125話 接触
俺たちの進む通路が、途中から妙に狭くなった。
地図上では別ルートのはずだった。
桐崎パーティーとは、少なくとも次の広間までは交わらない構造になっている。
なのに、目の前の通路はゆるやかに右へ曲がり、壁の石材まで少しずつ同じ模様に変わっていた。
雪那が足を止める。
「……空間が寄っているわね」
ルナリアも壁に触れ、軽く眉を上げた。
「変だね。普通の迷宮なら、こんな収束しないじゃん」
ひなたが不安そうに周囲を見る。
「収束って……私たちをどこかに集めてるってことですか?」
「たぶんね。理由は分かんないけど、見られてる感じはする」
ルナリアは軽く言った。
だが、その目は笑っていない。
俺も壁を見る。
石の継ぎ目。
足元の砂。
遠くから響く雷の残り香。
普通のダンジョンなら、構造の変化にはもっと明確な魔力の流れがある。
けれど今は違う。
迷宮そのものが、誰かの視線に合わせて舞台を整えているような気味の悪さがあった。
その先で、通路が開けた。
広間ではない。
複数の通路が合流する交差点だった。
向こう側から、桐崎パーティーが現れる。
視界端のコメント欄が一気に跳ねた。
「遭遇した!」
「来た!」
「元パーティ対面じゃん」
「凛さんいる」
「空気やば」
視聴者は盛り上がっている。
けれど、現場の空気はまるで違った。
先頭に桐崎。
その後ろに美咲と玲奈。
少し離れて、白石が立っている。
近くで見ると、画面越しよりもずっと分かる。
白石の呼吸は一定だった。
視線は揺れない。
立ち方にも、手の位置にも、ほとんど無駄がない。
別人ではない。
顔も声も、そこにいるのは白石凛だ。
だが、俺の知っている白石から、迷いだけを丁寧に削り落としたように見えた。
完成されすぎた白石凛。
だから怖い。
桐崎が槍を肩に担いで笑う。
「遅かったな。こっちはもう終わるぞ」
俺は桐崎を見ず、白石へ視線を向けた。
「白石」
白石がこちらを見る。
その反応は早すぎた。
まるで、俺が次に何を言うかを先に処理していたみたいだった。
「問題ない」
まだ何も聞いていない。
それなのに、白石は最短の答えだけを返した。
ひなたが小さく息を呑む。
雪那の目が細くなる。
俺は一歩だけ前へ出た。
「俺は、問題がないか聞いたわけじゃない」
「現在の進行、戦闘効率、身体状態に大きな異常はない。継続可能」
白石の声は淡々としていた。
玲奈がそのやり取りを見て、わずかに顔を伏せる。
彼女は俺たちの方へ視線を移した。
ひなたが気づいて声をかける。
「玲奈さん……?」
玲奈は少し迷ってから、掠れた声で言った。
「……黒崎さんたち、普通ですね」
その一言は、妙に重かった。
普通。
俺たちは特別速くない。
企業側ほど洗練されてもいない。
戦闘中に確認し、迷い、立ち止まる。
それが玲奈には、今は普通に見えている。
つまり、向こうはもう普通ではないと感じているのだ。
美咲が困ったように笑う。
「玲奈、また考えすぎ。向こうは向こうでやってるだけでしょ」
「でも……」
「結果はこっちが出してる。強い方が正しいよ」
その言葉に、桐崎が満足そうに笑った。
「そういうことだ。負け惜しみか、黒崎?」
「勝ち負けの話じゃない」
「あ?」
「それで白石が壊れてもか」
広場の空気が止まった。
コメント欄の流れさえ、一瞬だけ遅くなった気がした。
桐崎の表情が歪む。
「壊れてねえよ。進化してるだけだろ。前より速い。前より強い。前より正しい。どこが悪い」
桐崎は本気で言っていた。
悪意ではない。
白石を道具扱いしているだけでもない。
今の強さを、本気で良いものだと信じている。
だから余計に厄介だった。
白石は何も言わない。
肯定もしない。
否定もしない。
ただ、次に必要な行動を待っている。
その時、交差点の奥で魔物の気配が膨れ上がった。
床を削る音。
壁を蹴る音。
複数の影が通路から飛び出す。
大型の高速魔物が2体。
さらに小型が数体。
桐崎が槍を構えるより早く、白石の足元で雷が鳴った。
俺は反射的に動いた。
「待て、白石」
白石の視線が俺に向く。
一瞬だけ、空気が冷えた。
白石は俺を避けようとしたのではない。
止めようとした相手として見たのでもない。
ただ、進行上の障害物として処理しかけた。
そんな気配が、ほんの一瞬だけあった。
背中に冷たいものが走る。
白石の雷が止まる。
完全にではない。
細剣の周囲で、小さく弾けたまま残っている。
ルナリアが、珍しく笑っていなかった。
「もうかなり深いね」
その声で、白石がわずかにルナリアを見る。
ルナリアは肩をすくめる。
「ねえ凛ちゃん。今、悠斗くんのこと、何として見た?」
白石は答えない。
桐崎が苛立ったように舌打ちする。
「邪魔すんなよ。敵が来てるだろ」
「来てるから聞いてるんだよ」
ルナリアの声は軽い。
けれど、踏み込む位置は容赦がなかった。
白石は敵を見る。
俺を見る。
桐崎を見る。
玲奈を見る。
それでも表情は変わらない。
「今の方が合理的。迷わない。失敗しない」
白石の声は静かだった。
その言葉は、彼女自身のものに聞こえた。
だからこそ、胸が詰まる。
俺は聞いた。
「それ、お前が決めてるのか?」
白石が止まった。
ほんの数秒。
雷の音だけが細く残る。
視線が俺へ固定されている。
だが、その奥で何かが噛み合わなくなったみたいに、返答が出てこない。
初めてだった。
これまでの白石は、何を聞いても最短で答えを返していた。
なのに今だけ、答えが止まっている。
玲奈が震えた声で呟く。
「凛さん……?」
白石は答えない。
その瞬間、足元の迷宮が小さく震えた。
石壁の継ぎ目が、わずかにずれる。
通路の奥の暗闇が、観客席のように深く広がった気がした。
誰も理由を説明できない。
ただ、この迷宮が今の問いに反応したことだけは分かった。
魔物の咆哮が交差点に響く。
桐崎が槍を構え直す。
美咲が炎を展開する。
ひなたが大鎌を構え直し、雪那が氷を張る。
白石はまだ俺を見ていた。
その目に、ほんの少しだけ迷いのようなものが浮かんだ。
次の瞬間、雷が消えた。
消えたのは一瞬だけだった。
けれど、その一瞬で十分だった。
白石の中には、まだ止まれる場所が残っている。
俺はそう思った。
だが、迷宮の震えは止まらない。
まるで、その迷いすら許さないとでも言うように、壁の奥から低い音が響き続けていた。




