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フォックスの翼  作者: ジョニー
第1章
36/46

36.父の過去

36


空港に向かう車内では、FM徳島のラジオアナウンサーの楽しそうな声が流れていた。


全国高校野球選手権大会はまだ開幕されていなかったので、地方局のラジオ放送をただ垂れ流しているだけの父は、運転に集中しているように見えた。


「お前、母さんにちゃんと挨拶したか?」


当たり前のことを聞くぐらいなら、別に聞かなくていい。


「うん」


「そうか」


沈黙にならなかったのは、このラジオのおかげだ。


運転する父の隣で携帯をイジるのは、流石に失礼だと思い、僕は目の前の景色を楽しむことにした。


ラジオアナウンサーが、リスナーからのリクエストを読み上げ、女子アイドルグループの曲が流れ始めると、車内は陽気な音楽に包まれた。


普段なら聞き流す程度のアイドルグループの曲でも、隣に父親がいて一緒に聴くとなると、気まづさを感じるのは何故だろう?


「後ろ倒してもいいぞ」


信号待ちをしていた父は、座席をリクライニングにすることを僕に勧めた。


特に眠たいわけでもなかったのだが、父の精一杯の気遣いを無駄にしてはいけない。


僕は言われるがまま座席を倒した。


今日の父はやはり機嫌がいい。


ふと見上げた車の天井には、細長い擦れキズがあり、釣竿をそのまま放り込んだ時についたものだと勝手に推測した。


「おい。お前、どういうつもりだ」


訂正しよう。今日の父は機嫌が悪い。


「何しに青森まで行くのか知らんが、絵を描きに行くならやめろ。このまま引き返す」


僕は思わず首を持ち上げた。


「どうなんだ」


「どうって……」


「何しに行くんだ? あ? 言ってみろ」


空港に向かうまでの道中が、まさかこんな重い空気になるなんて、思ってもみなかった。


「聞こえたのか」


質問を繰り返す父に、若干イライラしてきた僕は、思わず声を漏らした。


「分かってるくせに」


「なんだと」


父は、僕が絵を描きに行くことを知っていたはずだ。


車に乗り込む際、収納袋に入れた折りたたみ式のイーゼルがドアにぶつかったのを、父は見逃さなかった。


「ちゃんと言え」


「東北観光」


「嘘つけ。じゃあ、それは何だ」


父は後部座席に置いたイーゼルを指差した。ほら見ろ、分かってるじゃないか。


「分かってるなら、聞くなよ」


「帰るぞ」


父はすぐさまウインカーを左に出した。


「何やってんだよ」


「うるさい。帰る」


父はその次の信号を左折した。僕は本当に焦った。


「は? もう飛行機予約してあんだぞ」


「乗らなくていい」


「は? ふざけるなよ」


「ふざけてるのはどっちだ。高校も中途半端に通ってたやつが、何が東北観光だ。馬鹿馬鹿しい。お前みたいなやつはな、どこに行ったってダメに決まってるんだよ。今だってそうだろ。大阪で絵の勉強だか何だか知らんが、ったく、母さんが甘やかすからいけないんだ」


「いい加減にしろよ」


感情が抑えきれなくなった僕は、言ってはいけないあの一言を、ついに言ってしまった。


「高校最後の試合で『サヨナラエラー』したくせに。偉そうに説教してんじゃねぇよ」


すると突如、車がよなよなと減速を始めた。


力なく走る父の車は、左脇にあったコンビニに入っていった。


コンビニの前では、サラリーマンが外でおにぎりを食べていたり、30歳ぐらいの露出度高めの服を着た女性が電話をしていたりした。


駐車場に前向きに突っ込んで駐車した父は、車のエンジンを切ると、ドリンクホルダーに置いてあったコーヒーを一口飲み、気を落ち着かせてから喋り出した。


「知ってたのか?」


重苦しい車内には、ラジオアナウンサーの楽しげな声が流れていた。


「お前に野球をやらせようとしたこともか?」


「当たり前だろ」


父はまた弱々しくコーヒーを飲んで、喉の渇きを潤した。


「エラーのことは母さんから聞いたんだろ? そりゃ知ってて当然だよな。あの時、観客席にいたんだから」


「え?」


父と母が高校時代の同級生だと言うことは知っていたが、その話しは知らなかった。


「なんだ聞いてないのか? 地方大会の2回戦だった。9回裏1アウト満塁。父さんはその時センターを守っててな、飛んできた打球を後ろに逸らしてしまった」


「トンネルだろ」


「よく知ってるじゃないか。結局、それが原因でチームはサヨナラ負け。高校最後の試合は終わった」


父はフロントガラスについた鳥のフンを寂しそうに眺めていた。


「試合の翌日、父さんは学校を休んだ。後ろ指さされるのが怖くて、学校に行けなかった。その次の日も父さんは学校を休んだ。その次の日もその次の日も。結局、最後まで学校に行くことはなかった。誰かさんと似てるだろ? その後は、なんとか広島の大学の経済学部に合格し、そこで母さんと再会した。だが、経済になんて興味なかったし、卒業さえできればいいと思ってたからな。適当に大学生やって、徳島の適当な企業に就職して、母さんと結婚した」


「大学で野球はやらなかったの?」


「もちろん考えた。草野球サークルなんかもあって、勝ち負けにこだわらない感じに気が合いそうな気もした。そのサークルに入ろうとも思った。だが、高校の時にエラーをした記憶は消えない。もしまたエラーをしたら…。そのことが脳裏をよぎった」


「そんな時だ。当時、付き合い始めた母さんにそのことを話したら『エラーするから面白いんじゃない』って言われたよ。まったく、鬼のような人だろ? でもその言葉に父さんは救われた。父さんは草野球チームに入った。2年生ながら4番でセンター。高校時代の9番からすれば、異例の大出世だ」


「よく分からないけど」


「とにかくチームに入った。そこでいっぱいエラーもした。サヨナラエラーだってした。普通なら怒られるとこだけど、みんな笑ってくれた。その時は心の底から野球を楽しめた。だからお前にも野球をやらせたかった」


「正直、父さんは絵の勉強なんかしたところで、意味はないと思ってる。社会の役に立つわけでもない。父さんはな、大学まで行かせてもらって、経済を勉強しながらも、それを今に全く活かせていないことを未だに後悔している。お前にはそうなって欲しくない。だからお前の絵の勉強が、社会全く活かせないなら、賛同できない。青森にも行かない。父さんが知りたいのはそれだけだ。今のお前の気持ちは、どうなんだ?」


僕は一度深く深呼吸をして答えた。


「父さんの言う通り、絵の勉強を続けたところで社会の役には立たないかもしれない。だけど、僕の描いた絵が『誰か』の役に立つのなら、僕は絵を描き続けたい」


「そんな人が、いるんだな?」


「うん」


「わかった」


父は車のエンジンをかけた。


「空港に行くぞ」


車はまた走り出した。


徳島空港に着いたのは、8時35分だった。


「おい、忘れてるぞ」


後部座席に置いたイーゼルを父が指差した。


「あっ、いけない」


「絵を描くのに必要な道具だろ。大事にしなさい」


「ありがとう」


「あぁ。じゃあな」


父が車のドアを閉めようとした。


「父さん!」


「あ?」


「帰ってきたら、一緒にキャッチボールでもする?」


父は恥ずかしそうにニヤリと笑った。


「仕方ない。一度だけだぞ」


「トンネルすんなよ」


「うるさい。早く行け」


「ははっ。いってきます」


僕は笑いながら空港の入り口に駆けていった。

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