第36話 凛と、疎さ
この回は、皇女ラミアとユアン嬢の、静かな会話の時間です。
……その前に、
ほんの少しだけ虫騒ぎがありますが、
だいたい気にしなくて大丈夫です。
皇宮・貴族会議
休憩の合間。
重苦しい沈黙が、広い会議室に澱のように溜まっていた。
その静寂を破るように、ザグル侯爵がゆっくりと口を開く。
「……公爵殿」
敬称こそつけているが、そこに敬意はない。
鋭く乾いた声が、室内に響いた。
「貴殿が、我が家から切り離した者を保護していると聞いた。
随分と、酔狂な真似をなさる」
ざわめきが、微かに広がる。
ルードは何も言わず、ただ静かにその視線を受け止めた。
「不要な駒を切るのは、家を存続させるための合理的判断。
貴族である以上、そこに情を挟む余地はない」
淡々と、感情の欠片も見せずに言い切る。
「制御できぬ才は、いずれ災いとなる。
あれは、小さな芽のうちに摘むべき類の存在だった」
机に置いた指先が、わずかに動く。
「それを拾い上げた以上、今後あれがもたらす結果は、
すべて公爵家の責となる」
細められた視線が、ルードを射抜く。
「その覚悟が、おありで?」
ルードは短く息を吐き、低い声で答えた。
「覚悟などという言葉で括れるほど、軽い選択ではありません」
その一言に、会場の空気が張り詰める。
ザグル侯爵は、一瞬だけ目を伏せた。
「……そうか」
そして、何事もなかったかのように言葉を続ける。
「ならば、私は口を出さぬ。
切った以上、我が家にとって、あれは過去の存在だ」
ほんのわずか、声が低くなる。
「だが――」
再び、鋭い視線がルードを捉えた。
「拾った者の責は、拾った者が負う。
その一点だけは、忘れられぬことだな」
そう言い残し、静かに視線を外す。
それ以上、この件に触れる者はいなかった。
⸻
公爵城・正門近く
柔らかな噴水の音が響く庭先で、ユアンが不機嫌そうに立っていた。
「どうして、ルード様はおりませんの?」
「貴族会議だそうだ」
煩わしそうに、ロエルが答える。
「……」
ユアンは視線を逸らし、唇を噛んだ。
「手紙くらい、出してから来たらどうなんだ。」
呆れ混じりにロエルが言う。
「……それで、逃げられたりでもしたら困りますわ」
そう言って、噴水の縁に腰掛ける。
ロエルは目を瞬かせた。
「へぇ……。その自覚はあるんだな」
「馬鹿にしないでくださいませ」
ユアンは俯く。
「……わかっています。強引だということくらい」
ロエルは何も言わず、そっとユアンの頭へと手を伸ばした。
その時――
「あ、あの」
声に振り向くと、そこにはラミアが立っていた。
「これは皇女殿下。お初にお目にかかります。ユアンと申します」
ユアンは慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「ラミアです。ルードお兄様が留守と聞いて、ご挨拶に伺いました」
その直後、ユアンは頭にかすかな違和感を覚えた。
「……きゃっ。な、何か、頭に……」
「ああ、虫がついてる」
ロエルがさらりと言う。
「む、虫!? どうして取ってくださらないのです!」
「取ろうとした」
「……した、だけ?」
ハッとしたようにラミアが口を押さえる。
「ご、ごめんなさい……」
突然の謝罪に、ロエルとユアンは揃って首を傾げた。
「?」
「?」
その空気を破るように、キドが駆け寄ってくる。
「ロエル様、何をしてるんですか。皆、集まってますよ」
「ああ」
キドはユアンに向き直り、丁寧に一礼した。
「本日は新設騎士団施設の視察がございますので、これにて失礼いたします」
「そんなことより、虫を取ってくださいまし!」
ユアンが必死に頭を差し出す。
「え? ああ……こちらですね」
キドは慣れた手つきで虫を取り除いた。
「……では、失礼いたします」
ロエルはそのまま正門へと向かっていく。
残されたラミアとユアン。
ラミアは、なぜか頬を赤く染めたまま俯いていた。
ユアンはその横顔を見つめ、首を傾げる。
(……変わった方ですわね)
⸻
新設騎士団施設・視察への道中
馬車の中。
キドはやけに手を気にしている。
「……かゆい」
「何だ?」
「さっきの虫、毒持ちでした……」
赤く腫れた手を見て、ロエルは一瞬沈黙し、
「……お前、ほんと報われないな」
「いえ! 名誉の負傷です!」
涙目で胸を張るキドだった。
公爵城・庭園 ティーラウンジ
手入れの行き届いた庭園に、紅茶の柔らかな香りが静かに満ちていた。
白磁のカップから立ちのぼる湯気が、淡い陽光の中で揺らめいている。
ラミアはそのカップを両手で包み込みながら、先ほどの出来事を何度も思い返していた。
「……先程は、失礼なことをしてしまいましたでしょうか」
ユアンは一瞬だけ視線を上げ、すぐに伏せる。
「いいえ。皇女殿下に、そのようなお気遣いをいただく筋合いはございませんわ」
淡々とした口調。だが、わずかに混じる棘が、場の空気を張り詰めさせる。
ラミアは小さく息を吸い込み、意を決したように言葉を重ねた。
「……私、勘違いをしてしまって」
「勘違い、ですか?」
「それが……とても恥ずかしくて」
自嘲気味に微笑む。
ユアンはその真意を測りかね、軽く咳払いをして背筋を正す。
「ところで殿下。ルード様とは……随分と親しそうにお見受けしましたけれど」
探るような視線。
ラミアは少し考え、ゆるやかに首を傾げた。
「お兄様、ですから」
迷いのない声音だった。
「私にはすでに兄が二人おりますので、ルードお兄様は……三人目のお兄様です」
その率直さに、ユアンの胸に拍子抜けと、わずかな安堵が同時に広がる。
「……そう、ですのね」
カップを口元に運び、そっと息を吐く。
「殿下は、誰からも大切にされる方。……羨ましい限りですわ」
それは、半ば本音だった。
しばし沈黙が落ちる。
庭の木々が風に揺れ、葉擦れの音だけが、二人の間をそっと満たした。
やがて、ラミアがぽつりと口を開く。
「ユアン様はとても凛としていて、……聡明で、お美しい方だと思います」
「……え?」
思いがけない言葉に、ユアンは瞬きをする。
「その……とても落ち着いていて。
お兄様の隣に立つ方として、とてもお似合いだと思います」
一瞬、思考が止まった。
(この皇女、何を……)
「お兄様、きっと幸せですね」
その一言が、胸の奥に、静かに、けれど深く刺さる。
誰も言ってくれなかった言葉。
自分自身でさえ、思うことを許さなかった願い。
「……そんな」
思わず視線を逸らす。
ラミアは、その反応に気づいたのか、少しだけ伏し目がちに微笑んだ。
「……少し、羨ましいです」
ユアンは、はっとしてラミアを見た。
そこには、妬みでも、敵意でもなく、ただ純粋な憧れが滲んでいる。
一瞬、言葉を失う。
胸の奥で、張り詰めていた何かが、音もなくほどけていく。
ほんの一瞬、言葉を失い――
「……調子が狂いますわね」
そう呟いて、そっと視線を逸らした。
だが、その横顔から、先ほどまでの刺は、確かに薄れていた。
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