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フォックスの翼  作者: ジョニー
第1章
26/46

26.確認事項

26


「分かりました」


その言葉の続きを言う前に、彼女が満面の笑みという無言の返事をしたので、どの都道府県かを答える必要はなく、僕はあの鬱陶しい横文字を発音せずにすんだ。


「その選択は…」


「分かってます。自分で決めましたよ」


「だったらそんな顔しなーいのー」


自分でも気づいていなかったが、腑に落ちない顔でもしていたのかもしれない。


いや、腑に落ちない顔をしていた。


「コン君が決めたことだろう?」


「僕はまだどこに決めたとも言ってませんが?」


「自分の口で言うかい?」


「遠慮しときます」


乱暴にスプーンを口に運ぶ。


「あっはは。君みたいに忠実なペットが欲しいよ」


「あなたが飼い主なら、僕はストレスですぐに死んでしまいます」


「なんだとぉ」


頬を膨らまる彼女の顔を見た。


してやったり顔の僕は、イチゴパフェを口に放り込み、スプーンを高々と突き上げた。


「でも寂しくて死ぬことはないと思うよ」


「それに関しては同意ですが、それが返ってストレスになる、なんてことを考えたことはありますか?」


「よく意味が分からないけど」


「でしょうね」


とぼけ顔の彼女を無視して、グラスの底に残ったコーンフレークを丁寧にすくい取り、心の中で「ごちそうさまでした」と言うと、彼女はフンッと鼻を鳴らして携帯をポケットに収納し始めていた。


「なんだよ、コンくんなんて知らないから」


「お怒りのところ失礼ですが、昨日翔に会った時に」


「お、そうだった。その話がまだだったね。それを1番に話してよ。それで?」


両肘を前に出して、前のめりなる彼女の目に、はっきりと僕の顔が写っていた。


この短時間でこれだけ表現豊かに顔を変えることができるのであれば、考えつくところ彼女は女優業に向いているかもしれない。


「どうだったの?」


「まぁ、昔の話しとか、小鳥の話とかして。それから旅に出る話をして、みたいな感じで」


「それで?」


彼女のニヤニヤが止まらない。


「小鳥の書いた文章を見せて欲しいって頼まれて、あなたに聞こうと思ってたんです」


「なにを?」


「翔が小鳥の絵本を読むのは、いいんですよね?」


「そんなことを聞きたかったの? 全く君は、ほんとに心配性だなぁ。そういう時は黙って翔くんに見せてあげればいいんだよ。この前あげたコピー持ってるでしょ? 君は物事を固く考えすぎにゃんだよ」


あからさまな溜息をつく彼女は、彼女の年齢に似つかわしくない、原色のピンク色のハンドバッグの中をグルグルとかき混ぜ始める。


「まったく、しょうがない」


「何をしてるんですか?」


「ちょっと待ってね、えーと…あっ、あった」


ハンドバッグから見つけ出したのは、一本のクレヨンだった。


赤色のクレヨンに巻きついている紙には、ひらがなで「この」と書いてある。


すぐに僕の母の字だと分かったが、一応確認しておくことにした。


「これ、もしかして僕の?」


「じゃなきゃ、全国の『この』さんの誰かだね」


「ならお返しします」


「ノークレームノーリターンでお願いします、なんてね。小鳥のクレヨンに紛れ込んでたんだよ。小鳥も最初は自分で絵を描こうとしてたの。でも途中で諦めちゃったみたい。その時に使ってたのが、このクレヨンでさ。小学校の時に使ってたやつ。覚えてない?」


「パッケージに鳥とか象が描いてあるやつですね。今もまだ実家にあるはずです」


「なら今日帰って見てみな。一本だけ足りないはずだから」


「わかりました。それで、どうして今これを?」


「君もおかしなことを聞くね。忘れたのかい? 君は小鳥の絵を描くんだろ?」


「ありがとうございます。でも今はクレヨンなんて使いませんから」


「知ってるよ。でも君に返しておかないと、私の気が済まないからさ。持っておいて」


言われるがまま、僕はクレヨンを受け取った。


「あの、さっきの電話。深刻な内容のように聞こえましたが、もしかして小鳥のことですか?」


「ううん違うよ、なんでもない」


彼女は、追加で注文したコーヒーのマグカップを持ち上げ、舌先で味を確かめていた。


ただ遠い目をしていた。


「コンくんは絵に集中。わかった?」


「あ、えっと、今日も翔に会う予定なんですが、もし時間があえば、一緒に行きませんか?」


「私が? いいよ、遠慮しとく。考えてもみなよ。コンくんと翔くんで私の奪い合いになったら、それこそギクシャクするでしょ?」


「なら、快く翔に譲ります」


「可愛くないなぁ。もし君が食べ物に困って、住む家もなくなって、助けて下さいって言ってきても、知らないから」


「その時はあなたにお金を徴収しに行きますから」


「なんのこと?」


「とぼけないで下さい。この前のパフェ代、まだでしょ。今日出してもらえれば、チャラでいいですから」


僕は斜めにカットされた透明な筒に丸まっている伝票を指差した。


「はいはい、分かってますよ」


伝票をスッと引き抜いた彼女は、子どものように舌を出して怒りを表現していた。


ただ、ホッとしたのも束の間、彼女が猫なで声で発した言葉は、こうだった。


「財布忘れたちゃった。にゃはっ」


そして、僕が全額支払った。


「いやー、ほんと助かったよ」


「ほんと、なんでいつも財布持ってないんですか?」


「病院に置いてきちゃったんだもん」


「実は持ってたりするんじゃないですか? カバン、見せて下さいよ」


「ちょっと。きゃー!! コンくんのエッチ!」


彼女からバックを強奪し、中を開け、絶句した。


バックの底に散らばる10円玉や1円玉、食べ終わったお菓子のビニール、食べ終わったガムの包み紙、ハンドスピナー、消しゴム、ボールペン、ウサギの手帳、UFOキャッチャーの一回無料券。


「嘘でしょ」


「お恥ずかしい限りで」


キャップの外れた口紅や、よくわからない化粧品類達が、僕に「助けて」と訴えかけている。


残念ながら僕にはどうすることもできない。


君たちのご主人は彼女なのだから。


結果、本当に財布は入ってなかった。


「はい、もう終わり」


両手でバックをギュッと抱きしめた彼女は、つい今しがた自分の黒歴史を世間に公開されたかのような表情で頬を赤らめ恥ずかしがっていた。


「バックが可愛そう」


「なんでよ」


「分かるでしょ」


「うるさいなぁ。とりあえず今日は解散しようか」


「ですね。お金は必ず返して下さいよ」


「分かってるって」


彼女の声を最後に、僕達は喫茶店の前で解散した。


彼女のバックが本当にお気の毒だった。


帰宅後、押入れに詰め込まれたキャスター付きの透明ケースを引っ張り出し、小学校以来のクレヨンケースのフタを開けた。


全色揃ってる。


赤色もちゃんとある。


だが赤色のクレヨンを裏返して気づいた。ひらがなで『ひいらぎ』と書いてあった。

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