第51話 事件は温泉で起きている
公爵家・執務室。
本来ならば、静かに書類が積み上がるだけの場所だ。
だが最近は違う。
報告の内容はだいたい予想の斜め上を行き、原因はほぼ身内である。
そして今回も――例外ではなかった。
扉が控えめにノックされた。
「失礼いたします」
現れたのはラミアだった。
その一歩後ろには、当然のようにユアンの姿もある。
「お話中でしたか?」
「いや……終わったところだ」
終わっていない。
だが、終わらせたかった
――そんな顔でルードは答えた。
「温泉が出たと伺いました」
ラミアの一言で、キドの肩がびくりと跳ねた。
(誰だ、余計なことを――)
「ええ。調査の結果、安全も確認されたそうですわ」
ユアンが、逃げ道を塞ぐようにさらりと続ける。
(……逃げ道がなくなった。)
「……ただの事故だ」
ルードが低く訂正する。
「では入れるのですね?」
ラミアが小さく首を傾げた。
「……理屈の上ではな」
「理屈の上では、です」
キドが小声で念押しした。
「まぁ、素敵」
ユアンが微笑む。
その一言で、室内の空気の向きが変わった。
キドの顔に、はっきりと「嫌な予感」と書いてある。
「せっかくですもの。
調査を兼ねて、実際に利用してみるべきではありません?」
当然の結論のようにユアンは言った。
「現地確認は重要ですわ」
ラミアも素直に頷く。
「…………」
ルードは目を閉じた。
(もう止まらんな)
経験則だった。
それはもう視察ではない。
どう考えても旅行だ。
「護衛も必要ですね」
ユアンは視線を逸らさない。
「必要だな」
ロエルは短く返す。
「いや原因はお前だろうが!!」
キドが即座に叫んだ。
⸻
「まぁ。ロエル様のおかげで温泉が出たのですね?」
ラミアが目を輝かせてロエルを見る。
「うん。実はそうなんだ」
悪びれない。
「ありがとうございます。素晴らしい功績ですね」
「ラミアが喜んでるなら、やった意味あるな」
ロエルは自然な動作でラミアの頭を撫でた。
その光景を――
ルードは見ていなかった。
机に肘をつき、手の甲に額を預けたまま、
深く、長く、ため息をついている。
「……反省という言葉を知らんのか」
誰にも聞こえない声だった。
キドは怒るべきか止めるべきか判断を放棄し、
ただ無言でその様子を見守っていた。
ユアンはというと、
口元をわずかに引きつらせ、ロエルを見ている。
(……私への扱いと違いすぎません?)
ラミアだけが、何も気付かず穏やかに微笑んだ。
「皆様で行けると嬉しいです」
その一言で――
決定した。
誰も「行く」とは言っていなかった。
ルードはゆっくりと顔を上げ、天井を仰いだ。
(……なぜこうなる)
⸻
湯気が、もくもくと立ち上っていた。
岩肌の裂け目から、絶え間なく湯が噴き出している。
辺りには硫黄の匂いがほのかに漂い、地面はしっとりと湿っていた。
出来たばかりとは思えないほど、すでに“温泉らしい風景”が完成している。
「……本当に問題ないようですね。」
キドは手にした報告書と噴き出す湯を見比べながら、深いため息をついた。
地質、温度、水質、安全性――
どの項目にも問題なし。
むしろ、やたらと優秀な数値が並んでいるのが腹立たしい。
「奇跡的に、爆破地点が最適だったそうです」
調査官の報告を思い出し、キドは遠い目をした。
「俺の功績だな。」
すぐ横で、ロエルが満足げに腕を組んでいた。
「違います。」
即答だった。
「功績ではなく始末書案件です。」
⸻
その頃。
公爵家から出発した一行は、ゆるやかな街道を進んでいた。
馬車の窓が静かに開く。
「お兄様、楽しみですね。」
ラミアが顔を覗かせ、並走するルードに声をかける。
外の風に触れた髪がやわらかく揺れ、
その表情には隠しきれない期待が浮かんでいた。
ルードはその様子を見て、思わず口元を緩める。
任務としての護衛のはずなのに、
空気はどこか穏やかすぎた。
「そうだな。」
馬の歩調を馬車に合わせながら答えた。
「たまには、こういうのも悪くないかもな。」
そう思わないとやってられなかった。
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