136話 神雷化
ルナリア・ラビットの声が、配信に乗った。
その一言だけで、コメント欄の流れが変わる。
さっきまで凛の黒雷とひなたの負傷に荒れていた視聴者が、一斉にルナリアへ向いた。
最強V探索者。
Sランク。
月のウサギの王国の姫。
これまで静観していた存在が、初めて前に出た。
ルナリアは俺の前に立ち、白石から目を離さない。
配信用の幻惑はそのままだ。
月の姫としての姿も、声も、崩れていない。
けれど、空気だけが違っていた。
「悠斗君達は手出し不要じゃ。妾に任せておけ」
ひなたが壁際で顔を上げる。
肩口に血が滲み、右足もまだ動かせない。
それでも、大鎌の柄を握り直そうとしていた。
「でも……!」
ルナリアはひなたへ少しだけ視線を向けた。
笑っている。
いつもの配信用の笑みだ。
だが、その奥に余裕とは別の冷たさがあった。
「まぁ、安心して見ておけ。凛は友人じゃし、昔コラボした仲でもあるからの」
その声は軽い。
けれど、白石の黒雷は止まらなかった。
白石はルナリアを見ている。
いや、正確には、白石の目がルナリアを捉えた瞬間、別の何かが反応した。
白石の瞳から、わずかに残っていた感情が抜ける。
そこにあるのは、冷たい判定だけだった。
危険。
排除対象。
その言葉が、白石本人の意思とは別に並べられていくように見えた。
黒雷が左腕から肩へ這い上がる。
白石の髪が、雷に持ち上げられるように揺れた。
足元の床が焦げる。
コメント欄が跳ねる。
「ルナリアが出た!」
「Sランク介入きた」
「凛さん止まれ」
「黒雷さらに濃くなってない?」
「やばいって」
ルナリアは西洋剣を抜いた。
細い銀の刃が、配信の光を受けて淡く輝く。
その周囲に薄い幻惑の光が揺れた。
飾りではない。
視線をずらし、距離感を狂わせるための魔法だ。
さらに、ルナリアの足元に淡い魔法陣が広がる。
重力が沈む。
空気が重くなった。
白石が一歩踏み出す。
その瞬間、黒雷が身体全体へ逆流した。
左腕だけではない。
肩。
背中。
足。
細剣を持つ手の先まで。
白石の輪郭が、雷に近づいていく。
人の形を保っているのに、人間の重さが薄れていく。
俺は観察する。
魔力の流れが異常に速い。
身体強化ではない。
雷を纏っているのでもない。
白石自身が、雷の性質へ寄っている。
神雷化。
そう呼ぶしかない変化だった。
「凛ちゃん」
ルナリアの声が低くなる。
「それ以上は、本当に戻りづらくなるぞ」
白石は答えない。
次の瞬間、消えた。
雷歩ではない。
これまで見てきた白石の加速とは、別物だった。
残光すら遅れて見える。
移動したのではなく、そこにいた事実だけが置き換わったようだった。
白石はルナリアの横に現れる。
雷断。
黒い線が空間を裂く。
ルナリアの前に、透明な重力壁が歪んだ。
雷の線が壁へ食い込み、火花を散らす。
だが、抜けない。
白石は止まらない。
雷閃。
至近距離から黒い雷が連射される。
ルナリアは剣を傾け、風の膜と重力の層を重ねた。
雷が斜めに逸れ、壁へ吸い込まれる。
白石が再び消える。
背後。
斜め上。
足元。
俺の目でも追い切れない。
雪那が小さく息を呑む。
「速すぎる……」
ひなたも声を失っていた。
コメント欄は悲鳴に近い。
「見えない」
「凛さん速すぎ」
「ルナリア大丈夫か?」
「今何回攻撃した?」
「Sランクでもやばい?」
白石の連撃は止まらない。
雷断。
雷閃。
雷歩。
さらに雷断。
黒雷が空間を裂き、床を焦がし、壁を削る。
ルナリアは押されている。
そう見えた。
だが、傷は入っていない。
重力壁。
風の防御膜。
水の薄い障壁。
幻惑による距離のズレ。
ルナリアはその場で、いくつもの防御を重ねていた。
ひとつで受けるのではなく、全部で流している。
白石の攻撃は速い。
だが、軽い。
神雷化で速度は跳ね上がっている。
思考も加速している。
自動迎撃のように、次々と魔法が出ている。
けれど、出力が完成していない。
速さに火力が追いついていない。
ルナリアの防御を、まだ突破できない。
ルナリアが小さく笑う。
「ふふ、速いのう」
白石が消える。
左。
右。
正面。
三方向から黒雷の軌跡が走る。
幻惑で分身しているのはルナリアの方なのに、今は白石の方が複数いるように見えた。
ルナリアの足元がわずかに沈む。
重力魔法で自分の位置を固定している。
そうしなければ、雷速の圧だけで姿勢を崩される。
それでも、ルナリアは笑みを崩さない。
「じゃが、まだ軽い」
白石の瞳が揺れた。
ほんのわずかに。
それが本人の感情なのか、中にある何かの反応なのかは分からない。
次の瞬間、黒雷がさらに濃くなった。
白石が低く構える。
俺は嫌な予感で短剣を握りしめた。
「ルナリア!」
ルナリアは俺を見ない。
白石だけを見ている。
いや、白石そのものではない。
その周囲に走る、わずかな電流。
本体より先に空間へ流れる細い雷。
先行放電。
雷速移動の直前、移動先へほんのわずかに漏れる前触れ。
俺に見えたのは、ほんの一瞬遅れてからだった。
ルナリアはその前に見ていた。
移動先に先行放電が出る。
だから、ルナリアはそこへ先に身体を置ける。
俺が理解した時には、もうルナリアの肘は空中の一点へ置かれていた。
「そこじゃな」
白石が消えた。
誰にも見えない。
黒雷の音だけが遅れて響く。
だが、ルナリアはもう動いていた。
剣を振らない。
魔法も撃たない。
ただ、身体を半歩ずらし、右肘を空中の一点へ置いた。
次の瞬間。
鈍い音が鳴った。
白石が、そこへ現れた。
自分から突っ込む形で、ルナリアの肘に頬を打たれていた。
黒雷が乱れる。
白石の身体が横へ弾かれ、床を滑る。
片膝をつき、手をついて止まる。
初めて、白石の動きが止まった。
コメント欄が一瞬、空白になる。
それから爆発した。
「え?」
「何が起きた?」
「凛さん飛んだ?」
「今の見えたやついる?」
「ラグかと思った」
「ルナリア何した?」
白石が顔を上げる。
頬に薄い赤みが残っていた。
傷ではない。
けれど、確かに当たった証拠だった。
ルナリアは剣を構え直す。
配信用の笑みを浮かべたまま、赤紫の瞳だけが鋭い。
「ふふ」
その声は、画面の向こうにも届いている。
「速いだけでは、妾には届かぬぞ」
白石の瞳が、初めて揺れた。
黒雷が、低く唸るように弾ける。
けれど次の瞬間、その揺れは消えた。
白石の目が、再び冷たく整っていく。
頬を打たれた痛みも、転ばされた事実も、もう感情には変わらない。
ただ、失敗として処理されている。
黒雷が左腕から全身へ広がり直す。
さっきより濃い。
さっきより深い。
ルナリアの笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。
「……まだ進むかの」
白石は答えない。
ただ、次の最適解を探すように、静かにルナリアを見据えていた。




