128話 解析の時
槍の穂先が迫る。
俺は息を吸い、まだ繋がりきらない点のひとつへ足を置いた。
踏み込みは間に合う。
だが、反撃はまだ早い。
桐崎の槍が、俺の肩先を掠めて通り過ぎる。
布が裂ける音と同時に、頬へ熱が走った。
桐崎は笑っている。
「逃げ足だけは相変わらずだな、黒崎」
「そう見えるなら、それでいい」
俺は短剣を構え直した。
桐崎は強い。
以前より速く、重く、反応もいい。
正面から打ち合えば、今の俺では押し負ける。
だから、打ち合わない。
見る。
必要な時だけ、深く見る。
桐崎が再び踏み込む。
槍の連撃。
喉。
肩。
膝。
逃げ道を潰すように、次々と軌道が変わる。
俺は下がりながら、刃の角度だけをずらして受け流す。
完全には防げない。
腕に衝撃が残り、足裏に床の振動が返ってくる。
見た目だけなら、俺が押されていた。
コメント欄も同じ反応だった。
「黒崎ずっと防御じゃん」
「桐崎強い」
「これ押し切られるだろ」
「でも黒崎、目が落ち着いてる」
「何か見てる?」
桐崎の呼吸が耳に入る。
突く直前、ほんのわずかに息が止まる。
力を込めるための自然な癖だ。
一度目。
二度目。
同じ間。
三度目も変わらない。
俺は半歩だけ早く横へ動いた。
槍が空を切る。
桐崎の眉がわずかに動いた。
「ちょこまかと……!」
次は横薙ぎ。
その前に、桐崎の右足が深く入りすぎる。
勝ちたい気持ちが、体を前へ押し出している。
重心が前に乗る。
だから、戻りが遅い。
俺は斬らない。
足を引き、槍の外へ出るだけに留める。
まだだ。
見えているのは癖の欠片だけだ。
ここで攻めれば、見えた気になって外す。
桐崎はその隙を逃さない。
槍を引き戻し、さらに踏み込んでくる。
速い。
重い。
危険。
だが、雑ではない。
桐崎は元々、戦える探索者だった。
技術もある。
経験もある。
だからこそ、今の歪みが分かる。
強くなったことで、前に出る選択が増えた。
押せば勝てるという感覚が、判断を少しずつ狂わせている。
力が増えた分だけ、止まる理由が薄くなっている。
玲奈が息を呑む。
「隼人、少し落ち着いて……!」
桐崎は聞いていない。
槍を振るたび、笑い方が荒くなっていく。
「落ち着く必要がどこにある! 押してんのは俺だろ!」
その声で、さらに踏み込みが深くなる。
当てたい。
倒したい。
証明したい。
その感情が、隠しきれずに動きへ漏れる。
俺は視線を見る。
桐崎は突きの直前、俺の退路を見る。
左へ逃げるか、右へ逃げるか。
ほんの一瞬だけ、目が先に行く。
次の突き。
視線は俺の右後ろ。
なら、本命はそこを潰す軌道。
俺は逆へ動いた。
槍が右後方を裂く。
俺の体は、その外側にある。
桐崎の笑みが、ほんの少しだけ歪んだ。
視聴者も気づき始める。
「避け方変わった?」
「黒崎、慣れてきた?」
「桐崎の攻撃当たらなくなってない?」
「いやまだ押してるのは桐崎」
「でも空気変わった」
ひなたが大鎌を握りしめていた。
「黒崎さん、大丈夫なんですよね……?」
ルナリアがすぐ隣で、軽く笑う。
「大丈夫じゃない? あの顔してるし」
「顔、ですか?」
「うん。あれ、勝つ顔じゃなくて、分かるまで見てる顔。変なやつだよね」
ルナリアは即答した。
理由を聞かれても、たぶん本人はうまく説明できない。
ただ、黒崎悠斗がまだ本気で負ける顔をしていないことだけは分かっている。
そういう顔で俺を見ていた。
いつものように面白がっているようで、少し違う。
桐崎の槍が近づくたび、ほんのわずかに肩が動く。
本人は気づいていないだろう。
自分ではただ興味があるだけだと思っている。
それでも、俺が傷つく瞬間だけ、ルナリアの目が細くなるのが分かった。
白石は違った。
無表情のまま、俺と桐崎の距離を見ている。
止めない。
助けない。
桐崎の焦りにも、玲奈の怯えにも反応しない。
ただ、この戦闘が対抗戦の進行にどう影響するかを測っているようだった。
その冷たさが、広間の空気をさらに重くしている。
桐崎の槍が再び迫る。
今度は連撃だった。
突きから横薙ぎ。
横薙ぎから石突き。
さらに、体ごと押し込む踏み込み。
俺は下がらない。
一歩目を横へ。
二歩目を内側へ。
三歩目で、槍の柄に短剣の背を当てる。
受けるのではなく、流す。
桐崎の腕がわずかに外へ開いた。
そこに隙がある。
だが、まだ狙わない。
桐崎は強引に体勢を戻す。
すぐに追撃が来る。
その戻し方にも癖があった。
外された後、桐崎は必ず力で戻す。
技術で整える前に、腕力で戦線へ戻ろうとする。
強いからできる。
だが、強さに頼る分だけ、動きが荒くなる。
ルナリアが小さく呟いた。
「見つけた?」
俺は答えない。
まだ足りない。
呼吸。
重心。
視線。
戻し方。
点は増えている。
けれど、まだ一本の線にはなっていない。
ここで決めに行けば、桐崎の力に押し返される。
俺は短剣を握り直し、もう一度距離を取った。
桐崎の顔から、余裕が少しずつ消えていく。
「なんで当たらねえ」
低い声だった。
笑いは残っている。
だが、その奥に苛立ちが混ざっている。
玲奈が一歩前へ出かける。
「隼人、もうやめて。動きが荒くなってる」
「黙ってろ!」
桐崎の声が広間に響いた。
玲奈の肩が震える。
美咲も端末から顔を上げた。
白石はまだ止めない。
無表情のまま戦闘を見ている。
桐崎の声にも、玲奈の震えにも反応しない。
まるで、結果だけを観測しているようだった。
玲奈はそれを見て、さらに顔を青くする。
桐崎は槍を強く握りしめた。
手の甲に血管が浮く。
次が来る。
今までより速い。
今までより強い。
そして、今までより荒い。
桐崎が床を蹴った。
突き。
横薙ぎ。
返しの突き。
踏み込みからの叩きつけ。
渾身の連撃だった。
俺は全部避ける。
完全な余裕ではない。
頬に風が当たり、腕に衝撃が残り、足元の石片が跳ねる。
それでも、当たらない。
桐崎の呼吸が止まる瞬間。
重心が前に寄る瞬間。
視線が退路へ流れる瞬間。
それらを拾い続ける。
攻撃が終わった時、桐崎の槍は俺の横を通り過ぎていた。
俺は反撃の体勢に入れる位置にいた。
だが、振らない。
桐崎の目が見開かれる。
「なんで打たねえ」
俺は短く息を吐いた。
まだだ。
ここで斬れば当たるかもしれない。
だが、それは勝ち筋じゃない。
桐崎の歪みは、まだ深いところにある。
そこを見なければ、止められない。
コメント欄がざわつく。
「今反撃できたよな?」
「なんで攻めない?」
「黒崎、何待ち?」
「桐崎の顔やばい」
「これ解析してる?」
ルナリアが少しだけ目を細める。
「ほんと、嫌な戦い方するね」
その声は軽かった。
けれど、どこか安心しているようにも聞こえた。
桐崎が槍を構え直す。
呼吸が乱れている。
重心が前に傾きすぎている。
視線が俺ではなく、その先へ向いている。
焦点がずれている。
目の前の戦いではなく、勝利そのものを追っているようだった。
その欲が、槍より先に突っ込んでくる。
俺はようやく、線が繋がり始める感覚を掴んだ。
呼吸。
重心。
視線。
踏み込み。
まだ完全じゃない。
でも、次でかなり近づく。
桐崎が笑う。
笑っているのに、目は笑っていない。
「逃げんじゃねえぞ、黒崎」
「逃げない」
俺は短剣を構える。
今度は、ただ避けるためじゃない。
見るために構える。
桐崎が床を蹴った。
その瞬間、俺の中で、ばらばらだった点が一本の線になりかけた。
同時に、桐崎の笑みが今までで一番大きく歪んだ。




