第41話 花と風の秘密
この回は、ラミアが一歩踏み出すお話です。
近づく距離と、すれ違う想い。
少しだけ、切ない時間。
柔らかな風が、午後の庭園を渡っていく。
白いガゼボの下、ラミアは静かに紅茶を口にしていた。
淡い色の液体の向こうで、小ぶりな菓子と焼き菓子が整然と並んでいる。
少し離れた場所では、ユアンが屈託なくルードの腕を掴み、何か楽しげに話していた。
困ったように眉を寄せながらも、拒めずに応じるルードの姿に、ラミアは小さく笑みをこぼす。
――穏やかな午後。
その視界の端を、ひとりの影が横切った。
白いシャツに淡いブルーのズボン。すらりとした背。
ロエルだった。
今日は午後から幹部会議があると聞いている。
下級騎士は半休――ならば、彼もこれから城へ戻るのだろう。
ラミアは一度、ルードとユアンを見やり、そっと息を整えた。
「……少し、庭園を歩いてきます」
女官が怪訝そうに顔を上げる。
「お供を――」
「すぐそこですから。一人で大丈夫です」
穏やかに微笑んで制すると、女官は一瞬ためらい、やがて小さく頷いた。
「では、こちらでお待ちしております」
「ありがとうございます」
ラミアは静かにその場を離れた。
⸻
「ロエル様」
呼び止めると、ロエルはすぐに足を止め、振り返って恭しく一礼する。
「皇女殿下。ご機嫌麗しゅうございます」
完璧な礼と、よそ行きの微笑。
それだけで、胸の奥がちくりと痛んだ。
「あ……その……お見かけしたので、ご挨拶を」
「そうですか。お気遣い、ありがとうございます」
穏やかで、丁寧で、けれど一線を引いた距離。
「……」
「……」
「では、これで」
再び礼をし、踵を返す背中。
引き留めたい衝動が胸を満たすのに、声にならない。
ラミアは視線を伏せた。
足元の芝生が、滲んで揺れて見える。
――そのとき。
芝を踏む足音が近づき、視界に、もう一足の靴が映り込んだ。
顔を上げると、ロエルがそこに立っていた。
「……何か、ありましたか」
「いえ……何も」
微笑みを作る。
だが、うまくいかない。
ロエルは、わずかに逡巡し、静かに口を開いた。
「……少し、歩こう」
拒む間もなく、視線で促される。
二人は庭園の奥へと進み、花々がアーチを描き、石垣のように連なる小径へと足を踏み入れた。
やがて、道は花の壁に遮られ、行き止まりとなる。
ラミアは、思わず振り返った。
その帰り道を塞ぐように、ロエルが立っていた。
「……殿下」
低く、穏やかな声。
「先程から、様子がおかしい」
「そんな……」
「隠されるのは、好きじゃない」
一瞬、鋭くなる視線。
すぐに、困ったように和らぐ。
「……責めているわけじゃない。聞かせてほしいだけだ」
沈黙。
花々の香りと、遠くのざわめき。
ラミアの喉が、ひくりと鳴った。
「……私が、皇女だから……でしょうか」
言葉は、そこで途切れた。
視界が滲み、涙が静かに溢れる。
「それとも……私、だから……?」
ロエルは、わずかに眉を寄せた。
「……悪い。何を――」
言いかけて、言葉を止める。
ラミアは、はっと我に返った。
(――ロエル様は、知らない)
あの会話も、あの決意も。
すべて、私が知っている、という事を。
ラミアは目を伏せ、唇を噛みしめる。
知られない方が、きっといい。
やがて、そっと顔を上げ、柔らかな微笑を作った。
「……名前を呼んでくださって、気さくに話しかけてくださったことが……嬉しかったんです」
小さな、精一杯の嘘。
「でも……分かっています。私が皇女であることも、身分があることも」
言葉にした途端、胸が締めつけられ、声が揺れた。
「……ごめんなさい」
身を翻し、立ち去ろうとした瞬間。
手首を、掴まれた。
引き寄せられ、背後から包み込まれる。
「……ロエル、様?」
広い胸と、確かな腕。
ラミアの背に触れるぬくもりは、驚くほど優しかった。
視界には、花々と、揺れる光だけ。
ロエルの呼吸が、すぐ後ろで重なる。
「……ラミア」
名を呼ばれた、その一音で、胸が満たされる。
「はい……」
「……これ」
短い沈黙。
「……ルードには、秘密な」
それだけ。
風が吹き抜け、花弁が宙を舞う。
やがて、腕が静かに離れた。
ロエルは何も言わず、ラミアを先へと促す。
花の壁を抜けると、庭園の小径が、再び視界に広がった。
日常の音と、光。
二人は、何事もなかったかのように、歩き出す。
――けれど、その距離だけが、ほんのわずか、変わっていた。
こちらで3章ラストになります。
活動報告にイメージイラスト載せてます。
4章もよろしくお願いします。




