60話 まだ浅い
霜界侵食の冷気が、足場全体を薄く覆っていた。
白い霜が石床のざらつきを均し、崩れかけた足場同士を同じ感触で繋いでいる。
それでも中ボスは揺れていた。
定まらない像のまま、こちらを見ている。
余裕は消えていない。
だが、もう無関心でもなかった。
こっちを認識している。
だからこそ、次で仕留める。
俺は息を整える。
胸の奥で心臓がうるさい。
視線を切れば、あいつの位置はまた曖昧になる。
凛が短剣を握り直す。
雪那は霜界侵食を維持したまま、中ボスの動きを見ている。
ひなたは大鎌を構え、呼吸を落としていた。
さっきまでの震えは残っている。
それでも逃げていない。
一撃を当てることだけに意識を絞っている。
中ボスが揺れた。
来る。
凛が先に動く。
「雷閃」
青白い閃光が走る。
当たる直前、中ボスの像が外れる。
やっぱり同じだ。
雪那が白い侵食をさらに広げていく。
足場の端まで、冷たい基準が伸びる。
ズレ幅は減っている。
だが、消えてはいない。
ひなたが踏み込む。
中ボスの視線がひなたへ寄る。
その瞬間、足元が半歩ずれる。
まだ足りない。
凛が雷歩で割り込む。
「雷歩」
ひなたの横へ入り、肩を掴んで位置を戻す。
だが、その直後に中ボスの像がほどける。
凛の足元が外れる。
雪那がすぐに氷壁を立てた。
足場の外へ流れかけた凛が、氷を蹴って戻る。
中ボスは相変わらず動かない。
ただ、視線だけで順番を選んでいる。
試している段階は終わっている。
今は、排除だ。
コメントが流れる。
「またズレた」
「惜しい!」
「今ので当たらないのかよ」
「何を狙えばいいんだ」
その一文が、妙に引っかかった。
何を狙うか。
今までは像を見ていた。
ずれた位置。
当たりそうな輪郭。
そこへ合わせていた。
違う。
合わせる相手が違う。
中ボスが次に雪那を見る。
雪那の右手が、ほんのわずかに遅れた。
氷の起点がずれる。
そこへ凛が雷閃を重ねるが、やはり空を切る。
全部、外側だ。
輪郭。
像。
ずれた位置。
本体じゃない。
その瞬間、視界の奥で何かが弾けた。
世界の音が遠のく。
崩れる足場も、風も、コメントも、すべてが沈む。
代わりに、視界の中心だけが細く絞られる。
中ボスの像がほどける。
何重にも重なっていた位置が剥がれる。
その奥に、たった一点だけ残る。
小さい。
だが、揺れない。
胸でもない。
頭でもない。
ズレ続けていた理由。
全部の歪みが収束する場所。
見えた。
ずっとズレていた理由も、全部。
ここだ。
だが、一点しか見えない。
視界を広げた瞬間に消える。
長くは持たない。
頭の奥が軋む。
それでも離さない。
俺は叫ぶ。
「そこじゃない。
その内側です!」
凛が即座に反応する。
「見えてるの?」
「一瞬だけ!」
雪那が中ボスの進路へ氷を走らせる。
「逃がさない」
凍った足場が白く広がる。
霜界侵食の面がさらに揃う。
凛が雷歩で動く。
一度。
二度。
三度。
残光が足場を走り、ひなたの立ち位置と踏み込み角を微調整していく。
ズレた床を、強引に同じ基準へ引き寄せる。
中ボスの視線が凛へ移る。
ひなたから外れる。
空白。
だが、まだ浅い。
その点は、像と一緒にわずかに揺れている。
もう半拍。
雪那が静かに言う。
「今、浅い」
ひなたが歯を食いしばる。
「まだ待つ!」
いい。
全員が理解している。
必要なのは速さじゃない。
一点への精度だ。
コメントが流れる。
「何か見えてる?」
「一点って何だよ」
「今の止まったぞ」
「やれ!」
中ボスが揺らぐ。
視線が乱れる。
干渉が強くなる。
足場のズレが戻り始める。
ここで終わらせる。
雪那が手を上げる。
白い領域が一段深く沈む。
足裏の感覚が完全に揃う。
凛が踏み込む。
「雷網」
雷の網が視界を遮る。
拘束ではない。
視線を散らす壁。
その隙に雷歩。
ひなたの真横へ。
肩を押す。
半歩だけ前へ。
「氷刃」
雪那が氷の刃を走らせる。
像がぶれる。
点が、止まる。
今だ。
視界の中心で、その一点だけが異様に鮮明になる。
揺れない。
消えない。
俺は息を吐き切る。
「今だ!」
ひなたが踏み込む。
大鎌が最短で走る。
無駄のない軌道。
一点だけを貫く動き。
衝撃が走る。
確かな手応え。
硬い何かが砕ける感触が伝わる。
中ボスの像が一斉にずれる。
中心からひびが走る。
ずれていた輪郭が一点へ収束する。
圧縮。
崩壊。
音もなく、消えた。
静寂が落ちる。
足場の崩壊も止まる。
風もない。
重力も乱れない。
誰もすぐには動かない。
ひなたが呟く。
「……当たった」
凛が短く息を吐く。
「やっと通った」
雪那が消えた位置を見る。
「合理的」
ひなたが顔を上げる。
「そこは普通にすごいでよくない!?」
雪那はわずかに首を傾ける。
「同じ意味よ」
張り詰めていた空気がほどける。
コメントが爆発した。
「今の何!?」
「一点だけ当てた!?」
「意味分からん」
「見えなかった」
「これ人間の戦闘じゃない」
画面の流れは止まらない。
だが、その奥にまだ違和感が残っている。
中ボスは消えた。
だが、この迷宮の異常は終わっていない。
俺は前を見る。
さらに上。
まだ続く空域。
ここは入口に過ぎない。
俺は小さく息を吐く。
「……今のは、まだ浅い」




