38.青森空港
38
「乗り継ぎ、結構疲れるぞ。マジで」
翔が助言をくれたのは、旅に出る2日前の夜だった。
携帯に夢中だった僕は、それを平然と聞き流す。
だって別に気に留めておくほどのことじゃないし、今は旅行カバンに詰め込むリストをメモってる最中なんだから、余計なことを頭に叩き込む必要はない。
僕は黙って「折り畳み傘」と携帯に打ち込む。
「コン、聞いてるのか?」
「うん、もちろん。聞いてる聞いてる」
聞いていない。
「体力つけとけよ。バカにできないほど疲れるから」
「ははっ。大丈夫だよ。人混みは大阪で慣れてる」
「いや、人混みもそうだけど、違った意味で」
「ん?」
「疲れるってことだよ」
「大丈夫だって。たかだか飛行機を乗り換えるだけだろ?自分で車を運転するわけじゃあるまいし、疲れる意味が分からないよ」
「ま、そう言うなら任せるよ」
翔はそう言って、つまらなそうにコーヒーをすすった。
翔はきっと、次の搭乗口までの動線が長いとか、待ち時間が退屈だとか、そういった類の疲労感を僕に伝えたかったのだろう。
その時は、ただそれぐらいにしか思っていなかった。
青森空港に着いた僕は、弘前駅前行きのバスターミナルのベンチに座り、凝り固まっていた両腕を地面に垂らす。
マジで本当に疲れた。
立ったり座ったりの繰り返し。
荷物を上げたり下ろしたりの繰り返し。
隣の席は男だし。
翔の言っていたことは正しかった。
このままここに布団を敷いて、寝たい。まださらに1時間ほどバスに揺られなければならないのだが、今は忘れたほうがいい。
今朝、母が入れてくれたお茶を飲む。乾いた喉に水をやると、勝手に声が漏れ出した。
「あー…」
親父がビールを飲んだ時のような声だ。
おっさんと言われても仕方がない。
これぞ正に至福のひと時!なんてな。
そんな言葉を使っていいのは、この暑さの中、工事現場で必死に働いている職人さんが、自動販売機で買った冷たいブラックコーヒーを飲んだ時だけだ。
喉を潤した僕は、水色の空上を見上げ、目を閉じる。
鼻から大きく息を吸いとれたての新鮮な空気を肺に送る。
ご自由にお取り下さいと書かれていたここの空気は、瀕死寸前だった僕の五臓六腑を見事に回復させ、皮膚にこびりついていた羽田空港の雑音を綺麗に洗い落とした。
再びゆっくりと目を開けると、広がった空は、どこまでも遠くて、穏やかで、青くて。
僕と混ざると、恐ろしいほど絵になる。
明日いきなりCMのオファーが来てもおかしくない。
黄ばんだ汗が腕時計に染み混んでいた。
ふと目をやると、時刻は13時40分だった。
まだお昼ごはんも食べていない。
1時間以上もバスを耐える自信がなかった僕は、空港内にあったコンビニでツナマヨおにぎりを2つ買い、すぐさまバスターミナルに戻った。
出発まであと5分というのに、弘前駅前生きのバス停には、僕以外に誰もいなかった。
周りをぐるりと見渡すと、たくさんの車が並んだレンタカーショップや、空港に併設されたお洒落なビルが目に入り、自分が異世界に来たことを実感できた。
ベンチに踏ん反り返っていた僕が、ちょうど2個目のおにぎりを食べ終わった頃、タイミングよく14時05分発のリムジンバスが到着した。
白、緑、オレンジでカラーリングされたバスの側面には、このあと通過する停留所が書かれていて、目的の弘前駅前まではあと2つしかなかった。
1時間以上かかるのに、たったそれだけなのかと不思議がっていると、50歳前後の運転手がバタバタと降りてきて、バスの下腹部のトランクルームをガバッと開けた。
「すいません、お待たせして。お預かりします」
彼はそう言って、僕が背負っていた旅行カバンと、左手に持っていたイーゼルを受け取ろうと手を差し出してきた。
「あっ、大丈夫です。持って入るので」
「あっそうですか、なら」
彼が悲しそうにトランクルームのドアを閉めた。
これから1時間以上ともにするバスの運転手の指揮を下げてしまった僕は、せめてもの罪滅ぼしに、彼に簡単な質問した。
「あの、すいません。このバスって、弘前駅前まで行きますよね?」
「弘前駅前ね。はい、大丈夫ですよ」
死ぬほど恥ずかしかった。




