31.最後の喫茶店
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「今日で一旦お別れだね」
「ですね」
「なにが『ですね』よ。そこは、『寂しくなります』とか『毎日電話します』とか『離れていても、いつも一緒です』とか『愛しています』とか…」
「あいにく、そんなことを口にするための発声器官は持ち合わせていませんので」
なぜこんなにも疲れるんだろう。
彼女に旅の報告をしたのは昨日の23時57分のことだった。普通なら「こんな遅い時間に」電話をかけたりする人なんて滅多にいないのだけど、彼女だけは特別だったようで、相手の迷惑だとか、寝ているかもしれないなんてことを考えなく行動するものだから、受けて側の僕は、たまったものじゃない。
「おっ出た。もしもーし、コンくーん」
「こんな『遅く』に何ですか?」
僕は語尾を強めた。
「なに言ってんのさ、1コールで出た癖に。さては私からの電話をずっと心待ちにしてたな」
「まずいな。だとしたら、僕は何かの病気にかかったってことですね」
「あら、コンくん。それは『恋の病』だよ。私が特別に診てあげようか?」
「いえ、結構です。明日、病院の先生に診てもらいますから」
「先生! コンくんが、頭が痛いみたいなので、一緒に保健室まで付き添いに行ってきていいですか?」
「柊さん、座りなさい」
「おっ。ノッてきたね、さすがコンくん」
「もうほんといいですから。要件は何です?」
「えー、つまんなーい。まいっか。明日14時に喫茶店に来て。小鳥の文章のコピー渡すから」
「分かりました。ついでに僕からも。今日、翔と話して、旅の出発は明後日に決めましたから」
「いいねぇ。その調子よ、コンくん。ちなみに、コンくんの言う明後日ってのは、日付が変わった今日から数えての明後日かい?」
「え?」
僕は壁に掛かった時計を見た。
確かに時刻は24時を回っていた。
「あっ、なら明日ですね」
口にすると、より実感がわいてきた。
僕は、明日、旅をするんだ。
「いよいよ明日か。おら、ワクワクすっぞ」
「僕はそんなアニメの主人公が言いそうなセリフは言いませんし、そもそもワクワクもしてませんから」
「ワクワクしないの?」
「どちらかと言えばドキドキですかね。不安の方が大きいです」
「そっか。でもまぁ何とかなるっしょ。んじゃとりあえず、明日12時ね」
「分かりました。ではまた」
彼女との電話を終えた僕は、そのまま布団に入った。
朝になって、いつも通りの朝食とデザートのヨーグルトを食べ、腹の調子を整えた僕は、最近お気に入りの狼がプリントされたTシャツを来て、買い物に出かけた。
結果、2万円近くも使い込んでしまうのだが、翔に100円均一の情報をもらっていなかったら、支出はさらに大きくなっていただろう。
午前中に必要な買い物を済ませた僕は、予定された時間通りに喫茶店に行き、今は彼女がフルーツパフェを頬張る姿をただぼんやりと眺めている。
ちょうど、お昼ごはんを食べるには全く相応しい時間帯ということもあり、店内は珍しく、かなり混み合っていた。
「ご両親にはちゃんと伝えた?」
「はい。母には前から。父には昨日話しました」
「なら心配ないね。明日の何時に行くの?」
「9時05分の飛行機を予約してあるので、それに間に合うように」
「そっか。わかった」
「どうかしました?」
「いや、その。なんかゴメンね...私の都合に巻き込んじゃって...」
彼女にしては珍しく弱気な発言だった。
「今更そんなこと言わないで下さいよ。巻き込まれた方の僕はどうなるんですか。あと、勘違いしないで下さいね。僕は小鳥のために行くんです。あなたのためじゃありませんから」
僕は少しカッコつけて嫌味っぽく答えた。
「コンくん...あのさ...」
「何ですか?今更、ありがとうなんて、らしくないこと言わないで下さいよ」
「そうじゃなくて。あのね、言おうかずっと迷ってたんだけどさ。この際、はっきりさせた方がいいよね」
別れ話を持ちかけるような喋り方だった。
これは彼女が今から大事な話しをする前触れだ。
僕は背筋を伸ばし身構えた。
「何ですか?」
「ファスナー…」
「え?」
「ズボンのファスナー…空いてるよ…」
本当に空いていた。
今さっきカッコつけた分、余計に恥ずかしい。
「ほんと何なんですか、あなたは。このタイミングで言うことじゃないでしょ」
「会った時から気づいていたんだけどね...」
「なら気づいた時にすぐ言って下さいよ」
「だって、言ったらコンくん、怒ると思って…」
「怒りませんし、後から言われる方が恥ずかしいですよ。って、僕のことはいいでしょ。早く小鳥の文章コピー下さいよ」
「わかった。ちょっと待って」
落ち着いた声で答える彼女があまりにも冷静にだったので、普段とは逆の立場に立たされた興奮気味の僕は、少しイライラしていた。
「はい、これね」
「まったく!」
「あー、ちょっと。見るのは青森に着いてから」
「どうしてですか?」
「だって、今見ちゃったら、行く場所の目星とかつけたりするでしょ。そうじゃなくて、コンくんには、その場その場で、自分の感覚に従って決めていって欲しいの」
「自分の都合に巻き込んだ割には、ずいぶんと無理難題を押し付けてきますね」
「コンくん可愛いから。ついイジメたくなっちゃうの、私」
「倒置法を用いたところで、僕が納得するわけではありませんよ」
「ふふっ、分かってるでしょ。私のお願いは、小鳥のお願いでもあるの。君に拒否権があるとすれば、それは小鳥を裏切ることでもあるんだよ。とまぁ、これ以上言ったら、それは『強制』になっちゃうからさ。後はコンくんの良心に任せるよ」
「あなたのそういうところ、好きじゃないです」
「ははっ、君も素直じゃないねぇ。好きなら好きって言えばいいのに。私、今は人妻だけど、コンくんと不倫関係になることに抵抗ないから」
「自分を過大評価することにも抵抗がないんですね。ご愁傷様です。あと僕もずっと気になってたことがあるんで、言ってもいいですか?」
「なに?」
「鼻にクリーム付いてますよ」
僕は自分の鼻を2回タップして、鼻についたソフトクリームの存在を知らせる。
「え?嘘」
彼女は僕の目を見たまま、自分の鼻を触る。
が、当然クリームなんてついてない。
頬を膨らませ怒りを表現する彼女に向けて、僕は自分が食べていたパフェのスプーンを天に突き上げ勝ち誇る。
「コンくんのそういうところ、好きじゃない」
「お互い気が合いますね」
僕はまた、スプーンを突き上げた。
「ほんと、いい加減にして下さいよ」
「忘れて来たものは、しょうがないでしょ」
彼女が、また財布を忘れたと言い出したので、僕は財布の中に眠っていた3枚のレシートを彼女の顔に押し付けた。
「見て下さい。もうこんなに僕が払ってるんですよ。大学生に奢ってもらってばっかで、恥ずかしくないんですか?」
「じゃぁ、どうしたらいいの?」
「決まってるでしょ。払って下さい」
「なるほど。そういうことね。分かったよ」
彼女が服の中に手を引っ込め始めた。
「一応聞きますが、何してるんですか?」
「何って。身体で払えばいいんでしょ。もう、コンくんったら、強引なんだから。マスター。今こっち見ないで」
付き合いきれない。
僕は透明な筒からレシートを抜き取った。
「後で必ず請求しますからね」
「小さい男は嫌われるよ、コンくん」
「なら僕は、ミジンコにでも何でもなりますよ」
「あっはは。ほんとに可愛いなぁ、君は。私もイジメがいがあるよ」
ニコニコ顔の彼女をガン無視してレジに行くと、すでにマスターがレジの前でスタンバッていた。
「お会計は?」
「あー、一緒で」
「んじゃぁ、コンくん。ごっちそぉさまぁ。外で待ってるから。マスター、まったねぇ」
見事タダ食いに成功した彼女は、マスターに別れの挨拶を告げると、僕の後ろを悠然と通り過ぎていった。
「君も大変だね」
「はぁ…まぁ」
「940円」
実に痛い出費だった。僕はマスターから貰ったレシートを財布のサイドポケットに丁寧にしまった。
「青森に行くんだってねぇ?」
「盗み聞きとは、タチが悪いですね」
「そんなことないさ。そうか、寂しくなるね」
「彼女は置いて行きますから、寂しくはないと思います」
「ははっ、確かに。だけど、君達のやりとりを見ているのは、全く飽きなかったよ」
「マスターのためにやっていたことではありませんが。そういえば、前はよく高校野球を見てましたけど、今はもう見てないんですか?」
「君もよく気がつく子だね。あぁ、母校を応援してたんだけどね、2回戦で負けちゃってさ。5回コールド負け。母校だけに、まさにボコボコだったよ」
野球を知らない僕は、コールド負けの意味も、マスターのダジャレの面白さも全く理解できなかったので、適当な愛想笑いでその場をごまかした。
「いつ帰って来るんだい?」
「決まってなくて。どこに行くのかも、まだ」
「そうか。楽しそうな旅だね。ちょっと待ってて」
そう言うと、マスターはカウンターの奥に消えていった。
「はい、これ。役に立つか分からないけど」
マスターが持って来たのは、透明なプラスチックケースに入った救急セットだった。
中には、絆創膏や包帯、オキシドールに綿棒、ピンセットなどがこじんまりと収納されていてた。
「僕も以前、自転車旅をしていた時期があってね。その時に持っていったやつなんだ。色々小分けにされてるし、小さくて嵩張らないから、便利だと思う。何かあった時のために店に置いといたんだけど、使う機会がなくてね。まぁ、喫茶店だから、そりゃないか」
「いいんですか?」
「もちろんさ。気をつけて行くんだよ」
「ありがとうございます」
「さっ、外で彼女が待ってるから」
窓の外に目をやると、彼女は鼻息をガラスに吹き付けながら、中の様子を伺っていた。
「ほんとだ。それじゃ、また。帰って来たら、また顔を出しに来ます」
「あぁ。待ってるよ」
救急セットを受け取り、一礼して店を出ようとした時だった。
「あぁ、それと...」
「はい?」
「僕は『りんごパイ』が大好物かもしれない」
「なるほど。そういうことですか」
僕はマスターにニコッと笑いかけ、そのまま店を出た。




