99話 世界が引っかかる
足場は、もう足場じゃなかった。
雪那の氷は砕け、凛の細剣は支えを失い、ひなたの大鎌は空を掻く。
三人ともまだ抗っている。
だが抗っているだけだ。
落ちる位置も、潰される順番も、もう変わらない。
ルナリアの圧が空域ごと沈める。
ひなたの身体が傾く。
凛が無理やり踏み込み、雪那が最後の氷を差し込む。
その全部が遅い。
助けようとしている。
だからこそ間に合わない。
この形は、もう何度も頭の奥で見た。
助ける順番を変えても駄目だった。
先にひなたを取れば凛が沈む。
凛を支えれば雪那の足場が砕ける。
雪那を残せば、その次で全員が落ちる。
選び直しても結末だけが変わらない。
その失敗の並びを、今は妙にはっきり掴めていた。
俺はその光景を見ながら、逆に前へ出た。
ひなたへは行かない。
凛も見ない。
雪那の足元も切る。
助ける形を捨てる。
胸の奥で何かが軋んだ。
間違っていると分かる。
この選択は、仲間を見捨てる形にしか見えない。
それでも、ここで全部を拾いにいけば終わる。
終わるだけじゃない。
また同じ失敗へ落ちる。
呼吸を吸う。
止める。
吐く。
一歩目を浅く置く。
二歩目で入る。
視線は上げない。
ルナリアの指先も、圧の落ちる軌道も追わない。
全部見たら遅れる。
それはもう身体に刻まれていた。
ただ、並びだけをなぞる。
呼吸。
足運び。
ずれたまま崩れない形。
失敗が一つに収束する位置。
そこへ、自分から入る。
背後でひなたの短い悲鳴が聞こえた。
凛が何か叫ぶ。
雪那の氷が砕ける音が重なる。
石床が割れ、空へ落ちていく破片の気配まで分かる。
振り向かない。
振り向いた瞬間に、全部終わる。
それはもう嫌というほど分かっていた。
俺はさらに踏み込む。
一歩。
二歩。
ルナリアが近い。
銀の髪が揺れる。
虚ろな目だけが、真っ直ぐこっちを見ている。
さっきまで落としていた圧とは違う。
今度は一点だ。
俺だけを押し潰すための重さが、正面から集まってくる。
喉の奥が冷える。
背筋が理解する。
ここから先は回避の形がない。
横へ切れば間に合わない。
下がれば届かない。
止まればそのまま潰れる。
短剣を握る指が軋む。
踏み込みの深さも、呼吸の長さも、視線を切る位置も、全部がぴたりと揃っていく。
狙って合わせているんじゃない。
むしろ、ここ以外へはもう置けない。
そういう一瞬だった。
間に合わない。
その認識が、今度は迷いなく落ちた。
ひなたは助からない。
凛も雪那も間に合わない。
俺もここで終わる。
その順番も、位置も、呼吸の長さまで、綺麗に揃っている。
拒む余地がない。
外せる場所もない。
この失敗だけが、他の全部を押し潰して残っている。
これだ。
ここでしか起きない。
声にはならない。
叫ぶ必要もない。
ただ確かに、そこへ届いた感覚だけがあった。
前にも一度だけ、同じ形の端に触れた。
その時は理解もできずに流れた。
今は違う。
何が起きるかは知らない。
だが、この並びが必要だということだけは、もう疑えない。
ルナリアの唇がわずかに動く。
古びた笑みが浮かぶ。
その指が、俺へ向かって静かに下りた。
重い。
空気じゃない。
空間そのものが上から落ちてくる。
骨が軋む。
肺が潰れる。
膝が砕ける前に、全身が押し固められる。
視界の端で、ひなたの髪が浮き、凛の肩が沈み、雪那の氷が粉みたいに散る。
全部が同時に壊れる。
逃げない。
避けない。
視線も切ったまま、俺はその重さへ踏み込んだ。
短剣の切っ先が、ルナリアの喉元へ届く寸前で止まる。
身体はもう動かない。
指先も潰れる。
圧が頭蓋の内側まで沈み込み、意識そのものを押し潰そうとする。
視界が黒く欠ける。
耳鳴りだけが残り、身体の境界が曖昧になる。
終わる。
その瞬間、音が消えた。
圧の重さだけが、急に薄くなる。
いや、薄くなったんじゃない。
位置がずれた。
視界が横へ滑る。
ルナリアの目が、さっきまでと違う高さにある。
指先の位置も、俺の足の角度も、短剣の切っ先も、全部がほんのわずかに噛み合わない。
背後で落ちるはずだった三人の気配も、まだ落ちきっていない。
同じだ。
なのに、違う。
一度見たはずの一瞬が、同じ形のまま重なってくる。
押し潰されたはずの胸に、まだ息が残っている。
潰れたはずの膝が、まだ落ちきっていない。
届かなかったはずの距離だけが、妙に近い。
世界が引っかかったみたいに止まり、次の瞬間、遅れて動き出す。
ルナリアの眉が、初めてわずかに揺れた。
「は?」




