51話 最初の一歩から、外さない
準備期間は三日。
短いが、足りないわけでもない。
装備は整えた。
情報も洗った。
残っているのは、選択だけだ。
探索者協会本部の応接室は、静かすぎた。
余計な音がない。
空調の気配すら薄い。
中央のテーブルを挟んで、神谷が座っている。
表情は前と変わらない。
隣に凛。
向かいにひなたと雪那。
俺は正面に座った。
「時間は取らせない」
神谷が口を開く。
「条件を確認する」
端末上に、空域迷宮の簡略図と必要項目が展開される。
報酬。
支援。
責任範囲。
無駄がない。
「本件は特別依頼扱いとする。
成功時の報酬は通常の三倍」
ひなたが息を呑む。
「三倍……」
「加えて、取得素材の優先権を与える。
情報は協会と共有」
凛が視線を動かす。
「失敗時は?」
神谷は一切迷わない。
「救助は行わない」
その一言で、空気が冷える。
「位置情報が消失した場合、捜索対象外とする。
それが空域迷宮の前提だ」
ひなたが視線を落とす。
「……やっぱり、そうですよね」
神谷が続ける。
「配信についても確認しておく」
ひなたが顔を上げる。
「配信、するんですか?」
「任意だ。
ただし推奨する。
今回に限り、協会の試験機を貸し出す」
テーブルに置かれたのは、小型カメラとスマホ型の配信端末。
見慣れた形状だが、外装が違う。
端末には、俺たちのパーティ名が表示されていた。
「ダンジョン内では魔力通信が成立する。
この専用の小型カメラは自動で君達の周囲を追尾する。
自動記録と同時に、外部への配信が可能だ。
既に使用権限は登録してある」
凛が短く聞く。
「操作は?」
「開始と終了のみ手動。
それ以外は自動制御」
俺は端末に触れる。
その瞬間。
視界の端に、薄い違和感が走った。
焦点の外側に、何かが重なる。
半透明の文字列。
一瞬だけ、距離感が狂う。
「……見える」
ひなたが小さく声を上げる。
「え、ちょっと待ってください……
これ、目の中に出てますよね?」
神谷は淡々と答える。
「視界投影型の補助表示だ。
まだ実験段階で、一般流通はしていない」
雪那が端末を持ち上げる。
「試験機」
「ああ。
安定性は保証しない」
凛が目線だけを動かす。
「遅延は?」
「環境依存。
深度が下がるほど不安定になる」
ひなたが眉を寄せる。
「戦闘中にこれ、大丈夫なんですか……?」
「必要なら表示は抑制できる。
配信と記録のための補助だ」
神谷は続ける。
「使うかどうかは任せる」
俺は即答した。
「……使います」
一瞬だけ、喉の奥が重くなる。
それでも、視線は逸らさない。
「見えないなら、外から補う。
情報は多い方がいい」
違和感はある。
だが、邪魔ではない。
慣れれば使える。
神谷は何も言わない。
わずかに頷く。
「帰還率一パーセント。
だが、その大半は戦闘に至る前に消えている」
端末表示が切り替わる。
同時に、視界の端にも同じ文字が浮かぶ。
――環境適応失敗。
「侵入直後に落ちる。
それが主因だ」
凛が腕を組む。
「対策は?」
「確立されたものはない」
神谷の視線が、こちらへ向く。
「だから依頼している」
俺は視界の文字を見る。
揺れている。
わずかに、滲む。
雪那が静かに言う。
「条件は十分」
ひなたがすぐに声を上げる。
「十分じゃないです!
これ普通に死ぬ前提ですよね!?」
「死ななければいいだけでしょう」
ひなたが固まる。
凛が小さく息を吐いた。
「簡単」
雪那は首を傾げる。
「落ちる条件が分かれば、防げる」
凛が視線を細める。
「分からないから一パーセント」
「なら分かればいい」
神谷が表示を切り替える。
「追加事項だ」
名前の一覧。
その中で一つだけ強調される。
ルナリア・ラビット。
「可能であればルナリア嬢の救出を頼みたい。Vtuber名で申し訳ないが、本名を教えるわけにはいかないのでな。
成功すればそちらが望む報酬を可能な限り出す」
ひなたが小さく呟く。
「やっぱり、この人……」
「死亡確認はされていない。
記録が途切れた位置と、今回の出現座標が近い」
凛が顔を上げる。
「生きてる可能性がある?」
「ゼロではない」
ひなたがこちらを見る。
「……助けられるかもしれない、ですよね」
声は震えている。
「怖いです。
でも、置いていかれる方が嫌です。
だから行きます」
凛は静かに席を立つ。
「なら、迷う必要はない」
雪那も立ち上がる。
「面白い」
ひなたが頭を抱える。
「だからその感想やめてください!」
神谷が最後の確認に入る。
「受けるか」
俺は端末を閉じる。
報酬は十分。
条件も明確。
リスクも最初から分かっている。
違うのは一つだけだ。
――今回は、戦う前に死ぬ。
「受けます」
言葉は短い。
だが、それで終わらせない。
「侵入直後に落ちるなら、そこを外せばいい。
見えないなら、見えるようにする。
再現できないなら、その場で組み立てる」
凛が小さく笑う。
「言うのは簡単」
「簡単じゃないです」
神谷が端末を操作する。
「契約成立だ」
その瞬間、警告音が鳴る。
端末の表示が乱れる。
座標ログ。
転移予測。
侵入ポイント。
すべてが揺れている。
凛が眉をひそめる。
「……何これ」
神谷の表情が、初めて崩れた。
「想定外だ。
この段階で収束しないはずがない」
視界の端に、新しい一文が浮かぶ。
――侵入座標、固定不能。
収束失敗。
全座標、分散。
ひなたが息を呑む。
「ちょっと待ってください……
これ、どうなるんですか?」
神谷は即答しない。
ほんの一瞬だけ、判断が遅れる。
「……予定座標は破棄する。
侵入位置は完全ランダムになる」
空気が止まる。
凛が低く言う。
「最悪」
雪那が、わずかに口元を上げる。
「いい」
ひなたが固まる。
「いや全然よくないですけど!?」
俺は視界の端に浮いた情報を見る。
座標が定まらない。
最初の一歩すら、読めない。
つまり。
――入った瞬間から、外せない。
俺は短く言う。
「問題ない」
三人の視線が集まる。
「どうせ、最初から再現なんてできない。
なら、その場で読むだけです」
警告音が続く。
収束しない座標。
崩れた前提。
それでも、やることは変わらない。
空域迷宮は、ただそこにある。
だから。
「――最初の一歩から、外さない」




