新たな力として
新たな力として
北川辺の大巫女は、自由な考え方をしていた。
つまり、水田の開発、壺を焼くための窯の開発。
自由に受け入れてきていた。
しかも足りないと思った武力も竹弓を取り入れ、力をました。
それと共闘の成功であった。
権現堂野の巫女やケヤキの巫女との話し合いも定期的に行われた。
千葉の報告を受けた大巫女は、海の巫女の力も確認できた。
交流が少しづつ進んだ。
関東の交流が確かなつながりになりつつあった。
千葉の海の巫女も弥生勢力の動きは自由に任せ、海による支配を強めることにした。
壊滅した水田で食べられない部分は海産物で埋め、北川辺との交流で動物の肉も交換する事となった。
まさに川や海の中らを通した交流で安定感が増した。
災害は、海の台風だけでなく、利根川などでも氾濫が起きることもある。
災害に対しての備えという形が国同士の形を作ることになった。
こうした紀元前1世紀頃の弥生化による安定は、巫女の力によって大きく進むことになる。
しかし、安定が続くと、どうしても男たちの政治的な支配欲が生まれてくる。
北川辺でも、千葉でも、男たちの動きが巫女たちを困らせることになった。
まず、千葉では、漁師たちが、まとめて狩猟する形が生まれ、人の位が生まれてきた。
舟の持ち主など、持つものや持たないものが生まれてきた。
水田を中心とした生活でも、水田経営のための身分の高低が生まれてきていた。
海の巫女はコントロールができなかったが、神への冒涜は生まれず、巫女を信仰する力はあった。
漁師たちの武力や水田の中の水利の管理などの格差が生まれてくることになった。
北川辺でも、共闘という新たな動きは、皆を共闘に向ける意識があったが、武力の優位性や個性の違いによって、どうしても命令する者が生まれ、階級が自然に生まれた。
これも北川辺の大巫女や権現堂の巫女には、とうしようも無かった。
人が増え、しかも生活に余裕が生まれると、社会の必然かもしれない。
こうして、世代は動き、紀元前0世紀に入るのであった。
関東がまとまる流れの中で、男の力が確かなものとして支配することになった。
この動きは宇都宮や那須でも同じだった。
弥生化の後期は、男社会への入り口でもあったのだ。
近畿圏の勢力の侵攻も、男社会への圧力になっていたようだ。
空は高く、雲がバラバラと広がっている。
秋の風は涼しく、夕日に向かう、空を赤く染めたいった。




