109話 画面越しの違和感
神谷さんから譲渡された配信試作機は、以前と同じケースに収まっていた。
空の迷宮で借りていたものだ。
返却するつもりで協会へ持っていったが、神谷さんは淡々とこう言った。
お前たちの方が扱いに慣れている。
継続使用しろ。
礼というより、実戦データを取るための合理的な判断。
神谷さんらしい言い方だったが、結果として俺たちはこの試作機を正式に使えることになった。
ダンジョン入口の待機スペースで、ひなたが小型の浮遊カメラを見上げている。
「これ、本当に返さなくていいんですよね?」
「神谷さんがそのまま使えって言ってた」
「協会の試験機でしょう。普通なら貸与だけで終わる装備ね」
雪那が端末を見ながら言う。
凛はカメラの追尾角度を確認していた。
細剣は腰に下げたまま。
表情はいつも通り落ち着いている。
「ログの継続取得も目的でしょうね。空の迷宮の記録は、協会側にも価値があるはず」
「言い方が真面目すぎます。もっと、すごい機械もらいました、やったー、でいいじゃないですか」
「あなたがそれを言うなら十分よ」
ひなたが満足そうに頷く。
今日の配信は、復帰後初めての通常探索配信だった。
高難度ではない。
昨日確認した石窟型よりさらに軽い、配信向けの低難度ダンジョン。
目的は、視聴者への生存報告と、試作機の通常運用確認だ。
俺はスマホ型の配信端末を起動する。
浮遊カメラが静かに上がり、俺たちの周囲を一度回ってから、少し離れた位置で止まった。
視界の端に、半透明の表示が浮かぶ。
同接数。
配信状態。
コメント欄。
試験段階のAR表示だ。
邪魔にならない位置へ薄く流れるが、慣れないと少し気になる。
「じゃあ、始めますね!」
ひなたがカメラへ手を振る。
配信が始まった瞬間、コメントが一気に流れた。
「生きてた!」
「空の迷宮組きた!」
「凛さん無事でよかった!」
「ひなたちゃん元気そう」
「黒崎もいる!」
「雪那さん今日も美人」
「平和回で頼む」
コメントの勢いに、ひなたが目を輝かせる。
視界端の表示も追いつかず、数行まとめて流れた。
ひなたは笑顔で頭を下げる。
「みなさん、お久しぶりです!今日はリハビリも兼ねた通常探索です!」
「無理はしない。協会の許可範囲で動く」
俺が補足すると、コメントがまた流れる。
「無理するな」
「黒崎、今日は倒れるなよ」
「試作機まだ使えるんだ」
「画質よくね?」
「ひなたちゃんかわいい」
凛が端末の表示を一瞥する。
「視聴維持率、開始直後としてはかなり高いわね」
「凛さん、いきなり分析から入ります?」
ひなたが苦笑する。
凛は特に気にした様子もなく答えた。
「数字が見えているから。反応を見るには分かりやすいでしょう」
間違ってはいない。
ただ、少しだけ温度が違う気がした。
久々の配信で盛り上がる空気より、数字の流れを先に見ている。
俺はそれを、凛らしい冷静さの範囲だと片付けた。
ダンジョン内へ入る。
通路は明るく、壁には淡い鉱石が埋まっている。
敵も弱い。
最初に出てきた小型の魔物は、ひなたの大鎌の柄で転ばされ、雪那の氷で動きを止められた。
凛の雷が一体を正確に撃ち抜く。
戦闘はすぐに終わる。
浮遊カメラは自動で距離を取り、俺たちの全体が映る角度へ回り込んだ。
空の迷宮では何度も映像が乱れたが、今日はかなり安定している。
それでも、視界端のコメントだけが一瞬遅れて流れた。
「今の連携きれい」
「凛さん今日静か?」
「雪那さん安定」
「大鎌いいな」
「黒崎、仕事してる?」
遅れて届いたコメントの中で、一つだけ目に残る。
凛さん今日静か?
俺が凛を見ると、彼女は倒れた敵の位置とカメラの角度を確認していた。
「今の位置だと、カメラが少し後ろに寄りすぎるわね。前衛の動きが切れる」
「え、そこ見るんですか?」
「見え方は大事でしょう。無駄な移動が多いと、視聴者も追いにくい」
ひなたが困ったように笑う。
「今日は分析モードですね」
「無駄を減らした方が見やすいから」
正しい。
配信として考えれば、凛の言うことは間違っていない。
戦闘の見え方。
カメラ導線。
コメントの反応。
どれも大事だ。
けれど、今日の凛は少しだけ、配信を人ではなく流れとして見ているようだった。
次の戦闘でも、それは続いた。
敵が出る。
凛は雷を撃つ。
倒す順番も、カメラに映る位置も無駄がない。
ひなたが大鎌を振るうたび、凛が短く指示を入れる。
「半歩右。その方が映る」
「え、配信用ですか!?」
「敵の死角にも入れる」
「実用込みだった!」
ひなたが慌てながら位置を変える。
実際、その動きで敵の突進は外れた。
結果は良い。
だが、言葉が少し冷たい。
雪那が凛を一度だけ見た。
何か言いかけたようにも見えたが、結局何も言わなかった。
視界端にまたコメントが流れる。
今度は、少しだけノイズが混じった。
文字の端が滲み、遅れて整う。
「今日の凛さんちょっと違くね?」
「疲れてる?」
「なんか冷静すぎる」
「いや元から冷静では?」
「ちょっと冷たく聞こえるかも」
「黒崎より喋ってるからセーフ」
外から見ても、そう見えている。
その事実が、胸の奥に引っかかった。
俺だけの気のせいではない。
ひなたの受け取り方だけでもない。
画面越しの視聴者にも、ほんの少し伝わっている。
凛はコメントを見ていない。
見ていたとしても、気にしていないのかもしれない。
彼女は敵の残骸を確認し、端末へ視線を落とす。
「戦闘間隔は悪くないわね。もう少し敵が出た方が、配信としては維持しやすい」
「凛さん、今日ほんとに運営側みたいですね」
ひなたが笑って言う。
凛も小さく笑った。
「見られているなら、見やすくするべきでしょう」
それは凛らしい責任感にも聞こえた。
だから余計に、判断しづらい。
配信はその後も順調に進んだ。
危険な場面はない。
ひなたはよく喋り、雪那は必要な時だけ氷を出し、凛は正確に敵を処理する。
俺は試作機のAR表示を何度か確認した。
同接は高い。
コメント量も多い。
空の迷宮の反動で、俺たちの配信は確実に注目されている。
その中に、時々混じる。
凛への小さな違和感。
すぐに別のコメントに流される。
誰も深刻には受け取っていない。
それでも、消えない。
探索を終え、帰還ゲート前で配信を締めることになった。
ひなたがカメラへ大きく手を振る。
「今日はここまでです!次も無理せずやっていきます!」
雪那が軽く頷く。
凛はカメラを見て、いつものように短く言った。
「見てくれてありがとう。次回も必要なら調整するわ」
調整。
またその言葉が残る。
配信終了の表示を押す。
コメント欄が止まる。
浮遊カメラが高度を落とし、俺の近くへ戻ってきた。
急に静かになった。
ひなたが肩を落とす。
「今日は頭使いました……いつもの配信より真面目でしたね」
「効率は悪くなかったと思う」
凛が普通に答える。
ひなたは笑う。
「そこも効率なんですね」
凛は何かを返そうとして、やめたように見えた。
俺は端末を片付けようとして、視界端に残った表示に気づく。
終了済みのコメントログ。
本来ならもう消えているはずの一行が、薄く残っていた。
文字が滲む。
すぐに消える。
それでも読めた。
「凛さん、なんか怖い」
ノイズが走り、表示は完全に消えた。
俺は顔を上げる。
凛は、配信が終わった端末の暗い画面を見ていた。
コメントはもう流れていない。
映像も止まっている。
それなのに、じっと見ている。
「白石?」
少し遅れて、凛がこちらを向いた。
「……なに?」
声は普通だった。
けれどその返事までのわずかな間に、配信中よりも深い静けさがあった。




