朱音の実家へ
京都の八月は猛暑日が続いた。太陽が意地悪く、燦々とアスファルトを照らし続ける。東大路通や四条通は旅行客で常時混雑し、それが気温の上昇をさらに助長しているように思われる。佑暉はこの日も、学校まで来る間に大量の汗をかいた。
一日目、二日目に続いて、佑暉がドアを開ける時刻には朱音はすでに席に着いていた。日曜日だからか、室内はいつにも増してしんとしているように感じる。
佑暉が入ってきても、朱音は彼を完全に無視するように読書していた。その光景がすっかり目に馴染み、佑暉は何も思うことなく、朱音の後ろを通り過ぎると自席に鞄を下ろす。そして筆記用具を持って朱音の前の席に行くと、前の席の椅子を彼女の方に向けて座った。
朱音は無言のまま佑暉にプリントを渡し、彼は早急にそれに取りかかる。彼の目の前では、朱音が例のごとくスマートフォンを触り続けていた。もはや「そこにいるだけ」の彼女を見ては、佑暉はいつも辟易してしまうのだ。
すると、
「今日は、何もきかん感じなん?」
「えっ」
一問目を解き終わるとほぼ同じタイミングで、朱音がいきなり佑暉に話しかけた。筆を動かしていた手を止め、佑暉は顔を上げる。朱音は、手許に目線を落としたままだ。佑暉はそんな朱音に、戸惑いつつ問い返した。
「ど、どういうことかな」
「いつも色々きいてくるやん。親のこととか」
佑暉はつい前日まで、彼女の両親が離婚してしまった理由や、今でも母親とは連絡を取り合っているのかなど、気になったことを何度かきいていた。だが、いくら尋ねても、何の返事ももらえなかったのだ。
「だって……諏訪さん、何も答えてくれないから」
「じゃあきくけど、なんでそんなに気にするん? あんたには関係ないやろ」
「……関係ないけど、僕も自分のお母さんをよく知らないんだ。僕がまだ小さい時、家を出ていったってお父さんから聞いただけ。だから、なんだか君と似てるなって思って」
佑暉はそう言うと、首周りにチクチクと痒みを感じ、上半身が発熱したように熱くなった。そんな彼に冷たい視線を向けながら、朱音は尋ねた。
「それで、河口はお母さんに会いたいわけ?」
朱音と目が合い、佑暉はさらに鮮烈な恥ずかしさに襲われるが、平静を装って彼女を見つめ返しながら答えた。
「そうだよ。だから言ってるんだ」
佑暉には、朱音も自分と同じ気持ちだろうという思い込みのようなものがあった。しかし、彼女の態度は依然として冷たいものだった。
「そう。でも、もうその話はせんといてな。こっちの問題やから」
「だけど、ほんとにこのままでいいの? 諏訪さん、たまに寂しそうな顔するし。何があったかまでは分からないけど、このままじゃ良くない気がするんだ」
「自分のことみたいに言わんといて。ばりうざいんですけど」
何もそこまで言わなくてもいいのに……と、佑暉はまた落胆する。しかし彼もまた、朱音も母親に会いたいと思っているはずだ、という確信は譲らなかった。普段は冷淡だが、その中にどこか物憂げな心情の渦が見える気がする。捨て猫のように、煢然たる気持ちで毎日を過ごしているのではないか、と疑うことは杞憂だろうか。
これで断わられれば諦めよう。と佑暉は意気込み、朱音に提案した。
「僕は、確かに君のことはあまり知らない。何を考えてるのかとかも殆ど分からないけど……一度だけ、お母さんに会いにいってみない? 君が来てくれたら、君のお母さんも喜ぶんじゃないかな」
口にしてみたものの、また「余計なお世話だ、うざい」などと罵られるのではないかと佑暉は心配になった。だが、しばらくの沈黙ののち、朱音は意外な返答を出した。
「じゃあ、行く」
「えっ」
彼女が予想と正反対なことを言ったので、佑暉は思わず持っていたペン落としそうになる。
「そんなに言うんやったら、行ってみる」
「ほ、本当に?」
「いつかちゃんと向き合わなあかんって思ってたから」
彼女の話を聞き、佑暉はやはり言って正解だったと胸を撫で下ろす。しかし、佑暉が安堵の表情を浮かべているところに、朱音がまたしても思いがけないことを言い始めた。
「そういうわけで、あんたも付き合って」
「えっ、なんで?」
全く慮外なことを言われ、佑暉は目を丸くしながら彼女にきく。まさか、そんなことを言われるなど思いもしなかった。それでも、朱音は当たり前というような顔をして、
「一人やと心細いから」
「だからって、僕がついていったらなんていうか……誤解されるかもしないし」
「いいの。遠くから見るだけやから」
朱音のその言動を不可解に思い、佑暉はそっと尋ねてみた。
「どういうこと、会いにいくんだよね」
「そんなん言ってない。お母さんが元気にしてるか見にいくだけ」
佑暉には彼女の意図がまだよく見えない。
「だけど、僕がついていくのはちょっと……」
「なんで?」
「なんでって……やっぱり、君が一人で行かないと意味がないかと」
「いいから付き合えって、お前が言い出したんやろ」
「お、お前……?」
佑暉が困惑している間に、朱音は帰り支度を始める。
「ちょっと待って、諏訪さん」
と、佑暉が声をかけると朱音は手を止め、
「どうしたん?」
「いや……何でもないよ」
結局、佑暉は朱音についていくことにした。元々、提案したのは佑暉なのだ。それについて責任を感じていたこともあって、朱音に付き添うことにしたのだった。




