112話 綺麗すぎる雷
準備室の空気は、配信画面の中だけが動いているせいで余計に重く感じた。
凛の配信は、まだ続いていた。
俺たちは誰も立ち上がらない。
ひなたは端末を両手で持ったまま、画面から目を離せずにいる。
雪那は腕を組み、表情を消していた。
ルナリアはテーブルの端に腰を下ろしている。
いつもの軽さはなかった。
画面の中の凛を、じっと見ている。
さっき、彼女は言った。
空の迷宮にいたものが、白石凛へ移っている。
その言葉を聞いた後でも、画面の中の凛は凛に見えた。
顔も声も同じ。
細剣の構えも、雷を扱う手つきも変わらない。
だから余計に、何が違うのかを見極めようとしてしまう。
配信画面の端には、企業ロゴの入った小さなバナーが表示されていた。
探索支援企業の名前。
協賛表示。
高性能装備の紹介文。
俺たちの配信とは空気が違う。
ひなたが勢いでコメントを拾い、雪那が必要な時だけ補足し、俺が状況を見て動く。
そういう雑さや余白が、画面の向こうにはなかった。
そこに凛がいる。
その事実が、思った以上に胸の奥を重くした。
配信画面の中で、凛たちは低層の広間へ入った。
企業ロゴ入りのジャケットを着た探索者たちが、無駄のない動きで散開する。
凛はその中心には立たない。
少し後ろ。
全員が見える位置。
戦場を観測するための場所に立っていた。
「右、2体。前衛はそのまま。奥は私が処理する」
短い指示だった。
一人が頷く。
返事はない。
槍を持った男が前へ出て、正面の魔物を受け止める。
よりにもよってこいつと一緒にいるのか。
胸の奥が冷える。
首をふる。
今は配信を見ることに集中すべきだ。
次の瞬間、凛の雷が奥へ走った。
敵が動く前に、逃げ道が塞がれる。
雷が床を舐めるように広がり、後ろへ下がろうとした魔物の足を止めた。
そこへ別の探索者が刃を入れる。
速い。
正確。
見ていて気持ち悪いほど噛み合っていた。
だが、声が少ない。
喜ぶ声もない。
確認する声もない。
互いを気遣う間もない。
敵が倒れる。
次の敵へ進む。
それだけだった。
コメントが流れる。
「連携やば」
「凛さん指揮うま」
「無駄なさすぎ」
「企業案件っぽいな」
「これ配信っていうより作業では?」
ひなたの指が端末の端を握る。
「凛さん、こんなに淡々としてましたっけ」
「淡々とはしていた」
雪那が答える。
「でも、ここまで削ってはいなかった」
削っている。
その言葉が妙に合っていた。
凛の戦闘は、前から冷静だった。
感情で崩れない。
無理に派手なこともしない。
ただ、配信では視聴者に見せる意識もあった。
今は違う。
視聴者がいることは理解している。
カメラ位置も把握している。
それなのに、そこに人がいるという温度だけが薄い。
画面の中で、ひとりの探索者が魔物の攻撃を受けかけた。
凛は雷を放つ。
攻撃は止まる。
助かった探索者が短く手を上げた。
「助かった」
「次、左。止まらないで」
凛は礼に反応しなかった。
それが悪いわけではない。
戦闘中だ。
次の敵が来ているなら、礼より指示を優先するのは正しい。
正しい。
正しいのに、見ているのが苦しかった。
俺の知っている凛なら、たぶん一瞬だけでも視線を向けた。
頷くくらいはした。
あるいは、短く「油断しないで」と返したかもしれない。
そういう小さなものが、今の凛からは抜け落ちている。
ルナリアが小さく息を吐く。
「想像より深いね」
ひなたが振り向く。
「深いって、もう戻れないってことですか?」
「そこまでは言ってない」
ルナリアは即答した。
その声は落ち着いていた。
でも、軽くはなかった。
「まだ戻れる。本人が完全に消えてるわけじゃない。けど、放っておけば戻り方を忘れる」
「戻り方……」
「自分が何を大事にしてたか。誰を待ってたか。そういうものを、必要ないって判断し始める」
俺は画面を見る。
凛はまた敵を倒している。
雷の精度はさらに上がっていた。
無駄がない。
踏み込みも、間合いも、指示も、全部が最短に近い。
必要ないものを削った結果。
そう言われれば、そう見えた。
「白石は、自分で分かってるのか」
「一部は分かってると思う。だから離れたんじゃない?」
ルナリアの言葉に、ひなたが俯いた。
凛は俺たちを嫌って離れたわけじゃない。
自分がおかしいと分かったから、距離を取った。
そう思いたかった。
だが、今の配信を見る限り、その距離は安全なものには見えない。
むしろ、何かに近づいているように見える。
戦闘が終わる。
凛のパーティーは広間の中央で足を止めた。
敵の残骸が光になって消える。
企業側の探索者たちは、淡々とドロップ品を回収していく。
凛は端末を見た。
コメント欄を一瞥する。
そこには、いくつも同じような言葉が流れていた。
「凛さん怖いくらい強い」
「今日マジで別人感ある」
「効率厨になってる?」
「でも強いからいいだろ」
「黒崎たちといた時の方が楽しそうだった」
最後のコメントが流れても、凛の表情は変わらなかった。
見えていないのか。
見えていて、必要ないと判断したのか。
どちらでも嫌だった。
凛は端末から視線を外す。
「休憩は不要。次に進む」
その言葉に、企業側の探索者たちは素直に動き出す。
ひなたが小さく声を漏らした。
「……今のコメント、見えてましたよね」
「分からない」
俺はそう答えるしかなかった。
本当は、見えていた気がする。
けれど、凛がそれを凛の中へ入れなかった。
そんなふうに見えた。
通路へ入る直前、凛がふいに足を止めた。
一秒。
二秒。
細剣を下げたまま、視線だけが宙に浮いている。
周囲の探索者が気づいて振り返った。
「白石さん?」
呼ばれて、凛の瞳に焦点が戻る。
彼女は瞬きを一度した。
「……問題ない」
それだけ言って、歩き出した。
コメント欄がざわつく。
「今止まった?」
「ラグ?」
「凛さん大丈夫?」
「いや配信側のズレじゃね?」
「企業の回線弱い?」
ひなたはもう笑えなかった。
雪那の表情も硬い。
ルナリアは画面を見たまま、指先でテーブルを軽く叩いている。
考えている時の癖なのか、一定のリズムで音がした。
「急いだ方がいいかも」
その言葉は、小さかった。
だが、部屋の中では十分すぎるほど響いた。
「白石に連絡する」
俺は端末を取った。
メッセージ画面を開く。
だが、指が止まる。
何と送ればいい。
戻ってこい。
大丈夫か。
何が起きている。
どれも違う気がした。
凛はたぶん、自分がおかしいことを少しは分かっている。
それでも、あの配信を続けている。
なら、ただ呼び戻しても答えない可能性が高い。
画面の中で、凛は次の広間へ進んでいた。
表情はいつも通りだ。
背筋も伸びている。
歩幅も乱れていない。
けれど、その姿はどこか遠い。
知っている相手が、同じ顔のまま、少しずつ別の場所へ進んでいく。
その背中を、画面越しに見ているしかない。
ひなたが不安そうに呟いた。
「凛さん、大丈夫ですよね……?」
俺はすぐに答えられなかった。
大丈夫だと言いたかった。
言えば、ひなたは少し安心するかもしれない。
けれど、今の凛を見て、それを言うのは嘘になる。
ルナリアが立ち上がる。
「大丈夫にするしかないでしょ」
その言い方は、いつもの彼女に少しだけ戻っていた。
でも、目は笑っていない。
画面の中で、凛の雷がまた敵を貫く。
正確で、速くて、綺麗だった。
綺麗すぎて、人の迷いがどこにも残っていなかった。




