第16話:秘密の昼休み
木曜日。
朝、デスクに着くと、引き出しの上に小さな紙袋が置いてあった。
中には、巾着に包まれたタッパーが一つ。
付箋が貼ってある。
『おかず作りすぎたので、よかったらどうぞ』
差出人は書いていなかったが、間違いなく天草さんだろう。
……普通か? 普通だよな。
同僚でも、おかずのおすそ分けくらいする人はいる。
何も怪しくない。
タッパーの蓋を少し開けてみる。
中にはポテトサラダと、きんぴらごぼうが入っていた。彩りが良い。明らかに「ついで」の量ではない。
巾着の結び目が几帳面に揃えられていて、天草さんの性格がそのまま出ている。
(兄と二人分で、こんなに余るか……?)
ツッコみたいが、ツッコめない。
せっかくの好意を無碍にするのは気が引ける。
それに、おにぎりだけの昼食が続いていた身としては、純粋にありがたい。
……いや、ありがたいのは栄養面の話だ。それ以上の意味はない。
◇
昼休み。
食堂は混むし、人目もある。
かといって、デスクでタッパーを開けていたら「どうしたんだそれ」と聞かれる。
「……端っこのWeb会議スペースなら空いてるかな」
独り言の呟きを、ちょうど給湯室にやってきた天草さんに、聞かれていたようだ。
彼女はきょとんとした顔をしてから、くすっと笑った。
「お昼の話です? 私も一緒に行ってもいいですか?」
七階の打ち合わせスペース。
セパレータのおかげで執務エリアからの視線は遮られている。
だが、空調と通信機器の稼働音がちょっとうるさい場所だ。
主にオンライン会議で使用されることが想定されているから、多少の雑音は許容範囲ということになっているらしい。
人間には耳障りな音が多いこともあってか、昼休みには不人気な場所。
人目につきたくない時にはうってつけ、というわけだ。
俺はおにぎり一個と、天草さんのタッパー。
天草さんは自分の弁当箱を広げた。ピンクの二段弁当。こっちにもきんぴらごぼうが入っている。
「……同じメニューですね」
「そりゃ同じ鍋から取ってますから」
天草さんが「いただきます」と手を合わせた。
会社モードの完璧な姿勢のまま、弁当を食べている。
節電のために電気が消えて薄暗いというのに、天草さんの姿には神々しさすら感じる。
「天草さんって、部活入ってました?」
「え、中学の頃は吹奏楽部でした。フルートです」
「フルート! めちゃくちゃ似合いますね」
「ほんとですか? でも高校では帰宅部でした。家に帰っておこ……犬と遊ぶ方が楽しくて」
「おこげ、そんな前からいるんですか?」
「先代の子です。その子はおこげじゃなくて、おこわなんです」
知らなかった。
会社の天草さんからは絶対に出てこない話だ。
この薄暗い打ち合わせスペースは、会社の中にある「豆腐モードの隙間」だと思った。
「大塚さんは? 部活」
「サッカー部です。補欠でしたけど」
「えっ、意外です! 運動できるんですね」
「できてないから補欠だったんですけどね……」
「でもすごいです。私、運動全然ダメで。この前おこげに引っ張られてつまづいたの覚えてます?」
「覚えてます。思いっきり笑いました」
「ひどい!」
天草さんが頬を膨らませた。
だが目は笑っている。こういう顔をするとき、黒縁メガネがなくても「豆腐さん」だと分かる。
◇
金曜日。
朝、引き出しの上にまたタッパーがあった。
またしても覗いてみると——卵焼きと、ほうれん草のおひたし。
昨日よりグレードが上がっている。
付箋。
『今日もちょっと多めに作っちゃいました』
「ちょっと」にしては、品数が増えている。
明らかに俺の分を計算して作っている。
それを指摘するのも野暮なので、黙ってありがたく受け取ることにした。
昼休み。
ちょっとうるさいWeb会議スペース。
なんかこそこそとしている様子は、陰でタバコでも吸っているかのようだ。
「大塚さん、卵焼きは甘い派ですか?」
「はい、甘い派です」
「よかったぁ。しょっぱい派だったらどうしようかと思ってました」
どうしようかと思ってた、ということは、俺の好みを気にして作っていたということだ。
「作りすぎた」は、もうとっくに建前だ。
分かっている。分かっているが、それを口に出したら、この心地いい関係が変わってしまう気がする。
だから黙っている。天草さんも、たぶん黙っている。
お互いに気づいていて、お互いに言わない。
オンライン会議エリアでのオフ会は、秘密で満ちていた。
昼休みもあと数分に迫ったころ。
空になったタッパーを洗って返すとき、俺はふと思いついて、中に小さなメモを入れた。
『ごちそうさまでした。卵焼き、すごく美味しかったです。それと――』
もう一言添えて、天草さんのデスクの書類棚にタッパーをそっと戻す。
周囲には誰もいない。彼女は席を外している。
五分後。
ちらりと総務部の方を見ると、天草さんがタッパーの中のメモを広げていた。
一瞬、動きが止まる。
それから、嬉しそうに目を伏せた。
その横顔を見て、俺は慌てて視線を逸らした。
背後から、同僚の声が飛んできた。
「なぁ大塚、お前最近昼メシ一緒に食わねーな。どこ行ってんの?」
「……ダイエット中でして」
「嘘つけ、お前が痩せてどうする」
嘘が日に日に苦しくなっている。
だが、秘密の会で食べるおにぎりと天草さんの手作りおかずは、食堂のどのメニューよりも美味しかった。
それだけは、嘘じゃない。




