物語の始まり
物語の始まり
日本列島には、3万年前には人間が入ってきていたらしい。
そして石器時代が発見されたのは、関東で、弥生期の発見も関東だった。
文字のない時代の古代の発見は関東で発見されていた。
では、縄文期はどうだろうか?
調べたら意外に大きな集落があったらしい。作者は、関東に住んでいたのに知らなかった。
何故だ。そこで地図を見てみた。
縄文の初期から中期にかけて、かなり大きな集落が行田にあったらしい。
しかし縄文後期になると行田から遺跡の発掘はないようだ。
しかしそれは利根川の洪水による流路の変化、地盤沈下、気候変動などが重なり大きな集落はこの地を離れたのだ。
ても、遺跡がしっかりと発掘されてないだけで、縄文の集落の可能性を感じた。
そこで物語を考えた。
紀元前6世紀頃、縄文晩期に少人数のグループがいたとしたら面白いかもと思った。
関東は今よりも木々が生えていた森だったと思う。利根川も暴れ川で流れがまとまる前であった。千葉県は、殆どが水の中。
関東はそんな土地であった。
大量な縄文集落は関東平野の水が入り込めない所が多く、行田のあたりは台地も水が被さる場所であったが、かつては縄文初期や中期には大きな集落があったのだ。
利根川の流れが安定してきて、行田八幡神社のあたりに大きなケヤキの木があり、移動する縄文のグループが住み始めていた。
大きなケヤキの木には大いなる精霊を感じていた。
この頃は、自然が、まだ神秘的な動きとして人間を支配していた時代であった。
女は、日々の生活のなかで、細かい気候変動や空気の匂い、地面の動きに敏感で、気候変動やその土地の動きに敏感であった。
いわゆる巫女的な存在であったが、生活を前に進める力があったと思う。
また、男たちは、大きな動物を捕まえて大きな食料をつかむために、仲間を集め、束になって襲撃するものであった。
大きなタンパク質は貴重な栄養源になったに違いない。
女達は、細かい暮らしの変化を伝えつつ、大きな獲物を狙う男たちと一族になって暮らし始めていた。
そこのケヤキの木の前に巫女小屋があった。
そして、そこに女どもが、子どもたちと暮らす小屋がいくつかあって、男どもは、狩りの仲間と寄り添って暮らす小屋があった。
ここから6キロ程度離れた所に利根川が流れていて、川の堤防のようになっていて、台地の方へは水が流れてこない。
そして、丸木舟が何艘か、岸辺に置いてあった。
川の対岸は湿地帯であって、南から運ばれてきた米を皮と交換し受け取り、教えられた通り、苗木にして、水辺に植えて育てていた。
湿地帯を使った田んぼのようなものであったが、このコメは食料になった。
女達は、この他に、川で網を使った漁や木の実などの採取を行なっていた。
女の中心には巫女的な存在の《ゆかり》がいた。
一方、この一族の男は、30代半ばの男がリーダー《よしお》がいて、狩猟を行なっていた。




