131話 配信続けていいの?
刃は、桐崎の喉元で止まっていた。
ほんの少しでも押せば終わる距離だ。
模擬戦としても、探索者同士の勝負としても、結果はもう出ている。
それでも桐崎隼人は、笑っていた。
目だけは笑っていない。
喉に刃が触れかけているのに、視線だけがまだ前へ向いている。
「まだだろ?」
低い声が落ちる。
玲奈が一歩前へ出た。
「もう終わりだよ、隼人。お願い、認めて」
桐崎は答えない。
俺は短剣を下げない。
下げれば、今の桐崎は必ず前に出る。
コメント欄も騒がしくなっていた。
「これ負けだろ」
「格付け完了じゃん」
「まだやるの?」
「桐崎やばい」
「止めろって」
桐崎の手が槍を握り直す。
普通ならありえない。
喉元に刃を置かれた状態で、さらに踏み込もうとしている。
俺は短剣を引き、先に横へ抜けた。
桐崎の槍が空を裂く。
無理な踏み込み。
崩れた姿勢。
戻せない重心。
全部、見えている。
俺は槍の内側へ入り、柄を持つ手首を短剣の柄で打った。
乾いた音が響く。
桐崎の指から力が抜ける。
槍が床を転がった。
そのまま膝裏を蹴り、肩を押す。
桐崎の体が前へ崩れた。
受け身も遅い。
床に片膝をつき、手をつく。
完全に、終わりだった。
広間が静まり返る。
コメント欄だけが、遅れて爆発する。
「終わった」
「黒崎つええ」
「完全に読んでた」
「桐崎、何もできてない」
「これが追放した相手?」
美咲は端末を見ていなかった。
画面では数字が伸び続けている。
だが、その数字を喜ぶ顔はもうない。
玲奈は泣きそうな顔で、桐崎を見ている。
「隼人……もう、立たなくていいから」
桐崎は床に手をついたまま、ゆっくり顔を上げた。
笑っていた。
槍は手元にない。
体勢も崩れている。
勝てる要素は、もう残っていない。
それでも笑っている。
「勝つ」
その声は、さっきまでと違った。
荒いのに、妙に空っぽだった。
俺は短剣を構え直す。
桐崎の周囲の空気が揺れた。
黒い霧ではない。
怪物の形でもない。
ただ、目に見えない圧が、桐崎の輪郭を内側から押し広げている。
勝つ。
勝つ。
勝つ。
言葉にしなくても、それだけが聞こえるようだった。
コメント欄が一気に乱れる。
「何これ」
「桐崎どうした?」
「怖い」
「人間の反応じゃない」
「これ配信続けていいの?」
玲奈はもう応援していなかった。
目の前の人間が壊れていくのを、ただ見ている顔だった。
美咲も完全に固まっている。
数字もコメントも見ていない。
桐崎は立ち上がった。
ふらついている。
それでも前へ出る。
白石が、そこで初めて反応した。
ほんのわずかに目を細める。
「……似てる」
小さな声だった。
俺は白石を見る。
白石自身も、何を言ったのか分かっていないようだった。
けれど、その目は桐崎から離れない。
桐崎の異常の中に、自分と同じ何かを見たのだろう。
合理化。
闘争衝動。
方向は違う。
それでも、何かが人間の形を一方向へ押し固めている感覚は、似ているのかもしれない。
白石の唇がわずかに動く。
「違う」
否定の言葉だった。
だが、その続きは出ない。
彼女自身も、何を否定したのか分かっていないように見えた。
ルナリアが一歩前へ出た。
いつもの軽い笑みは消えている。
「そこまで。それ以上はまずいよ」
桐崎は聞いていない。
床に転がった槍へ手を伸ばす。
指先が柄に触れた瞬間、無理やり立ち上がる。
俺は踏み込む。
桐崎が槍を持ち上げるより早く、俺はその手首を押さえた。
刃を向けるまでもない。
もう勝負にすらならない。
それでも桐崎は笑う。
「勝つんだよ」
その声を聞いた瞬間、白石の指先で雷が弾けた。
バチッ、と小さな音。
一瞬だけ、白い雷に黒い筋が混じる。
左手の指先だけだ。
雷はすぐに消えた。
ほとんどの視聴者は気づかなかったかもしれない。
だが、俺とルナリアは見た。
白石自身も、自分の左手を見ていた。
初めて、表情が動く。
驚き。
痛み。
そして、理解できないものに触れた時の戸惑い。
「最悪」
ルナリアの声は、低かった。
ひなたが大鎌を構えたまま、息を呑む。
雪那も氷を展開しかけて止まっている。
俺は桐崎の手首を押さえたまま、白石から目を離せなかった。
桐崎の異常が露呈した。
そして、それに白石が反応した。
偶然ではない。
この場にある何かが、二人を同じ方向へ引っ張っている。
桐崎はまだ前へ出ようとしている。
白石は左手を見つめている。
コメント欄は混乱していた。
「今の雷なに?」
「黒くなかった?」
「凛さん?」
「桐崎止めろ」
「これ配信続けていいの?」
白石がゆっくり顔を上げる。
その瞳に、さっきまであったわずかな戸惑いが薄れていく。
まずい。
そう思った瞬間、白石の目から、初めて浮かんだ人間らしい動揺が消えた。
代わりに残ったのは、冷たく整った静けさだけだった。




