第35話 すれ違いと剣戟
この回には、
・皇女の立ち聞き
・公爵の訓練
・侯爵家の物騒な教育
が登場します。
なお最後の一つだけ、
誰も止められません。
ラミアは私室の窓際に置かれた椅子に腰掛け、外を眺めていた。
先ほど、ロエル様とユアン様の会話を、偶然耳にしてしまった。
事実かどうかは、わからない。
その真意を、私は知る由もない。
ただ――
ロエル様は、私との婚姻を拒んだことで、
すべてを捨てて――平民を選ばれたのかも知れない。
胸の奥が、静かに軋んだ。
騎士団・訓練場
剣と槍がぶつかる音、掛け声、土を蹴る音。
訓練場は、いつも通りの熱気に包まれていた。
その中央で指導に当たっていたキドが、ふと気配に気づく。
「……ルード様? どうされました?」
振り返ると、外套を羽織ったままのルードが立っていた。
「たまには、身体を動かそうと思ってな」
「……ユアン嬢は?」
一瞬の沈黙。
「……帰った。あちこち見て回って、壁紙を変えるだの、家具をどうするだの言いながら……」
「えっ!!」
キドの顔色が一気に青ざめる。
「ハハ……」
少し離れた場所で腕を組んで見ていたロエルが、乾いた笑いを漏らす。
「もう、完全に周囲から固めに来てるね」
「笑い事じゃないですよ!」
キドは頭を抱えた。
「ロエル様だって、あの令嬢が公爵夫人になるの、嫌ですよね!?」
「……そうなったら、出ていくかもな」
「そこまで!?」
「待て」
ルードが低い声で遮る。
「俺はまだ婚約した覚えはない。安心しろ」
「でも、ルード様、このままだと勢いに押し切られそうですし」
「言えてる」
キドとロエル、二人の視線が無言で突き刺さる。
「……俺が、あの令嬢に押されるように見えるか?」
「見える」
「実際、押されてますし」
即答だった。
「……わかった。もう少し、毅然とする」
キドとロエルは、なおも無言で見つめ続ける。
「……キド、付き合え」
ルードはそう言うと外套を脱ぎ捨て、近くの武器架から槍を取った。
訓練場の空気が、一瞬で引き締まる。
⸻
キドも表情を切り替え、剣を抜く。
「では……参ります」
次の瞬間。
鋭い踏み込みと同時に、剣と槍が激しくぶつかった。
金属音が響き、団員たちが一斉に視線を向ける。
キドの剣は研ぎ澄まされている。
だが――ルードの槍は、それをすべて受け止める。
互いに一歩も譲らぬ攻防。
「さすが……!」
「団長……!」
騎士団員たちの間から、どよめきが漏れる。
やや分があるのはルード――
だが、キドも決して引かない。
鋭い一撃をかわし、懐へ飛び込むキド。
それを槍で弾き返すルード。
数合の後。
先に息を乱したのは、ルードだった。
「……ふぅ。やはり、たまには身体を動かさないとな」
額の汗を拭いながら、苦笑する。
「ユアン嬢を追い返せば、もっと来られますよ」
「……追い返す! いや、来させないようにする」
「無理でしょうね」
キドは即答した。
少し離れた場所で見ていたロエルも、同意するように頷く。
「……無理だろうね」
ルードは、二人の視線を受け止め、遠い目をした。
「せっかく来たんだ。ロエル、お前の実力、見せてみろ」
ルードがそう声をかけると、ロエルはぱっと表情を輝かせた。
「え、いいの?」
「ルード様が来てくださってますし、せっかくですから」
キドも即座に同意する。
その一言で、訓練場の空気が張り詰めた。
ロエルと、ルードの手合わせ。
団員たちは一斉に息を呑む。
「手加減は不要だ」
「……んー、わかった」
どこか軽い返事で、ロエルは剣を構えた。
合図。
一瞬で、間合いが潰れる。
踏み込みは鋭く、剣筋に迷いはない。
次の瞬間、ロエルの動きが、ふっと不自然に揺らいだ。
わざと踏み外すように体勢を崩し、同時に死角へと滑り込む。
その表情から、感情が消える。
「――なっ」
ルードの槍が空を切る。
そこへ、不自然な角度から剣が迫る。
「……今の、何だ」
受け止めながら、ルードの眉がぴくりと動く。
ロエルは再び間合いを取り、淡々と答えた。
「型だけじゃルードには勝てないから、侯爵家式も混ぜてみた」
「は?」
「正攻法で無理なら、戦い方そのものを壊す。今のは――足を折りにいくやり方」
訓練場の空気が、一瞬で凍りついた。
騎士たちの顔色が、目に見えて青ざめる。
「……折る!?」
「大丈夫だよ。ルードの足は折らないから」
ロエルは、ハハと軽く笑って言い切った。
「そういう問題じゃない!!」
怒鳴るルードの声が、訓練場に響き渡る。
「そもそも“折る前提”の戦法を持ち出すな!!」
「えー? 実戦なら、相手が動けなくなった方が早いでしょ?」
きょとんと首を傾げるロエル。
団員たちは、言葉を失う。
「そんな非常識な訓練があるか!!」
怒鳴るルードの横で、キドが深いため息をつく。
「……あるんでしょうね。ザグル侯爵家には」
「お前まで肯定するな」
合図と同時に、
ロエルは、足運び、視線、呼吸――そのすべてが微妙に狂っている。
読めない。
いや、読ませる気がない。
ルードは防御に回らされる。
わずかに、苛立ちが滲んだ。
「……ふざけるな」
「真面目だよ、これ」
淡々とした声で、剣を振るう。
その口元には、わずかに笑みが浮かんでいたが、目は笑っていない。
そこにあるのは、冷静な計算と、静かな殺気だけだった。
「どこがだ!!」
団員たちは口を開けたまま固まり、キドは額を押さえた。
「……あそこは人を育てる場所じゃなく、化け物を製造する家系ですよ、きっと」
最後はルードが力で押し切り、ロエルの剣を弾き飛ばす。
ルードは荒い息のまま、鋭く睨みつけた。
「二度とその戦法を使うな」
「えー? 騎士団では使ってないよー」
ロエルは首を傾げる。
「……当たり前だ」
離れた場所で、団員の一人が呆然と呟いた。
「ロエル様、やっぱり恐ろしい……」
「今さら何を言っている」
キドは乾いた笑いを漏らしながら、静かに胃を押さえた。
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