第39話 密室と皇女と恋愛小説
この回では、騎士団長キドが人生最大級の危機を迎えます。
敵は、皇女殿下。
武器は、恋愛小説。
そして目撃者は、使用人一同です。
公爵城内 キドの自室前
執務と訓練の合間、ようやく自室へ戻ったキドは、扉の取っ手に手をかけ――
扉に手をかけた、その瞬間。
「キド様」
背後から声がして、キドは反射的に飛び上がった。
「ひっ……!」
振り返ると、廊下の角に皇女ラミアが立っている。
「……殿下?」
この場所に皇女が現れる確率、ほぼゼロ。
嫌な汗が、背中をつうと伝った。
「あの、キド様はお部屋に戻られたと伺って……」
(まさか……俺の部屋に……?)
「殿下。お話でしたら、別の場所で――」
その時、廊下の奥から足音が近づいてきた。
(まずい!!)
キドは考えるより先にラミアの手首を掴み、自室へと引き込んだ。
⸻
キドの自室
扉が閉まる。
キドは天井を仰いだ。
(……何してんだ俺……人生で一番まずい判断だろ……)
「ありがとうございます。お招きいただいて」
ラミアはにこやかに微笑む。
キドは青ざめた顔で、やけに真剣な口調になった。
「殿下。これが最初で最後です。
二度と、俺の部屋に来てはいけません」
「?」
「以前、お見舞いに来させていただきましたが……」
「あー……。ありましたね。
俺が限界突破した時ですね」
脳裏に、あの地獄絵図が鮮明に蘇る。
ベッドの上で、ラミアの肩をがっしり掴み、
ガクガクと力いっぱい揺さぶりながら泣き叫ぶ自分。
「小悪魔にならないでぇぇぇ!!」
突然揺さぶられ、訳も分からず首ごとガクガクするラミア。
――混乱。
――錯乱。
――地獄。
キドはズーンと沈んだ。
「ですが、ベッドに上がってはいけません。これは全男性の話です」
「?
以前、ベッドにも上がらせていただきました」
(やめてくれ殿下!!
それ以上俺のトラウマを掘り返さないでくれ!!)
魂が、半分ほど抜けた。
「……こちらへ」
目を逸らしながら、書斎側へ案内する。
キドの自室は、簡素ながら機能的に整えられている。
書斎スペースと寝台は、背の低い仕切りで軽く区切られていた。
ラミアを座らせ、テーブルを挟んだ反対側に腰を下ろす。
キドは視線を逸らしたまま、問いかけた。
「……ご用件は?」
「あの、ここだけの話にしていただきたいのですが」
「ええ。俺もです。
この部屋に、殿下がお一人で来たことを」
二人の間に、妙な緊張が走る。
ラミアは懐から一冊の本を取り出し、そっと差し出した。
キドは受け取り、表紙を見て固まる。
「……令嬢向けの恋愛小説、ですね?」
「まぁ。これは恋愛の本なのですね」
「……」
(なぜ俺に聞く)
「あの、キド様に質問がございまして」
「なぜ俺に?
令嬢向けの本なんて読んでませんよ?
さては、ルード様が――」
「あ、違うんです。
私が勝手に、キド様にお聞きしたくて……」
「……? 何でしょう」
「48頁の5行目なのですが」
(だいぶ読み込んでるな……)
「これは、どういった描写なのでしょうか?」
「……ヤキモチです」
「ヤキモチ……ですか」
「自分以外の異性が、好きな相手に近づくのが嫌だったのでしょう」
「……ですが、この主人公は姫で、この男性は狩人です」
「殿下、恋は立場も身分も選びません」
「望まないところに、勝手に芽吹くものです」
ラミアは顔を上げ、まっすぐキドを見た。
キドも、その視線を真正面から受け止め――
次の瞬間、ぶわっと顔が赤くなった。
(俺は何を語ってるんだ!!
誰だ今の俺!!)
(こんなの、黒歴史になるに違いない!!)
「殿下、立って下さい」
「え?」
背後に回り、両肩に手を置いて、ぐいぐいと出口へ押す。
「もう十分です。
お願いですから、お帰り下さい」
「あ、あの、もう一つ」
ラミアは振り返る。
「何でしょう」
「ヤ、ヤキモチは、その男性が好きだから妬くのですか?」
「……そうでしょうね。この本の話なら」
「その“好き”とは?」
「恋、でしょうね。恋愛の本ですから」
「……恋、ですか」
扉を開け、半ば押し出すように部屋から出す。
――その瞬間。
廊下の向こうで、使用人と女官が、完璧なタイミングで目撃した。
(終わった)
⸻
執務室
椅子に座るルード。
その机の前に立たされているキド。
ロエルは壁にもたれ、冷ややかな視線を向けている。
「説明しろ」
雷鳴のような一言。
「殿下が、部屋に来ました」
「理由は」
「……くだらない質問を。
いえ、失言でした」
「くだらないだと?!」
「殿下は知られたくないようです。
ですから、これ以上は話せません」
ロエルが深くため息をつく。
「何についてだ?」
ルードが低く問う。
「……ユアン嬢から借りた本について、です」
「ユアン嬢……か」
ルードはこめかみを押さえた。
⸻
廊下
「はぁぁぁ……」
魂が抜けたように歩くキド。
後ろから、ロエル。
「ロエル様……」
縋る視線。
ロエルは氷点下の一瞥を投げ、無言で去っていった。
「何故だ!!
俺は被害者だろ!!」
廊下に響く、悲痛な絶叫。
使用人たちは、距離を取りながら、そっと見守っていた。
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