61話 これ、私じゃない
☆
ルナリア・ラビット
同時接続数、10万を超える。
配信開始直後にもかかわらず、数字はすでに跳ねていた。
コメントは滝のように流れ、画面の端が白く埋まる。
それでも空気は分かる。
期待と、確信。
この配信は外さないという前提。
専用機材が周囲を旋回する。
幻惑魔法が重なり、私の姿は“ルナリア・ラビット”として映し出される。
月の姫。
白い耳。
整えられた衣装。
私は足場の端で剣を軽く回した。
「ふふ、眷属たちよ。
余の散歩に付き合うがよい」
コメントが弾ける。
「ルナリアきた!」
「帰還率1%にソロは頭おかしい」
「これが協会No.1」
「今日もビジュが強い」
視線を前に戻す。
空の迷宮上層。
足場は細く、間隔は広い。
風は弱い。
その代わり、空間の安定が薄い。
私は踏み出した。
落下。
直前で重力を反転させる。
身体が浮き、前方へ滑る。
風を重ねて軌道を整える。
着地と同時に右へ。
ワイバーンが二体。
後方に鳥型が三体。
一体目が突っ込む。
私は半歩だけ横へずれる。
そのまま剣を振る。
火が走る。
首元、鱗の隙間を正確に断つ。
ワイバーンがその場で崩れた。
二体目。
爪が来る。
私は沈まない。
足元の重力を軽くする。
身体を浮かせ、軌道をずらす。
背後へ回る。
剣を返す。
翼の付け根を断つ。
巨体が落ちる。
上空の三体が散開する。
包囲。
私は左手を開いた。
「逃がす理由がないのう」
水と風を圧縮する。
薄い氷片が広がる。
一体。
二体。
貫かれる。
残る一体は上を取ろうとする。
私は空中に重力の足場を作る。
踏む。
跳ねる。
上を取る。
振り下ろす。
斬撃が魔力ごと叩き割る。
音が消える。
余韻が残らない。
「つまらぬのう。
もう少し遊ばせてもよいと思うが」
コメントが流れる。
「今のでつまらんは草」
「ルナリア格違い」
「別次元すぎる」
「凛とまた組んでくれ」
凛の名前に、わずかに笑う。
あの子なら、この環境でもすぐに順応する。
危なっかしいが、嫌いじゃない。
私は次の足場へ移る。
止まらない。
この高度では停滞が一番危険だ。
三つ目。
四つ目。
着地の瞬間、違和感が走る。
足は触れている。
だが、支えている感覚が一拍遅れる。
身体がわずかに流れた。
私は重力を下へ固定する。
踏み直す。
体勢は崩れない。
足場に異常はない。
ひびもない。
風も変わらない。
それでも、“接地だけが遅れる”。
私は周囲を見る。
距離がズレる。
近いはずが遠い。
遠いはずが近い。
そして一瞬だけ、影が遅れた。
遅れて、追いつく。
私は目を細める。
「退屈はせぬかもしれぬのう」
次の瞬間、違和感は消える。
元に戻る。
私は前へ進む。
着地。
次へ。
三歩目で、見覚えのある足場が現れる。
右端の欠け。
中央の亀裂。
同じだ。
戻されている。
進んでいるのに、位置だけが戻る。
コメントがざわつく。
「今同じ場所じゃない?」
「ルートおかしい」
「迷宮バグってる?」
私は止まらない。
止まる理由がない。
ただ一つ、感覚が変わる。
見られている。
空間の奥から。
私は視線を上げる。
何もいない。
空は広いまま。
浮遊島も変わらない。
それでも、“そこにある”。
音が一瞬消えた。
コメントも、風も。
すぐに戻る。
私は自分の手を見る。
白い指。
剣の感触。
問題はない。
それなのにほんの一瞬だけ、それが自分のものではないように見えた。
境界が曖昧になる。
外じゃない。
内側に触れてくる。
私は前を見る。
次の足場だけが、不自然に安定して見えた。
「……呼ぶな」
踏み出す。
着地の瞬間、また感覚が遅れる。
補正する。
だがその直後、指先がまた一瞬だけ他人のものに見えた。
喉の奥が冷える。
これは迷宮の異常じゃない。
もっと近い。
もっと深い。
私は小さく呟いた。
「……これ、私じゃない」




