お節介野郎
日はまだ高く、真夏の太陽が校舎の周りを包み込んでいる。
朱音は日傘を差しながら、足早に路地を歩いていく。佑暉も無言の彼女を追いかける。四条通に出ると、パンフレットを片手にキャリーバッグを引きずっている旅行客など、佑暉にとって見慣れてしまった光景が二人を迎えた。朱音は足を止めることなく、その中をくぐり抜けるように、最寄りの駅に向かって進む。祇園四条駅の周辺は今日も賑わっていた。
二人は京阪電車で東福寺駅まで行き、そこからさらに電車に乗って京都駅まで行った。駅に着くと、またさらに電車で大阪へ向かう。
混み合っている車内では、朱音が腕を組みながらドアにもたれかかり、観察するように乗客たちを見渡していた。
目的地に着くまでの間、佑暉は朱音にいくらか質問をしてみたが、ことごとく無視された。
「本当に会わないつもりなの?」
「…………」
「お母さんは、諏訪さんが京都の高校通ってるって知ってるの?」
「…………」
という案配にである。
佑暉も途中から何も喋らず、ただ窓の外を走るビル群を眺めているだけであった。
新大阪駅に着くと、改札を出てバス停からバスに乗った。佑暉はこの駅に対して全く好印象を持っていなかったが、仕方がないと呪文のように自分に言い聞かせた。
バスで移動している間、佑暉は隣に座っている朱音をちらちらと盗み見たが、話しかけることはしなかった。数分後、朱音が降車ボタンを押した。停車すると彼女は席を立ち、バスを降りる。佑暉もその後に続く。バスが去ると朱音は佑暉を一瞥したが、無言のまま再び歩み出すのだった。佑暉も憮然とした表情のまま、彼女の数歩後ろをついていく。
しばらく歩くと住宅地に入った。公共の施設ばかりが連なる駅の周辺とは異なり、民家が多く並んでいる。さらに進むと、朱音が足を止めた。
「着いた」
その声を聞き、佑暉は前を見上げる。そこには白壁の一軒家があった。手入れが行き届いていることが目に見えて分かる花壇、きれいに庭を彩っている多種多様な花の数々。この家に、以前は朱音も住んでいたのだろうか。佑暉は想像を膨らませた。
「どうするの?」
佑暉は尋ねた。すると、
「帰る」
と朱音は言って、来た道をまた引き返そうとするのだ。
「もう帰るの?」
「だって、留守みたいやし」
佑暉は改めて家の方を見る。カーテンは閉まり、玄関も電気が消えていて誰かがいる気配は感じられない。しかし、せっかくここまで来たのに帰ってしまうのはもったいないと佑暉は思った。
「お母さん、どこに行ってるか分かる?」
「多分……買い物とか」
「じゃあ、もう少し待ってみようよ」
朱音が振り向くと、佑暉は彼女に対して微笑んでみせた。すると、彼には彼女の口許も少し緩んだように見えた。ようやく素直になってくれたと、佑暉はさらに安堵の表情を浮かべる。しかし朱音は、
「お節介野郎、生意気」
と言って、また彼にデコピンを見舞った。
「痛いよ。もしかして怒ってる?」
「べつに」
朱音はそう言って完全に破顔一笑するが、それはいつも彼女が佑暉をからかう時に見せる、嗜虐的な笑みであった。それを見ると、何故だか佑暉は安堵する。いつもの朱音が帰ってきてくれたという、安心感があったのかもしれない。
その時、佑暉は朱音の後ろから誰かが歩いてくるのに気がついた。右手からビニールの袋を提げ、まっすぐ二人の方に近づいてくる。
年配の女性であった。ある程度の距離まで来た時、佑暉にもそれが分かった。相手も、二人の存在に気がついたように足を止める。そして、二人の方に不思議そうな視線を送る。だが、その女性が見ていたのは佑暉ではなく、彼女に背を向けている朱音だったのだ。
ある予感が佑暉の脳髄を刺激し、彼は朱音に声をかけた。
「あの、諏訪さん。後ろ……」
朱音は怪訝そうな顔をしたが、黙って後ろを振り向く。すると後ろに立っていた女性と目が合ったのか、朱音は固まった。
次に、手に袋を提げた女性の顔が綻んだ。
「朱音……、来てくれたんやね」
彼女は嬉しそうに歩み寄ると、左手で朱音の手を握った。朱音も、身体を完全に彼女の方に向ける。
この女性は、朱音の母親であった。二人の様子を見て、佑暉はそれを確信する。
「元気やったか?」
「うん」
母親にきかれると、朱音は照れくさそうに頷く。
湧き水のように、朱音に対する母親の質問は止まらなかった。勉強のことや友人のことなど、親としてとても心配しているようだった。また、朱音が答える度に何度も嬉しそうに頷いていた。佑暉もその様子を近くからただ見ていると、母親がこんなことを言った。
「それよりあんた、いつの間に彼氏できたん?」
「は?」
朱音は眉をひそめた。
「イヤやわ、もう。はよ言ってよ。えらい可愛らしい子やないの」
笑いながら母親は言うと、朱音の肩を軽く叩いた。そうすると、朱音が振り向きざまに佑暉の顔を見る。佑暉は慌てふためいたように、朱音との関係を否定しようとした。
「いえ、ちが……」
「ちゃうよ」
佑暉が言いきる前に、そこに朱音の声が重なる。
「ただのクラスメイト。彼氏でもなければ、友達でもない」
「じゃあ、なんで連れてきたの!?」
あまりにもにべもない返答に佑暉はかえって混乱し、らしくないことを口走ってしまった。
「あら、そうなん? まあ、あんたの彼氏にしてはえらいおとなしそうな子やと思ったわ」
母親は納得したように首を振るが、佑暉は朱音の発言に対して納得していなかった。半強制的に付き合われた挙句、「友達じゃない」とまで宣言されたのだ。またしても彼女に振り回されている自分に気づき、佑暉は心底嫌気が差した。
すると、朱音の母親が二人を交互に見ながら、袋を持っていない方の手で家を指さす。
「ここやとなんやから、中入り」
母親が門を開けて中に入ると、朱音もそれに続いて庭の中に入っていった。母親は振り返って、佑暉にも目配せをする。入れという意味だろうと彼は理解したが、
「いえ、僕はもう帰ります」
と言って断わった。
「でも、せっかく来てくれたんやし、ゆっくりしていってよ。どうせ、この子に無理やり付き合わされたんやろ?」
隣にいる朱音を見遣りながら母親が言うと、朱音は否定せずに庭の花壇に咲いている花々を見ていた。
それでも佑暉は、
「お誘い、ありがとうございます。でも今日は、お二人でゆっくり話してください。では、僕はこれで失礼します」
と頭を下げると、バス停の方に向けて歩いた。道は覚えている。
朱音は、母親に何を伝えたのだろう。久しぶりに会って、どんな会話をしたのだろう。電車で窓側の席に腰掛け、外の風景を眺めながら佑暉はそんなことを考えた。
表には出していなかったが、朱音も母親に会えて嬉しかったに違いない、という確信が彼の中にはあった。そして次第に、佑暉も東京に帰る日が待ち遠しくなった。父に会ったらまずは何を伝えようかという、めくるめく思案だけが彼の脳内を駆け巡る。
いつしか、西の空が僅かに赤く染まっていた。




