33.検査の結果
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「ごめん、浜ちゃん」
「ったく! 検査が終わっても、すぐ出て行くなって、いつも言ってるでしょ」
西棟の5階にある柊小鳥の個室、浜崎氏とおよそ2時間ぶりの再会を果たした彼女。
「だから謝ってるじゃんかぁ。先生は?」
「まだ来てない。検査結果まとめてるから、少し遅れるかもって」
「そっか。小鳥は?」
「さっき覗いた時はまだ寝てた。検査長かったからね。かなり疲れたんだと思う」
「そっか…」
「なにが『そっか』よ。私がここでどれだけ待たされたと思ってんの」
「だから、ごめんって」
「ったく! あと、変な遊びはやめなさいよね」
「ん?」
「電話で話してた不倫相手。何が『一緒にいて』よ。気持ちわるい。今度ここに連れて来なさい。私が直々に説教してやる」
「彼、東北に逃げちゃったの。浜ちゃんにビビっちゃったみたい」
「あっそ、ならいいわ。私の方から出向くから」
「やめて。死んじゃうよ」
「ふんっ。さっ、お喋りはここまで。そろそろ…」
「うん。行くよ……」
柊翼がゆっくりと個室のドアを開けた。
乾いた病室には、夏の太陽の光を浴びた煌めく光の粒が、まろやかに踊っていた。
お見舞品の果物の甘酸っぱい香りが部屋を包み、締め切った窓ガラスからは油蝉の声が突き破っている。
強めの白を基調としたこの部屋の中は、ベッドに机、エアコン、小型の液晶テレビ以外に部屋を彩る物は何もない。窓の外の景色を眺める小鳥のその表情は、どこか落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
「こっとり、やっほー」
「あっ、起きてる。おはよう、小鳥ちゃん」
「…お母さん…浜崎さん…」
「具合はどう?」
「はい…大丈夫です」
小鳥の細く透き通った声が、病室にふわりと浮かんだ。
「あら? 今日は随分と落ち着いてるのね」
「さっき起きたばっかりで、まだボーッとしてて。変ですか?」
「んーん、全然。私、今の小鳥ちゃん好きよ。ふわふわしてて、子どもみたいで。目を離したらすぐ飛んでいっちゃいそう。可愛いっ」
「私は?」
「あんたはいつでも飛んでってるでしょうが」
「なんでよお。浜ちゃん、ひっどーい」
「あっははっ」
「小鳥ちゃん、野田先生ね、少し遅れると思うの。だから、先生来る前に先に血圧だけ測っておきたいんだけど、いいかな?」
「大丈夫です」
「なら私も。痛くしないでね」
柊翼が、恥ずかしそうに右腕の裾をまくった。
「小鳥ちゃん。お母さん、どうしちゃったの?」
「分かりません。無視してくれて大丈夫です」
「小鳥までー、もぉ」
柊翼が頬を膨らませるのを見て、小鳥はまたクスクスと笑った。
「125の90…っと。うん、大丈夫ね」
浜崎氏は持って来たカルテに数字を書き込むと、小鳥の左腕からベリベリッと測定器を外した。
「だいぶ良くなったね」
「ありがとうございます」
「次は何測るの?」
「これで終わりよ」
「なら次は、私のスリーサイズでも測る?」
「誰も興味ないわよ」
「私もそう思う」
「何なの二人して。つまんない」
「ゴホッ…ゴホッ。あの、すいません。廊下まで声が聞こえてます…」
体調不良を具現化したような咳をした野田先生は、よろめきながら病室の中に入り、柊翼の前に立つと、彼女を上からドロリと見下ろした。
「柊さん、病院では?」
「お静かに。すいません」
分かりやすく反省する柊翼を見て、浜崎氏がクスクスと笑い、さらにそれを見た小鳥がクスッと笑った。
柊翼への公開説教を終えた野田先生は、またゴホッと咳払いをして、今度は小鳥のベッドの前に立った。
「具合はどうですか?」
「悪くないです」
「そうですか…ゴホッ…すいません。本来なら今日の夕方に検査結果をお伝えするつもりでしたが、急な予定が入ってしまって…ゴッホッ」
とぼけ顔をする柊翼に、浜崎氏が「連絡会議」とこっそり耳打ちした。
「ではまず、検査結果の方から…」
野田先生の言葉に、柊翼がスッと背筋を伸ばした。
「心電図検査、胸部レントゲン検査、心エコー検査、カテーテル検査、血液検査、ともに問題ありませんでした」
柊翼がほっと肩を撫で下ろしたのに対して、小鳥はまだ落ち着いた表情で先生の話を聞いた。
「そうですか」
「えぇ。血液検査は前回値よりもいい結果が出てますし、浜崎さん、血圧は?」
「125の90です」
「いいですね。血圧も安定してますから、今回の検査で特に指摘はありません。このままの調子で治療を続けていきましょう」
「はい…」
「元気ないですね」
「寝起きでまだ、頭がボーッとしてて…」
「局所麻酔が効いてるんだと思います。そのうち元に戻りますよ」
「ありがとうございます…」
「あとは、そうですね…気になることと言えば、少し…太りました?」
病室の空気が一気にピリついた。
「え?」
「あ、いや、体重の方が、前回値よりも少し…」
「野田っち! レディに向かって何てこと言うの。見損なったよ」
「あ、いえ。僕はそういった意味では…」
「最っ低。小鳥、気にしちゃダメよ。あんたは今のままでも充分可愛いから、ね。ちょっと、浜ちゃんからも何か言ってやってよ」
「野田っちじゃなくて、野田先生でしょ! あんたは少し黙ってなさい。先生、続けて下さい」
「あ、はい…ではまず、柊さん。私の軽率な発言で不快な思いをされたようでしたら、本当にすいませんでした」
「ほんとだよ、もぉ」
「あんたは黙ってて!」
「ですが私は、今回の柊さんの体重増加は、とても良いことだと思っています。柊さんの場合、20歳女性の平均体重に比べ、以前から、やや低い傾向にありました。今回の結果は、その標準値にかなり近くなっていますから、とても良いことですよ。実際、臓器提供の審査には、対象者の性別や体格、待機期間の長さだけでなく、対象者の健康状態も大きく左右します。もちろん他にもいろいろな審査がありますが、対象者の健康状態が良ければ、臓器提供をスムーズに受けることができ、早期治療に繋がります。逆に対象者の健康状態が芳しくないと判断されれば、臓器提供が先送りになるケースもあります。そういった意味でも、今回の体重増加は、非常に良い結果を得られたと思っています。ですので、これからは日頃の体調管理や、身体変化にも意識してみて下さい。起床時や運動後の体調の変化なども記録して、自分の身体を理解する時間を増やしましょう。これはとても大切なことですから。もし何か分からないことがあれば、気軽に相談して下さい。私も、全力でサポート致します」
誰もが一度も咳き込まなかっことに驚いていると、小鳥が最初に口を開いた。
「先生…ドナーの方は?」
「残念ながら、まだ見つかっていません。私もいろいろと情報は集めているのですが…」
「そうですか…」
「ですが、ドナーが見つかった場合、すぐに手術を行うかもしれません。手術に対する不安もあるかもしれませんが、覚悟だけはしておいて下さいね」
「分かりました…」
重い空気を察した柊翼は、小鳥の肩をポンッと叩くと、ニコッと笑い、小鳥に話しかけた。
「小鳥、良かったね。野田っちが全力サポートしてくれるらしいよ。とりあえず、下に行ってジュースでも買ってきてもらう?」
「…ゴホッ。それは、パシリなのでは?」
「あんたほんとバカじゃないの。野田っちじゃなくて野田先生。これでも一応、先生なんだから」
「ゴホッ…一応…ですか…」
「うわー。浜ちゃん、ひっどーい」
「あ、いえ、そうじゃなくて。その…」
「野田っち、かわいそぉ」
「一応....」
「違います、違います。あーもう、小鳥ちゃ〜ん。助けてぇ」
小鳥はまたクスクスと笑った。




