第41話:地味女
月曜日。
先週休んでいた早乙女先輩が出社した。
どんな顔をして来るのかと身構えていたが、先輩は拍子抜けするほど普通だった。
いや、むしろ以前より元気そうだ。声のボリュームが無駄に大きい。
「おー、大塚! おはよう! 先週は悪いな。ちょっと風邪ひいててさ」
「あ、おはようございます。お大事になさってください」
「おう。もう全快だから大丈夫だ! ……あー、それよりこの書類なんだけどさ——」
仕事の引継ぎもスムーズだ。
天草さんの件については一言も触れない。
あの衝撃的な事実(高嶺の花が地味な男を選んだこと)を脳内でトランケートしたのか?
……まあ、平和ならそれでいい。
そう思っていたのだが。
◇
昼休み。社員食堂。
俺がカツカレーを食べていると、後ろの席から大きな話し声が聞こえてきた。
早乙女先輩の声だ。どうやら若手の男子社員を集めて武勇伝(?)を語っているらしい。
「いやー、実はさ。俺、天草ちゃんと飯食いに行ったことあんだよ」
同僚たちが「マジっすか!?」「すげえ!」と食いついている。
俺はスプーンを止めて耳をそばだてた。
「でさ、それが……なんていうか、期待外れっつーか」
「え、何がですか?」
「あの子、見た目はいいけど中身がスッカラカンなのよ。話しててもつまんねえし、服のセンスとかも実は地味でさ」
「えー、そうなんですか?」
「おう。俺、ああいう『作られた美人』って苦手なんだよなー。やっぱ女は中身だろ、中身。艶がないとダメだよ、艶が」
……なるほど。
そういう作戦に出たか。
「フラれた」のではなく、「自分から見限った」ことにしたいらしい。
しかも、「地味でつまらない女」というレッテルを貼ることで、自分の傷ついたプライドを守ろうとしている。酸っぱい葡萄の理論だ。
同僚たちが微妙な反応をした。
「……へえー。まあ、早乙女さんが言うならそうなんですかねぇ」
「でも天草さん、仕事できるし気配りもすごいっすよ? この前も僕のミス、カバーしてくれましたし」
「あれだよあれ、猫かぶってんだよ。俺は見抜いちゃったわけ。……あーあ、俺のタイプじゃなくて残念だったなー」
先輩が得意げに語っている。
だが、周りの空気は正直だ。
「……これ、負け惜しみじゃね?」という空気がビシビシ伝わってくる。
誰も先輩の話を信じていない。むしろ、「フラれた腹いせに悪口言うとかダサいな」と株が勝手に下がっていくのが分かる。
俺はカレーを飲み込んで、苦笑した。
つい、「そんなことないですよ」と言い返したくなったが、我慢した。
まあ、嘘ではない。
確かに天草ひよりという女性は、家では地味だし、オシャレとは程遠い筆文字Tシャツを着ているし、中身は意外とおっちょこちょいだったりする。
でも、それがいいんじゃないか。
あの完璧な笑顔の下にある、人間らしい温かさ。
それを「つまらない」と切り捨てるなんて、先輩は本当に見る目がない。
……いや、見る目がなくてよかった。おかげで俺が気づけたんだから。
俺は水を一口飲んで、心の中で呟いた。
(先輩、残念でしたね。その『スッカラカン』な中身こそが、彼女の一番の魅力なんですよ)
◇
午後。給湯室。
お茶を淹れていると、ひよりさんが入ってきた。
周りに誰もいないことを確認してから、彼女が小声で話しかけてきた。
「……勝利さん、聞きました?」
「あー……早乙女さんの話ですか?」
「はい。私、『地味でつまらない女』らしいです」
ひよりさんが頬を膨らませた。怒っているというより、呆れているようだ。
どうやら女性社員の間でも噂になっていたらしい。
「失礼しちゃいますよね。私だって、やるときはやりますよ。……艶とか、ありますよね?」
「えっ、あ、はい。ありますあります」
「……棒読みですね」
「いやいや! 本当に!」
ひよりさんがジト目で睨んでくる。
俺は慌ててフォローを入れた。
「まあまあ。……でも、『地味』っていうのは、あながち間違いじゃないかも」
「むっ。どういう意味ですか?」
「だって、家では『豆腐』だし」
「うっ……」
ひよりさんが言葉に詰まる。
俺は笑いをこらえて続けた。
「でも、俺はその『地味な天草さん』の方が好きですけどね。……世界で一番、可愛いと思ってますよ」
ひよりさんの顔が、ボッ!と音を立てんばかりに赤くなった。
給湯器のお湯より熱くなっていそうだ。
「……ず、ずるいです。そういうの」
「本音ですから」
「もう……知りません! 仕事に戻ります!」
ひよりさんは真っ赤な顔で、ペシっと俺の二の腕を叩いで給湯室を出て行った。
その背中を見送りながら、俺は思った。
先輩の負け惜しみも、案外悪くない。
二人の秘密を共有するスパイスになっている。
公認の「地味女」になれば、俺みたいな地味な男と歩いていても怪しまれないかもしれない。
それでもやっぱり腹は立つ。
今度、先輩のコーヒーに砂糖と塩を間違えて入れてやろうか。
いや、ここは大人として、幸せオーラで見返してやるのが一番の復讐だろう。
そんなことを考えながら、俺は甘めのコーヒーを飲み干して、午後の仕事に戻った。




