第45話 かわいいは、きっとつくれる
この回は、皇女の授業と、温室でのひとときです。
学びと、穏やかな時間と、
少しだけ揺れる心が描かれます。
南棟の奥。
普段は公爵家当主の個人用書斎として使われる小図書室に、午後の柔らかな光が差し込んでいた。
中央の机には、数冊の史書と地図。
その前で、ユアンが静かな声で講義を続けていた。
ラミアは背筋を伸ばし、真剣な眼差しで頷いている。
「――以上が、帝国成立から現在に至るまでの大まかな流れですわ。
皇女殿下、ここまでで何かご不明な点は?」
ラミアは少し考えるように視線を彷徨わせ、それから小さく首を振った。
「いいえ。とてもわかりやすかったです。ありがとうございます」
柔らかな笑顔で礼を述べ、さらに、ぽつりと付け加える。
「まるで……壮大な物語を聞いているみたいでした」
ユアンのこめかみが、ぴくりと引き攣れた。
「殿下……殿下がこれまで教わってこられた内容の方が、よほど物語ですわ。
こちらこそが、正真正銘の史実なのですからね?」
「はい」
屈託のない返事。
ユアンは思わず天を仰いだ。
(……まだまだ先は長いですわね)
小さく息を吐き、気を取り直す。
「……本日は以上となりますわ」
「ありがとうございます。
あの……ご予定がなければ、温室でお茶でもいかがですか?
今日、お兄様が案内してくださる予定で……」
一瞬、ユアンは驚いたように目を瞬かせた。
だが、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「それは素敵ですわ。ぜひ、ご一緒させてください」
ラミアの表情が、ぱっと明るくなった。
⸻
執務室
「ラミア、終わったか?」
「はい。お兄様」
「ユアン嬢、ありがとうな」
「ええ……」
それだけの短いやり取り。
それでも、ユアンの胸は、わずかに高鳴った。
「それで、ユアン様にも温室でお茶を楽しんでいただければ、と」
「……そうか」
ルードは一瞬戸惑ったように視線を逸らす。
(何故なんだ、ラミア……)
⸻
温室
ドーム状の天井に囲まれた温室には、色とりどりの花々と高木が並び、甘く柔らかな香りが漂っていた。
「皇宮と比べると大した事はないが、ここにも珍しい花が咲いている」
ルードはそう言いながら、数段の階段の前で自然にラミアに手を差し出す。
「お兄様、ユアン様に……」
「構いませんわ。皇女殿下がお怪我をなさっては大変ですもの」
ラミアは迷いながらもルードの手を取り、階段を登る。
ユアンも続こうとした、その時。
「ユアン嬢」
顔を上げると、ルードが手を差し出していた。
ラミアはすでに階段を登り切り、花に視線を向けている。
伸ばされたその手に、ユアンは一瞬ためらい、そして自らの手を重ねた。
ルードは軽く力を込め、歩きやすいように引き上げてくれる。
「……頼んでませんのに」
ユアンは顔を背けながらも、頬を赤らめた。
「怪我したら大変だからな」
何気ない一言。
その優しさが、余計に胸を締め付ける。
「珍しいだろう?」
「はい。見た事のないお花です」
ラミアは満面の笑みでルードを振り返る。
そこには、同じように微笑むルードの姿。
ユアンは、その光景に、ほんの一瞬、胸の奥が沈むのを感じた。
ユアンは高い木を見上げ、そっとため息をついた。
「ユアン様、いかがですか?」
「……素敵ですけれど、まだ手を入れられそうですわね。
いつか、もう少し整えてみたいですわ」
「えっ……」
ルードが戸惑った。
「まぁ、ユアン様が整えた温室も、見てみたいです」
ラミアの無邪気な言葉に、ルードは思わず視線を向ける。
(ラミア……なんて事を……)
⸻
テーブルにつき、三人でお茶を楽しむ。
「ラミア、溢さないようにな」
「お兄様、大丈夫ですよ」
クスッと笑うラミア。
ユアンはその様子を一瞥し、静かに茶を口に運ぶ。
「お兄様、ユアン様の授業はとてもわかりやすかったです」
「そうか。ユアン嬢、ありがとう」
「いえ、当然の事ですわ」
(殿下は素直で可愛らしい。
私は……きっと、可愛げのない女なのでしょうね)
ユアンは視線を上げ、温室の天井越しに見える青空を眺めた。
明るい日差しとは裏腹に、胸の奥は静かに曇っていた。
⸻
その時。
「失礼します」
現れたのは、キドだった。
「至急決裁をいただきたい書類がありまして」
「ああ」
ルードは書類に目を通し、素早くサインをする。
ふと、キドはユアンに視線を向け、思い立ったように口を開いた。
「……失礼ですが、ユアン嬢。
貴女が公爵夫人として相応しい資質、またこの城を支えるうえでの強みがあれば、お聞かせ下さい」
「キド! 何を……」
ルードが慌てる。
ユアンは少し考える仕草をし、静かに答えた。
「そうですわね。
私自身の資質、というより、我が家門の役目になりますが――
我が一門は、法と司法を担ってまいりました。
私自身も、幼少より叩き込まれております。
公爵家が背負う“対外的責任”と“法的安定”を、内側から支えること。
それが、私に出来る最大の務めかと。
そう信じております。」
「……なるほど」
キドは感心したように頷いた。
ラミアがふと立ち上がる。
「キド様、書類お急ぎなのですよね?
私もそろそろお部屋に戻ろうかと思います。
ご一緒していただいても、よろしいでしょうか?」
「え? ああ、はい」
「では、お兄様とユアン様は、ゆっくりなさって下さい」
「ラミア、俺も――」
「いえ」
にこりと笑い、ラミアは首を振った。
「ユアン様、本日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました。今後も精進してまいりますわ」
キドとラミアは温室を後にした。
残されたルードは、額にじんわりと汗を浮かべていた。
(……何故だ。どうして俺を置いていく)
⸻
「……ルード様。落ち着きませんわ。お座りになって」
「……あ、ああ」
仕方なく腰を下ろす。
「今の質問、何なんですの?」
「いや、その……」
答えあぐねる。
(以前、俺が見合いの席でしていた質問だなどと……言える訳がない)
ユアンは、沈黙から察したように目を細めた。
「……もしかして、歴代の公爵夫人候補が受けてきた質問ですの?」
「違う!」
即答だった。
「つまり、あの団長が私を公爵夫人として認めて下さった、という事ですわね?」
「いや、違う!」
「私、頑張りますわ」
「ユアン嬢、落ち着け。違うんだ」
「こうしてはいられませんわ。失礼します」
立ち上がり、歩き出す。
「待て、ユアン嬢!」
ルードは慌てて追いかける。
「お手はお貸しくださらないの?」
真剣な眼差し。
「……あ、ああ」
ユアンはルードの手を借り優雅に階段を降りる。
「沈黙は肯定ではないのかもしれません。
ですが、拒否ではありませんわね?」
「何の話だ……」
「私、諦めませんわ」
優艶な笑みを向け、背を向ける。
まるで輝かしい未来へ歩むかのように、去っていった。
「ユアン嬢……
……何故、皆、俺を置いていく」
ルードは、温室に一人取り残された。
お読みいただきありがとうございます。




