはあれほど気安く接しておきながら、どうして婚姻は拒否なさったのかしら」
櫂の動きが、ほんのわずかだけ緩んだ。
「気になるのか?」
「当然ですわ。普通」
ユアンが続けた。
「正直、殿下に何か問題があるのかと思いましたの」
「でも違いましたわ」
きっぱり言い切る。
「可愛らしくて、素直で、妙な駆け引きもなさらない。
むしろ――あれで嫌われる理由がどこにありますの?」
ロエルは少しだけ笑った。
「さあな」
「なのに貴方は拒否して家まで出た」
「そうだな」
ユアンは首を傾げた。
「意味が分かりませんの」
「嫌っている方の態度ではありませんもの」
ロエルは小さく笑った。
「観察力あるな、ユアン嬢」
「伊達に貴族社会で生きておりません」
「怖い世界だな」
「貴方ほどではありませんわ」
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一拍。
ユアンがさらりと言う。
「……なら、なぜですの?」
ロエルは空を見上げてから、
「――落とすぞ?」
一瞬、冗談の気配を消してロエルがユアンを見据える。
「話を逸らさないでくださる?」
「この高さでも話せるか試すか?」
「試さなくて結構です!」
ユアンが珍しく声を強めた。
「安心しろ」
ロエルが真顔で言った。
「やる時は、ちゃんと予告してやる」
「その予告が不要だと申し上げていますの」
ユアンは小さく肩を竦めた。
「……まあ、無理に聞き出すほど興味があるわけでもありませんけれど」
「助かる」
「ただし」
間を置く。
「殿下を泣かせるようなことがあったら」
ロエルを見る。
「その時は自分で湖に落ちなさいな」
「自分でかよ」
「ええ。潔く」
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岸では。
キドが頭を抱えてしゃがみ込んでいた。
「……何であの二人、喧嘩しながら普通に遊覧してるんだ……」
湖の向こうでは、ルードとラミアがその様子を眺めている。
「楽しそうですね」
ラミアが微笑む。
「どこがだ!?」
静寂は一瞬で吹き飛んだ。
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