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フォックスの翼  作者: ジョニー
第1章
28/46

28.順調

28


「壊さないで下さいよ」


「分かってるってぇ」


絶対に渡しちゃいけない。


これが最初の答えだった。


大事な相棒を出発前に傷つけたくない、本当に壊しかねない、と思った。


それはどうやらニコン(愛着も込めて昨日からそう呼んでいる)も同じ気持ちだったらしく、目をキラキラと輝かせながら両手を前に突き出している彼女を前にして、僕の手の中でビクビクと怯えていた。


「やっぱりダメです」


「なんでよ? 意味わかんない」


「壊すでしょ?」


「壊さないから。いいから、早く。ほら」


さらに両手を前に押し出してくる彼女の瞳には、はっきりと『はやくよこせ!』と書いてある。


悪い予感しかしない。僕はさらに念を押す。


「言っときますけど、これ、借りものですから」


「分ーかったから。さぁほら!」


「ほんと触るだけですよ。僕もまだ使ってないんですから」


新しいゲームを早くやりたくて仕方がない子どものように、僕の忠告を適当に受け流す彼女。


飼っていた子犬が引き取られていくのを見つめる里親の気持ちが、今はよくわかる。


「これが翔君のカメラか」


「いち、にっ、さん」


「ん?」


「しっ、ごっ、10秒だけですから、ろく、しちっ」


「やーだねっ。ねぇ写真撮っていい?」


「だからダメですって」


「一枚だけ、ね」


「撮るものがありませんから」


「あるじゃん、ここに」


彼女は自分の鼻をトントンと2回タップした。


「え?」


「ほらここ。んもぅ、仕方ない。じゃあコン君のために私も一肌脱ぎますかね?」


「…」


「もしかして、期待してた?」


「怒りますよ」


「期待してた? あっはは。ちょっと待ってよコンくん、言っとくけどタダじゃにゃいからね。後でちゃんとモデル料もらうから」


「なら撮影料いただきます。もういいでしょ」


タイムリミットの10秒がとっくの昔に過ぎているのは分かっていたので、すかさずニコンの回収に走った。


1番触って欲しくない部分をベタベタと触っているのを見てしまったので、今日の帰りにレンズクリーナーを買うことを決めた。


「やっぱり、本当に脱ぐしかないか」


胸の谷間を挑発的に見せつけようとしてくるので、僕はそれを全力で無視してやった。


店内には僕以外に男性が1人いて、そのマスターでさえ、今や自分で入れたコーヒーを飲みながら高校野球の地方予選を見ていた。


それでもまだ必要以上に胸元をパタパタと手で仰いでは、僕の視線を集めようと必死にアピってくる彼女。


見ているこっちが悲しくなってきたので、たまらず

「暑いなら冷房の温度下げてもらいますか?」と聞いたら「撮るなら今よ」と更にウザい返しをしてきやがったので、僕は過去最高クラスのフル無視を彼女に見舞う。


彼女を一瞬でもかわいそうと思ってしまった自分が憎い。


向かい隣に座っていた若い男女がこちらに気づき、奇行な彼女と目が合った。


ここで一瞬気まづい空気が流れるが、僕にとっては好都合。


第三者の目撃者がいてくれたおかげで、ついに彼女は我に帰る。


恥ずかしそうに照れくさそうに穴の中にコソコソと隠れるように、分かりやすくあたふたと取り乱すと、顔面花火を燃焼させ、ただただジュースをすすっていた。


「小鳥はどんな感じですか?」


「ん? いい調子だよ」


「そうですか。良かった。それじゃぁ、その…。まだもっと、その」


本当は「余命が延びたんですか?」と聞きたかった。


が、恐怖が僕の口の自由を奪った。


自分の口で「余命」と発音するのが怖い。


違う答えが返って来るのが怖い。


彼女を不快な思いにさせてしまうかもしれないのが怖い。


言葉を選ぶのに時間がかかっていると、彼女の方から口を開いた。


「今まで安定していなかったBNPが『順調』に安定し始めたってだけよ。余命が延びたわけじゃない。けど、前よりはご飯も食べれるようになったし、新しいストレッチだってできるようになったりもしてる」


どうやら僕の心の中は、彼女の読心術によってすでに読まれていたようだ。


彼女はいとも簡単に「余命」というフレーズを口にした。


「そうなんですね。すいません、あまり専門的なことはよく分からなくて」


「いいよ。私が賢いだけだから」


「鼻に付く言い方をしますね」


その後、財布をわざと忘れてきた彼女のおかげで、お会計は僕が全額支払った。


喫茶店のマスターも、毎回2人分のお金を支払う僕を、よっぽど不憫に思ったのか「どれでも好きなの一つ」と言ってレジ前のガムを一つタダでくれた。


だがそれも、店の外で待ち構えていた女版ジャイアンに強奪されることになるのだが。


「グレープ味が良かったな」


「見てたんですか?」


「私には1個もくれたことにゃいのに。コンくんだけズールーイー」


「一肌脱いだらもらえるかもですよ」


「コンくん服脱いだの? マスターってそっち系?」


「なら、直接聞いて来たらどうです?」


本当に聞きに行こうとしたので、全力で止めた。


病院前の信号を渡りきり、僕たちはそのまま解散した。


僕は立ち漕ぎで家まで飛ばして帰った。

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