理解の外側
蒼色の炎が静かに揺れ動く。
熱はない。だが、「何かを焼いている」感覚だけが残っていた。
自分でも本当に分からないのだ。
何をしているのか、何が起きているのかさえ。
ただ─────
「……動ける」
さっきまで私の身体を縫い付けていた何かは、既に解けていた。
立ち上がる。
視界の端で、タイルさんの表情が僅かに変化したのが見えた。
その表情は、先程までの作業をしているかのような目とは異なる。
「……興味深い」
「ねえ、それ何?私にだけでいいから、教えて欲しいなあっ」
満面の笑みを含ませて声を弾ませるアリシアさん。
きっと、その心の奥底にあるのはこの蒼い炎に対する好奇心。
「分かりません」
正直に答えた。
「へえーっ」
アリシアさんが目を細める。
「……おい」
タイルさんの低い声が唸りを上げる。
「それ以上、出力を上げるな」
言われて初めて気づく。
蒼い炎がさっきよりも大きくなっていることに。
私は、意図的に炎を大きくしていない。
これが意味することは─────
「勝手に出力が上がってる……?」
「えー……それやばくない?トモリちゃん」
アリシアさんの声にも焦りが滲む。
そして次の瞬間。
炎がぶわりと広がる。
視界の端で壁が「削れた」。
焼けた跡はない。
ただ、存在そのものが消えているようだ。
焦り。
自分で制御ができない。
炎はどんどん強くなる。
止まらない。
また───────
「……チッ」
タイルさんが舌打ちを打つ。
初めて見る表情だった。
「アリシア、下がれ」
「えー、でも……」
「下がれっつってんだろうが」
空気が張り詰める。
その刹那、何かが壊れる音がした。
腕時計からけたたましい音が響く。
「……え」
その音は、私の腕時計から鳴っていた。
『異常現象を察知』
無機質な声。
だがその場の誰よりも強い響きを持っていた。
『権理干渉の限界値を超過』
炎がさらに揺らめく。
視界が歪む。
『制御不能と判断』
アリシアさんは微動だにしない。
『転送します』
タイルさんが目を見開いた。
「待て─────」
最後に聞こえた言葉はそれだった。
身体が軽くなる。
視界が真っ白に塗りつぶされている。
まだ、まだいけるのに。
そう思った時、意識が途切れた。
廊下には、静寂だけが残る。
その場に残ったのは何も無い空間。
そして、ほんの一瞬だけ、蒼い炎が揺れていた気がした。
意識がふっと戻る。
ぼんやりとした白い光。
足元に硬い感触。
「……っ」
ふらつく身体をなんとか支える。
さっきから、少し寒い。
だが、痛みはない。
試験中に負った怪我は既に完治していた。
蒼色の炎の感触だけが手に残っている。
私は、その手をぎゅっと握った。
そして見覚えのある廊下。
だが静まり返っている。
さっきまでのけたたましい銃声も、足音も、全て消えていた。
まるで、最初から何も起きていなかったかのように。
とりあえず、この部屋に入ろう。
そう思い、扉に手をかけた時だった。
「……ねえ、今の見た?」
ダリアさんの声だ。
「見たよ。でもあれは……」
ノアさんの声も聞こえるが、その声は直ぐに止まる。
「なんなんだ、あれ」
ルーカスさんの声が響いた。
低くて、いつもと違う真剣な声。
扉にかけていた手を、そっと離した。
扉を開けることが、できない。
開ければ、いつもの場所に戻る。
開ければ、さっきのことを話すことになる。
開ければ─────
全部終わったことになるような気がした。
本当に終わったのだろうか。
あの炎は。
あの感覚は。
まだ自分の中に残っているのに。
手のひらを見る。
何もない。それでも─────
「……ふぅ」
ゆっくりと息を吐いた。
「戻らなきゃ」
小さく、でも確かに呟いた。
もう一度、扉に手をかける。
今度は迷わない。
扉を開ける。
光と、三人からの視線が一気に流れ込んできた。
扉を閉める音がやけに大きく響いた。
誰も何も言わない。
「……トモリ」
最初に口を開いたのはルーカスさんだった。
ゆっくりと立ち上がる。
その動きには、いつもの軽さが微塵もない。
「お前、さっきの─────」
言いかけて、止まった。
慎重に言葉を選んでいるのだろう。
その間に、ダリアさんが一歩近づく。
「大丈夫?怪我とか……」
「あ、大丈夫です」
短く答える。
事実、傷はこちらに転送された時点で完治している。
でも、完全に無事か?と言われると少し違う気もした。
ノアさんは少し離れたところで、じっと私を見つめる。
観察をする目。
いつもの飄々さは消え失せている。
「あれ、なんだったの?」
ダリアさんの問い。
明らかに動揺している声。
私は考える。言葉を探す。
……見つからない。
「分からない、です」
結局、それしか出てこない。
また沈黙が部屋を支配する。
「……だよな」
ぽつりとルーカスさんが言う。
声のトーンは、いつもの雰囲気に近かった。
「とりあえずすげーのは分かった」
その言葉に、私は目を伏せた。
凄いことなのだろうか。
自分でも分からない。
「炎、じゃなかったですよね」
気づけば言葉を零していた。
三人の表情が、僅かに変化する。
「風が動いていなかったからね」
ノアさんが、やっと口を開く。
「あれは炎では、ありえない」
ほぼ断言しているような物言いだった。
ダリアさんが息を呑む。
「じゃあ、あれってなんなの……?」
誰も答えられない。
答えの存在しない問いが部屋に立ち込める。
私はもう一度手のひらを見る。
何も無い。
けれど、確かに「何か」はあった。
それだけは間違いない。
誰も口を開かない。
時計の秒針の音だけが、静かに響いていた。
すると、突如としてアナウンスが流れた。
『試験が終了致しました。結果は後日発表しますので、速やかに旧校舎から退出してください』
「あ、試験終わったんだ。アナウンスも入ってるし、帰らない?」
ダリアさんがいつも通りのテンションの高い声で言った。だが、いつものような声のハリはなく、無理矢理出しているような声だった。
「俺は残る」
即答だった。
「トモリと、話したいことがある」
そう言ったのはルーカスさんだった。
間違いなく、あの蒼い炎の話をするのだろう。
「じゃあ僕は、ダリアちゃんと一緒に帰ろうかな」
そう言ってノアさんは椅子から立ち上がり、ダリアさんと共に扉の方へ向かう。
扉の前にいた私は二人の通行の邪魔にならないように横にはける。
そして二人はこの部屋を後にした。
部屋に残ったのは私とルーカスさんだけ。
逃げ道は残されていなかった。




