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「無能」と追放された俺、観察スキルで最適解を見抜く配信を始めたら最強探索者になっていた  作者: ささかま
第5章 雷の王女

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110話 空白

協会ラウンジは、昼過ぎにしては空いていた。


探索者用の休憩スペースは広い。

壁際には自販機が並び、中央にはいくつかのテーブルが置かれている。

ダンジョン帰りの探索者が、装備を外して息をついていた。


俺たちは奥の席に座っていた。


今日の予定は探索ではない。

配信試作機のログ確認と、次回配信の相談。

それだけだ。


ひなたは端末を両手で持ち、空の迷宮の切り抜き一覧を見ていた。

画面をスクロールするたびに、妙な顔になる。



「まだ伸びてますよ、これ。コメント欄、考察だらけです」



雪那が紙コップのコーヒーを置く。



「しばらくは騒がれるでしょうね」



「みんな細かいところまで見すぎじゃないですか? 私、落ちかけたところ何回も切り抜かれてるんですけど」



「あなたは分かりやすく危なかったから」



「嬉しくない目立ち方です」



ひなたが肩を落とす。


凛は隣で端末を見ていた。

試作機の録画ログだ。

配信中のコメントと、浮遊カメラの映像が時間ごとに並んでいる。


いつも通りの横顔に見えた。


昨日の配信で感じた違和感も、こうして協会のラウンジにいると薄れる。

照明は明るく、周囲には人がいる。

異常な空気はどこにもない。



「次の配信、どうします?」



ひなたが顔を上げる。



「日常配信でもいいですし、軽い探索でもいいですし。あ、試作機の紹介だけでも需要ありそうです」



「試作機の詳細は出しすぎない方がいい」



雪那が即答した。



「協会装備だから、見せていい範囲を確認するべきね」



「ですよねえ。じゃあ、見た目だけ軽く?」



ひなたが俺を見る。



「黒崎さんはどう思います?」



「神谷さんに確認してからだな。勝手に紹介して怒られるのは面倒だ」



「それはそうです」



ひなたは納得したように頷き、今度は凛へ向いた。



「凛さんは? 次の配信、普通に探索でいいと思います?」



凛はすぐには答えなかった。


ほんの一拍。


端末の画面を見たまま、指だけが止まっている。


それから、凛はゆっくり顔を上げた。



「……普通でいいんじゃない?」



声は変わらない。

ただ、少しだけ間があった。


ひなたは首を傾げる。



「普通って、どの普通ですか?」



「低難度。短時間。試作機の動作確認も兼ねるなら、それで十分」



「なるほど。普通に真面目な普通でした」



ひなたが笑う。


凛も小さく笑った。

その笑い方はいつものものだった。


俺は端末のログへ視線を戻す。

気にしすぎだ。

昨日から少し敏感になっているのかもしれない。


画面には、昨日の配信終了直前のログが残っていた。

コメントの一部にノイズが走っている。

試作機の不具合。

協会はそう処理するだろう。


ひなたが切り抜き一覧を見ながら、また騒ぎ始めた。



「このタイトルひどくないですか? 『大鎌女子、床に感謝する』って」



雪那が少しだけ目を細める。



「事実ではあるわね」



「事実でも嫌なことはあるんです!」



「なら、次から言わないことね」



「それは難しいです。床、ありがたいので」



くだらない会話だった。


そのくだらなさに、少し安心する。


空の迷宮では、床があることすら当たり前ではなかった。

今ここで、ひなたが床に文句を言っている。

それだけで、戻ってきた気がした。


凛もその会話を聞いている。

表情は柔らかい。

少なくとも、さっきまでの違和感は消えているように見えた。


ひなたが端末をこちらへ向ける。



「黒崎さん、このコメント見ました? 『黒崎、説明より先に殴る男』ですって」



「間違ってないな」



「否定しないんですか?」



「説明している暇がない時もある」



雪那が静かに言う。



「説明が足りない時の方が多いけれど」



「それは否定できない」



ひなたが笑う。


凛も笑った。


その時だった。


笑っていたはずの凛の表情が、ふっと止まった。


動きが消える。


大きく崩れたわけじゃない。

倒れたわけでもない。

呼吸はしている。

目も開いている。


ただ、そこにいるのに、意識だけが抜けたように見えた。


ほんの一秒。

いや、二秒もない。


それでも、会話の流れから切り離すには十分すぎる間だった。


ひなたの笑い声が途中で止まる。


雪那が紙コップから手を離した。


俺は思わず声をかけた。



「白石?」



凛の瞳が、遅れてこちらへ戻ってくる。


焦点が合う。


凛は一度だけ瞬きをした。



「……え?」



その反応が、胸の奥を冷たくした。


今の呼びかけに驚いたというより、呼びかけられる状況そのものが分からない顔だった。


ひなたが恐る恐る聞く。



「凛さん、大丈夫ですか?」



「大丈夫、だけど……」



凛は周囲を見る。


俺。

ひなた。

雪那。

テーブルの上の端末。


その全部を確認するように見てから、少しだけ眉を寄せた。



「今、なに話してた?」



ラウンジのざわめきが、急に遠くなった。


ひなたが何か言おうとして、口を閉じる。

雪那の視線が凛の顔から手元へ移った。

俺もすぐには答えられなかった。


凛本人が、軽い冗談で流そうとしていない。


本当に分かっていない。


それが一番まずかった。


凛は小さく息を吐く。



「ごめん。少し、ぼーっとしたみたい」



「疲れてるんじゃないですか? まだ完全復帰したばかりですし」



ひなたの声は明るかった。

けれど、少しだけ無理があった。


凛は頷く。



「そうかもしれないわ」



雪那が静かに言う。



「今日は帰った方がいい」



「そこまでではないわ」



「判断が甘い」



短い言葉だったが、強かった。


凛は反論しかけて、やめた。



「……分かった。今日は帰る」



その返事は普通だった。


普通すぎるくらい、いつもの凛だった。


だからこそ、さっきの空白だけがテーブルの上に残る。


ひなたが慌てて端末を片付け始める。



「じゃあ、今日は解散にしましょう。無理しない日です。そういう日もあります」



「あなたが言うと説得力があるのかないのか分からないわね」



凛が少し笑う。


ひなたも笑い返す。


空気は戻ろうとしていた。

戻そうとしていた。


俺はその流れに乗れなかった。


さっきの凛の顔が残っている。


一瞬だけ、そこに凛がいなかったような顔。

呼び戻された後も、今いる場所を確かめるような目。


あれは疲労なのか。


空の迷宮の後遺症なのか。


それとも、別の何かなのか。


答えは出ない。


ただ、今までの小さな違和感を、気のせいで片付けることはもうできなかった。


凛が立ち上がる。

端末を鞄に入れ、紙コップを片付ける。


その動きはいつも通りだった。


けれど、左手が一瞬だけ止まる。


凛自身は気づいていない。

そのまま紙コップを持ち上げ、ゴミ箱へ向かった。


俺は何も言えなかった。

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