忘れられた王国
※この第五章は、『忘れられた王国』第五章と同じ内容です。
『関東の縄文』第四章を執筆している過程で、
『忘れられた王国』の構想が完全にまとまりました。
現在は次作『もう一つの武士の誕生』の執筆に力を注いでいます。
本作を完結させるため、同章の文章をそのまま掲載いたします。
どうかご理解いただければ幸いです。
忘れられた王国
関東の豪族化は、形だけ古墳が並べられていた。
北川辺では、族長が中心となり、形だけの巫女によって、墓前としての古墳が建てられていた。
弥生化による、余裕が、埴輪製作や古墳づくりでの共闘も、形だけであったようだ。
北川辺では、大巫女が権現堂に移り、竹藪の中の祠が、静かに、立っていた。
ケヤキのリーダーは、既に頭としての豪族の長であったが、浅間山に行き、婆様に挨拶し、那須から逃げた那須の巫女が、密かに祠を建て、権現堂に移った竹藪の祠と同じようにしていた。
それらを確認したケヤキのリーダーは、密かに宇都宮にも顔を出し、ケヤキに戻り、ケヤキの巫女とともに小屋の中で静かにしていた。
奈良では、中央集権のための動きが、色々あったが、東山道によって、関東は、目にとまっていなかったのだ。
日本国内での新たな動きの中で、北川辺の族長だけが、関東の王としての墳墓を建てて三殿台に向けていた。
しかし、関東の本当の動きは、別の所にあったようだ。
千葉の豪族化。権現堂の巫女が豪族としての親方になり、ケヤキの集落では、リーダーが、頭となり豪族化していた。
しかし、巫女たちを含め、動きを止めていた。
武力の強さを誇る関東。
いまは、中央から無視され、密かにそのエネルギーを蓄えていたのであった。
こうして、理を読む者たちの王国は、静かに忘れられていった。
しかし祠だけが、土地の奥底にその痕跡を残した。




