旅の拾い唄 序 うたを拾う
私の子守歌は、はじめから七つの訛りでできていた。
冬営地で生まれた子は、そういうことになる。旅団の暮らしは冬ごとに土地を変えるから、私を寝かしつけた声も、北の声だったり、湖の声だったり、年ごとに違った。文句も違う。節も違う。それなのに、どの唄でも同じように眠れた。幼心にそれが不思議で、面白くて、気づいたら一生こればかり追いかけていた。
うちの旅団のことを少し書いておく。吹き流れる知恵の収集旅団という長い名だが、始まりは、七種族に会ってみたい、というだけの理由だったと聞いている。だからいまでも、いる人間はだいたいそういう手合いだ。染めの技に惚れて、婚礼のたびに染め場へ潜り込む者。橋に惚れて、渡るより先に橋の裏へ潜る者。七種族の挨拶ひとつを、四十年かけて追っている者もいる。誰も止めない。惚れたものを追うのに、いちいち理由を訊かないのが、うちの流儀だからだ。
私が惚れたのは、唄だった。
若いころ、一度だけからかわれたことがある。唄なんぞ書き取っても、節は紙に載らない。半分しか残らないものを集めて、何になる、と。言った本人に悪気はない。実際そのとおりで、私も返す言葉がなかった。そのとき、当代の知恵袋が煙草を叩きながら言った。
道具の使い方は、道具と一緒に廃れる。だが唄は、使い道が消えたあとも残る。あれはいちばん壊れにくい器だ。半分でも拾っておけ。
私はこの言葉を、手控えの一枚目に写した。それから四十年、写した紙が山になった。
拾い歩いて知ったことを、先にひとつだけ書いておきたい。唄は、暮らしがいちばん忘れたくないことを入れておく器だ。罠の掛け順も、舟を出してはいけない朝の見分け方も、唄になって残っている。嫁に出る娘のために泣いてよい朝は、唄がその泣き方ごと決めてくれる。口に出せば咎められる悪口が、子供の手まり唄の中でだけ、けろりと生きていたりもする。字を知らない里にも、唄はある。というより、字を知らない里ほど、唄がよく働いている。
写し方について、長年のうちに身についた決めごとがある。まず、歌われたとおりに写す。文句が里ごとに違えば、違うまま並べる。どれが正しいかは決めない。唄に正しいはないからだ。それから、唄の場を欠かさず書く。いつ、誰が、何のために歌うか。場を離れた唄は、干した魚のようなもので、形は残っても泳がない。節のことは、とうに諦めた。紙に載らないものは載らない。そのかわりに、拾った日のことを少し書き添えることにしている。誰に教わって、そのときどんな顔をされたか。節の代わりには、ならないけれど。
だからこの一冊は、唄の抜け殻の集まりである。それでいいと思っている。殻さえ拾っておけば、いつか誰かが、どこかの冬営地で、中身の節を思い出す。唄とはそのくらいしぶといものだと、四十年歩いた私は知っている。
山になった紙から、三十の唄を選んだ。並べ方は地方別にした。北から西へ、南へ、湖と浦へ、東へ、それから町へ。仕舞いには、私たち道の者の唄も少し入れた。身内の唄を載せるのは面映ゆいが、道もひとつの土地だと思えば、まあ、許されるだろう。
選から漏れた唄たちには、すまないと思う。悪い唄だから外したのではない。三十しか選べなかっただけだ。
私は去年から足を悪くして、留守方に回った。春になると、車輪は私を置いて出ていく。はじめての留守の春は、正直、こたえた。いまは平気だ。留守番には留守番の唄があると、この齢になって知ったからだ。それは二十九番目に載せてある。
どうぞ、ゆっくり読んでほしい。できれば、声に出して。節が分からなくても構わない。あなたの好きな節をつけてくれれば、唄はそれで、もう半分生き返っている。
王国歴1633年 聖燭の月
南の冬営地にて
サリ・ウィ・ロンネ




