107話 見間違いだと思うことにした
駅前の広場は、休日の昼前らしく人が多かった。
協会の検査から数日。
再検査でも大きな異常はなく、探索再開はもう少し待つことになった。
だから今日は、ひなたの提案で買い物に来ている。
ダンジョンでも配信でもない。
ただの休日。
それだけのはずなのに、少し落ち着かなかった。
空の迷宮のあと、何もせずにいる時間が増えたせいかもしれない。
戦っていないと、逆に余計なことを考える。
最後の一秒。
何もなかった最奥。
ルナリアの部屋で聞いた、あの問い。
考えても答えは出ない。
だから今は、目の前の日常に合わせることにした。
ひなたは雑貨店の前で目を輝かせている。
凛はその横で、腕を組んで商品棚を眺めていた。
雪那は今日は別件で来ていない。
「見てください、これ配信用の小物に使えそうじゃないですか?」
ひなたが手に取ったのは、小さな月の形をしたライトだった。
凛が少しだけ首を傾げる。
「あなたの配信なら、もう少し明るい色の方が合うんじゃない?」
「たしかに。月だとルナリアさんっぽいですね」
「本人が見たら、また面白がりそうね」
その名前が出て、ひなたが思い出したように笑った。
「ルナリアさん、配信外だと全然違いましたよね。びっくりしました」
「あれが素よ。配信の方が盛ってるだけ」
「凛さん、前から知ってたんですか?」
「友達だから。全部知ってるわけじゃないけど、あれくらいはね」
凛の言い方は自然だった。
少し呆れたようで、少しだけ柔らかい。
昨日の部屋で見た二人の距離を思い出す。
ルナリアは正式な仲間ではない。
でも、俺たちと無関係でもない。
少なくとも凛にとっては、ただの共闘相手ではないのだろう。
ひなたは月のライトを戻し、今度は別の棚へ向かった。
配信用の飾り。
小物入れ。
なぜか小さなぬいぐるみ。
そのたびに俺が荷物を持たされる。
「黒崎さん、これお願いします」
「まだ買うのか?」
「見るだけです。見るだけのはずです」
「その言い方、もう買う人の言い方よ」
凛が淡々と突っ込む。
ひなたは聞こえないふりをした。
次にひなたが手に取ったのは、妙に丸い鳥のぬいぐるみだった。
顔がゆるい。
目がほとんど点で、口もない。
「かわいくないですか?」
「かわいいかどうかは分からないが、弱そうだな」
「そこ評価します?」
凛がぬいぐるみを見て、真顔で言う。
「配信画面の隅に置いたら、視聴者の注意を奪うわね」
「じゃあ採用です」
「褒めてないわ」
くだらない会話だった。
くだらないのに、妙に落ち着く。
誰かが死ぬかもしれない場所では、ぬいぐるみが弱そうかどうかなんて考えない。
店を出る頃には、俺の手には紙袋が三つ増えていた。
本人いわく、必要経費らしい。
昼食は駅ビルの上にあるカフェに入った。
混雑していたが、奥の席が空いていた。
ひなたはメニューを開くなり、悩み始める。
「甘いのにするか、ちゃんとしたご飯にするか……これは難問です」
「両方頼めばいいんじゃない?」
凛がさらっと言う。
「そんな贅沢していいんですか?」
「空の迷宮から帰ってきたんだから、そのくらい処理できるでしょ」
処理。
少しだけ、耳に残った。
食事に使うには、あまり凛らしくない言葉だった。
言っていることは間違っていない。
ただ、凛ならもっと別の言い方をする気がした。
けれど凛の表情は普通だ。
ひなたも気にしていない。
「じゃあ、処理します!」
「そこは乗らなくていい」
俺が言うと、ひなたが笑った。
注文を終えて、飲み物が運ばれてくる。
店内は明るい。
隣の席では学生らしい二人組が笑っている。
流れている音楽も、ダンジョンとは何の関係もない。
凛は窓の外を見ていた。
その横顔はいつもと変わらない。
「疲れは残ってないのか?」
俺が聞くと、凛は視線を戻した。
「少しはある。でも問題ないわ」
「無理するなよ」
「分かってる」
返事は早かった。
さっき引っかかったものも、すぐに薄れていく。
たぶん、俺が気にしすぎているだけだ。
料理が来ると、ひなたは本当に甘いものと食事の両方を頼んでいた。
目の前に並んだ皿を見て、本人が一番驚いている。
「思ったより多いです」
「だから言っただろ」
「言われてません。止められなかっただけです」
「責任転嫁が早いわね」
凛が小さく笑う。
いつもの凛だ。
冷静で、少しだけ辛口で、それでも面倒見はいい。
ひなたがフォークを持ち上げる。
「でも、今日は食べます。生きて帰った記念です」
「大げさじゃないわね、それは」
凛の声が少し柔らかくなる。
その一言で、空気が少しだけ静かになった。
俺たちは本当に危なかった。
誰か一人欠けていてもおかしくなかった。
ひなたも一瞬だけ真面目な顔をしたが、すぐにパンケーキへフォークを入れた。
「だからこそ、甘いものは大事です」
「そこに戻るのか」
食事は思ったより穏やかに進んだ。
途中で、ひなたが端末を見て声を上げる。
「昨日の切り抜き、まだ伸びてますね。コメントもすごいです」
「怖いから見ないんじゃなかったのか?」
「怖いもの見たさです」
凛も端末を覗く。
「また配信するなら、少し間を置いた方がいいわね」
「えー、でも今なら見に来てくれる人多そうですよ?」
「必要ならやる。でも、無理に増やす必要はない」
必要なら。
また、その言い方が引っかかった。
凛らしくない、とまでは言えない。
合理的に考えれば、その通りだ。
配信は注目されればされるほど、負担も増える。
けれど、今の凛は少しだけ温度が低く聞こえた。
ひなたは気にせず頷いている。
「じゃあ、次は軽めの配信にしましょう。日常配信とか」
「あなたが食べてるだけの配信になりそうね」
「需要ありますよ、きっと」
「否定はしないわ」
会話は普通に流れていく。
俺は飲み物に口をつけた。
考えすぎだ。
そう決めるには十分なくらい、凛は普通に笑っていた。
店を出る頃には、ひなたの荷物がさらに増えていた。
配信用小物に、なぜか限定の焼き菓子。
俺は当然のように持たされる。
駅前で解散することになった。
ひなたは紙袋を一つ抱え直し、満足そうに言う。
「今日は平和でしたね」
「買い物で平和を実感する日が来るとは思わなかった」
「ダンジョンの後だと、何でもありがたく感じます」
凛が小さく笑う。
「そうね。こういう日も必要だと思う」
その笑顔は自然だった。
俺は少し安心した。
凛は改札の方へ歩き出す。
数歩進んで、こちらを振り返った。
「また連絡するわ」
「ああ。無理はするな」
「分かってる」
凛はいつものように軽く手を振った。
そのまま人混みの中へ入っていく。
ひなたが隣で伸びをする。
「じゃあ、私たちも帰りましょうか」
「ああ」
俺は頷き、荷物を持ち直す。
その時、視界の端で凛の背中が見えた。
人混みの中で、凛が一瞬だけ立ち止まる。
表情は見えない。
すぐにまた歩き出す。
本当に一瞬だった。
俺は見間違いだと思うことにした。




