39.タクシー運転手
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定刻通りに到着した弘前駅は、四角いモダンなフォルムに透明なガラスが何枚も貼り合わされてできていて、景観を楽しむ要素がいくつも組み込まれていた。
さらに嬉しいことに、弘前駅前周辺にある置物や建造物にも美術的要素があちこちに散りばめられていて、美大生の僕の目を惹きつけるのには十分すぎた。
例えば、「りんごのまち 弘前」と書かれれた郵便ポストの上に、大きな林檎の置物が乗っかっていたり、「りんごの風」と書かれた大きな台座の上に林檎を持った男女の銅像が彫られていたりと、終始、林檎推しが強かったが、これはこれでなかなか面白い。
徳島にも取り入れるとするならば、郵便ポストの上にスダチが乗っているわけだが…。
それはもはや子どもの悪戯にすぎない。
無駄な想像をシャットアウトし、もう一度ぐるりと周辺を見渡した僕は、自分の気分があからさまに高揚していることに気づく。
ワクワクが止まらない。
急いでズボンのポケットから携帯を取り出し、写真を撮る準備をする。
カメラアプリを起動して、真ん中に駅を…と。
あることに気づいた。
そう、ずっと首にぶら下がっていたニコンだ。
ここで使わなければ、まさに本末転倒だ。
僕はコソッと携帯をポケットにしまった。
ニコンのレンズから覗く初めて見た景色は黒だった。
そりゃそうだ。
レンズカバーを外していない。
これはかなり恥ずかしい。
後ろを振り返ると、誰もいなかったので一安心する。
これから先、こんなミスが連発したとしても、そこはこう、軽く流すか、完全に目を瞑るかして欲しい。
多分、結構やらかすはずだから。
翔に使い方を教わっていなくとも、流石にボタンの押し方ぐらいは分かっていたので、撮影ボタンをカチッと押す。
青森に来て最初に撮った一枚。
その記念すべき一枚目のモデルは、この弘前駅だった。
見事に晴れ渡った快晴に感謝して、僕はまたニコンを首にぶら下げた。
「どちらまで?」
「あ、えっと、弘前◯◯ホテルまで」
「あの、お城のとこの」
「え? あ、はい、多分…」
「ん? 弘前◯◯ホテルですよね?」
「そうなんですが、今、観光で来てまして。この辺の道はあまり分からないというか…」
「あー、そうでしたか。だば、任しとって下さい。多分、あそこだと思いますんで」
「すみません。よろしくお願いします」
「だば、17号をそのまま上がって行きますね」
「え?」
「この前の道を右にこう、グーッと。ね!」
だば、道は知らんて。
「あ、はい。多分それで大丈夫? だと思います」
「はい。では出発します」
バタン。
ドアが閉まり、僕を乗せたタクシー運転手が「弘前◯◯ホテル、弘前◯◯ホテル」と無線に呼びかけると、ウインカーを右に出し、僕の知らない17号とやらに向けて走り出した。
乗り込む前に見たタクシードライバーのおじいちゃんは、優しい顔をしていて、髪の毛が全て白髪だった。
おじいちゃんの方言(津軽弁かな?)もあり、改めて
知らない土地に来たことを実感するした僕は、「だば」と言う言葉の意味をすでに理解し始めていた。
おそらく「では」とか「なら」みたいな意味だろう。
運転手のおじいちゃんの言葉は、方言意外にも独特の間や訛りがあって、言葉のアクセントをつける位置や、何よりイントネーションが大きく違っていた。
窓の外を流れる百貨店やビル群を見上げていると、運転中の彼が話しかけてきた。
「どこからいらっしゃったんですか?」
「徳島です」
「えっ! あの、四国の?」
「はい」
「わいは!」
「??」
多分、方言だと思う。驚いた様子の彼はさらに続ける。
「なんでまた青森なんかに。観光なら北海道の方がいっぱいあるでしょ?」
僕に気を使ったのか、彼が無理に標準語を使おうとしているのが分かった。喋り方がとぼとぼしい。
「ちょっと、友人に頼まれまして…」
「お土産かなんかですか?」
「お土産…みたいなものですかね、多分」
「そうですか。遠いところわざわざありがとうございます。したばて、この辺はなんもねーですよ。りんごさあるだけですから」
「りんごがあるだけで、十分じゃないですか。徳島なんて、スダチですよ」
鉄板の自虐ネタだ。
「わいは! 徳島はスダチが有名なんですか?」
「はい。同じ柑橘類仲間ですね」
「いやいや、りんごはバラ科の植物だはんで、柑橘類ではねぇんですよ」
「そうなんですか? すいません」
「いやいや、あっ、もうすぐ着きますよ」
ちょいちょい津軽弁を交えながら話す彼は、ゆっくりと減速を始め、ホテルの前にタクシーを止めた。
「ありがとうございました。1120円です」
彼が言い終わると同時にタクシーの自動扉が開いた。
僕は財布にいた野口英世2人と交換に、たくさんのコインを彼から貰う。
「いつまでこちらにおられるんですか?」
右手にハンドルを持ったまま、彼が首を後ろに回した。
「それが、まだはっきり決まってないんですよ」
「あ〜、そうですか。再来週から、『ねぶた』ばあるんですけどね。見に行かれます?」
「そうですね。滞在期間が延びれば、是非」
「是非一度見てみて下さい。圧巻ですよ。もし無理なら、ここをちょっと行った先に資料館があるはんで、模型ならそこでも見れますから」
「そうなんですね。わざわざありがとうございます」
「いえいえ」
ピピッ!!
「おっと、いかん」
後ろにいた厳つい黒の国産車がクラクションを鳴らす。
僕は押し出されるようにタクシーを飛び降りた。
「ほんと、ありがとうございました」
「いえいえ。よい旅を」
彼はニコッと笑うと、急いでその場を走り去った。
後ろにいた黒い車の運転手は若い男性で、歳は多分、僕とそんなに変わらない。
車を改造してあるのか、アクセルを踏む度にブルンと音がしていた。
ふと助手席に目をやると彼女と思わしき若い女性が座っていて、僕はなんだか悲しくなった。
予約したホテルの中は、入ってすぐにフロントがあり、左手には朝食バイキング用の椅子やテーブル、配膳台が並んでいた。
黒を基調とした内装や、天井のガラス玉が並んだシャンデリアなど、その全てが清潔感に溢れていて、つい先日までただの学生だった僕は、こんな立派なホテルに泊まっていいのか不安になる。
「いらっしゃいませ」
受付の女性が、礼儀正しく頭を下げた。
「ご予約のお客様ですか?」
「はい」
「では、こちらにご記入をお願いします」
彼女はカウンターに置いてあった紙とボールペンを僕の前に差した。
なんだこの握りやすいボールペンは!
それになんだろう、すごく冷たい。
絶対、高いぞ、このボールペン!
衝撃を受けながらも、名前、年齢、住所、電話番号を紙に書き入れていると、僕の名前をカンニングしていた彼女は、パソコンに僕の名前を打ち込み、確認作業を行なっていた。
「ご予約確認致しました。今日から5泊、禁煙のお部屋でお間違いないですか?」
「はい。あと、宿泊なんですが、まだ何日泊まるか決めてなくて。最悪、延長とかできますか?」
「そうですか。すいませんが、再来週は全室満室を頂おります。他のお客様のキャンセルが出た場合のみ対応させて頂く形になりますが、それでもよろしいですか?」
まぁ、仕方ない。
再来週からねぶた祭りが始まるからだろう。
今から他のホテルを探しても、結果は同じだ。
「では、それでお願いします」
「かしこまりました。それから、もしキャンセルが出たお部屋が喫煙のお部屋だった場合は、いかがなさいますか?」
これも仕方ない。
「喫煙でも大丈夫です」
「承知致しました。お部屋が空き次第、随時ご連絡差し上げますので。では、お部屋は5階504号室になります。奥にあるエレベーターをお使いください」
ルームキーを受け取った僕は、彼女に一礼してからエレベーターに乗り込んだ。
部屋に入ると、すぐ奥にベッドが見えた。
僕は手に持っていたイーゼルと肩に背負っていたカバン、首にかけたニコンの3つの装備を全て取り外し、ベッドに倒れ込んだ。
そしてそのまま、深い眠りに落ちた。




