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第五話


     過去・5(朱良治視点)


 2011/7/22──三年前


 午後十一時過ぎ。もうとっくに日は落ち、街は寝静まっている。

 それでも尚、仕事に追われているのは、組織を大きくし過ぎた弊害かもしれない。簡単な雑用なら、そこら辺の誰かに押し付けられたが、世に出たらまずいデータなんかは、俺が直接扱わなくてはいけない、というのもある。

 今まとめているのは、金銭関連だ。

 収支は、総じて大きな黒字。新しく手を出し始めた分野で、いくつかの赤字はあるが、これらもその内黒字に変わるだろう。これからは、利益率の低い分野から取捨選択していく必要があるかもしれない。

 あとは、新しいことに関して。例えば、人身売買なんて案が出てきているが、どうだろう。利益は高く見込めそうだが、その分、リスクが大き過ぎるだろう。

 そんな感じで良さそうなもの、悪そうなものに分類して、金銭関連の仕事を終える。

 次は、人員整理だ。

 組織を大きくするという目的のもと、無差別に人を入れてきたが、その結果予測されていた問題が起き始めている。『タイターン』の名を正義に、街で暴れる者まで出る始末。これは、早急に対応すべき問題だ。

 ルールを敷こう。例えば、『一般人には危害を与えてはいけない』。そしてこれを破ったものを、『タイターン』から除籍させる。試しにこうしてみて、様子を見るというのはどうだろう。

 そんなこんなで頭を捻ること二時間。午前一時を回ってようやく、今後の方針をまとめた草案は出来上がった。あとは、灰田さんに最終許可を取りに行くだけだ。

 流石に疲れたらしく、凝り固まった肩をほぐしながら、椅子の背もたれに体重を預けた。

 灰田さんのところに行く前に、一眠りだけしようか。そう思って、目を瞑る。

 瞼の裏には、ふと、数年前までのタイターンの形が浮かび上がった。……あの頃の、無力だった俺たちだ。わずかな力を持っていたのは、灰田さんとジョーカーさんだけで、その力も、ただ大人になったら配られる無機質なものだった。

 タイターンは元々、何でもないグループだった。家族がいなかったり、折り合いが悪かったりする子供たちを集めて出来た、ただ傷を舐め合うだけの無力なグループだった。

 そこは確かに、俺の居場所だった。

 けれど、灰田さんの情や優しさでまとまっただけの俺たちには、ただ現状を恨んで慰め合うことしかできなかった。きっと力がなかったのだ。

 それがどうだ。この何年間かで、状況は大きく変わった。

 もう随分、力を蓄えてきたと思う。何かを少し変えられるくらいには、今の『タイターン』は巨大だった。灰田さんとその周りの何人かを助けるに、十分過ぎるくらいには。

 そんなことを考えていると、興奮してきて、代わりに眠気が吹き飛んでいった。

 なので予定を少し変えて、奥の灰田さんの部屋に向かうことにする。今すぐ、この仮スケジュール表を見せるために。

 廊下を進み、一番奥の部屋のドアを二回ノックすると、「入っていいよ」という声が聞こえてきた。

「失礼します」という言葉とともに、ドアノブに手をかける。

 部屋の中は、相変わらず整頓されていて、いい意味で生活感のない部屋だ。本棚に並ぶ本は、すべて背の順に並んでいるし、引き出しには分類のためのラベルがぎっちり貼られている。

 普段は大雑把なくせに、こういうところで嫌に真面目なのは、今に始まったことじゃない。

「こんな時間にどうしたの? 良治」

 灰田さんは、入り口に立ち止まって部屋を見回す俺を不審そうに、そう聞いてきた。

「今後の予定の草案がまとまったので、確認を取りに来ました」

「あぁ、そっか。こんな夜遅くまで、悪いね」

「いえ。『タイターン』のためなので」

 そう告げると、灰田さんは、わずかに寂しそうな表情を見せて、それから俺が手渡した草案段階のスケジュール表に目を通し始めた。

「進出すべき分野案、一つ目、人身売買。……人身売買に手を広げるべきではないと考えます」

 三枚目のA4用紙の一部分を読み上げる灰田さん。

 そして、彼女は同意を示すように頷いた。

「そうだね。私も人身売買なんて、するもんじゃないと思うよ」

「はい。利益率の観点からは進出すべき分野なのですが、それ以上にリスクが高すぎると判断しました」

「いや、そういうことを言ってるんじゃないよ。私は。人身売買なんて、本来────」

 灰田さんはそこまで言って、その先の言葉を飲み込んでしまった。

 それから小声で、「良治が言うなら、やっぱり話は変わってくるか……」と呟いて、まるで大事な話でもする様な緊張感をまとわせて、俺の目を見据えてくる。

「もし──もしもの話、この『タイターン』を解散させたいって私が言ったら、良治はどうする?」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 灰田さんの声は確かに俺の鼓膜を震わせ、その言葉の響きだけは脳に響き渡った。けれど、その響きがどういうことを意味しているのか、理解できなかった。理解したくなかった。

 数秒経って、ようやく落ち着いてきて、言葉の真意を測る。

 もしかして灰田さんは、本当に『タイターン』を解散させたいのだろうか。何かに嫌気がさして、『タイターン』をなかったことにしたくなったのだろうか。

 でも、それなら俺の努力はどうなるのだろう? 灰田さんたちと安全に暮らすために、誰にも邪魔されないほどの力を蓄えようと頑張ってきた、俺の努力はどうなるのだろう?

 どう答えようか頭を巡らせて、出てきた答えは、至ってシンプルなものだった。

「灰田さんが解散させると言うなら、俺が『タイターン』の後を継ぎます。どうにかして俺が『タイターン』を続けさせます。たとえ、灰田さんが抜けたとしても」

 胸中の複雑な感情を察せられたくなくて、必死に平然とした態度を取り繕いながら、そう言った。

 結局、もう止まれないのだ、俺は。灰田さんがいなくても。

 腕を組みながらその答えを聞いていた『タイターン』の現トップは、俺の言葉を咀嚼するように目を瞑った。

 それから、肩までかかる銀髪を搔き上げ、ちょっとだけ笑った。

「もしもの話だって言ったじゃん。そんなに真剣に考えること、なかったのに」

 その笑みが作りもののように見えたのは、きっと灰田さんが変なことを言ったせいだ。

 おかしな話をしたせいで、部屋には妙な緊張感が漂っていた。そんな状況のまま、彼女は仮スケジュール表を最後まで読みきり、最後にGOサインを出した。

 これで、俺がやるべきことはもう終わりだ。

 あとはこのスケジュール表を元に、各々が動いていけばいい。

 灰田さんに頭を下げてから、自室に戻ることにする。「それでは、失礼します」と述べて、椅子に座ったままの灰田さんに背を向けて歩き出す。

 依然、頭では灰田さんの言葉がリフレインしていた。

『もしもの話、この『タイターン』を解散させたいって私が言ったら、良治はどうする?』

 いつの日か、『タイターン』が解散する日が来るのかもしれない。どういうわけか、そんな予感が頭を巡って仕方がなかった。

 そんな状態のまま、ドアノブに手を掛けたところで、灰田さんに呼びかけられる。

「良治!」

「なんですか?」

 まだ、何かあるのだろうか。

 解散云々の話ではないといいな、と思いながら振り返る。

 やはり、振り返った先には灰田波依がいた。

「──おやすみ」

 彼女は笑ってそれだけ言った。

 その瞬間だった。

 突然、発砲音が辺りに響き渡って、灰田さんの隣にあった窓ガラスに蜘蛛の巣状のヒビが入った。窓ガラスを割った銃弾はそのまま突き進み、部屋に唯一あった電灯を砕く。灯りが消え、辺りを暗闇が包む。

 そしてその直後に、窓ガラス自体が吹き飛んだ。粉々になった破片が飛び散り、近くにあった本棚や引き出しや戸棚に突き刺さる。きっと、ヒビが入った窓ガラスに蹴りでも入れたのだろう。ボロボロになっていた窓ガラスは、いとも簡単に蹴破られた。

 そして元々窓ガラスがあった場所から、人影が入ってくる。そのままガラスの破片が散乱する床の上に降り立つ。

 窓の外から差し込む月明かりが、そんな人影を照らしていた。

 キャップが目元を、マフラーがそれ以外を覆い隠してしまっている。帽子からはみ出した銀髪が月明かりを反射し、わずかに風に揺れている。その容貌はまるで見えないのに、背の高さや醸し出す雰囲気に幼さを感じさせている。まるでごく自然のことのように、その手に収まっている銃が、椅子の上に座ったままの灰田さんに向いている。

 その人影は、マフラーに顔を埋めた少年の死神だった。


 この街には、ある噂がある。

 曰く、マフラーにキャップで顔を隠した少年の殺し屋がいるのだとか。

 その素顔は、仲間たちですら知らないらしい────


 マフラーの殺し屋が、弾けるように動き出した。一直線に灰田さんの元へと向かうと、その銃口を彼女の頭に密着させる。

 助けなくては。

 何とかしてあの少年から銃を奪わなくては、灰田さんが殺されてしまうかもしれない。

 そんな焦燥感が増していく一方で、足が鉛のように重かった。蛇に睨まれた蛙のように竦んでしまって、助けにいくどころか、動くことすらできないでいた。

 そんな俺を見透かしたかのように、少年がニヤリと笑ったような気がした。

「『タイターン』を解散させろ。でないと、次はお前の番だ」

 まるで死の宣告のように、マフラー越しにそう告げられる。

 ふざけるな、灰田さんをどうする気だ、そう言ってやりたかったが、出てくるのは声にならないような、ヒュー、ヒューという掠れた音だけだった。

 殺し屋は銃口を灰田さんに向けたまま彼女を抱えあげると、成人女性を抱えているとは思えないほど軽い足取りで、窓ガラスの砕けた窓へと向かった。そしてそのまま、窓に足をかける。

……今だ。今しかない。

 灰田さんを助けられるかもしれない、最後の機会だ。ここで動かなくては、今後一生後悔するだろう。何度もそう自分に言い聞かせても、足は変わらず動かないまま。

 そして、マフラーの殺し屋が、そんな俺を待ってくれるわけなかった。

 まるでコマ送りのようにゆっくりと、少年の殺し屋は、窓の外へと身を投げ出す。もちろん、灰田さんを抱えて。

 彼の風に棚引くマフラーが、最後に視界から見えなくなるまで、ただその姿を凝視することしかできないでいた。

 そして、完全に姿が見えなくなった瞬間に鳴り響く、二度目の発砲音。

 部屋には、まるで何事もなかったような静寂と馬鹿みたいに突っ立った俺だけが残る。頭の中では、頭に銃口を突きつけられた灰田さんが、何度も繰り返し流れる。

 数十秒たっぷりかけて、その発砲音の意味することが、じわじわと頭の中に浸透していった。真綿で首を締めたような痛みが、身体中を苛んでいた。

────知っていたはずだった。

 この世界には救いなどなく、力を持つものが持たないものを屠るだけなのだと。それだけは、痛いくらいに知っていたはずだった。

 それでも、どうしても信じられなくて、やはり鉛のように思い足を引きずって、何とか窓の近くまで擦り寄っていく。どうか、信じたくない事実を否定してもらうために。

 そんな祈りの先に見たものは、──窓の近くに飛び散った大量の血だった。

 呼吸が浅くなっていく。脳に酸素が足りなくなってきて、意識が遠くなっていく。全てが夢だったら良かったのに、と願ったのを嘲笑うように。

 そしていよいよ、俺は意識を失う。灰田さんが死んだかもしれない、という現実から逃げるように。けれど、意識を失って倒れる俺の横には、ちょうど同じように、紛れもない事実が横たわっていたのだ。

 その日、確かに世界は灰田波依を失った。

……俺は、灰田波依を失ったのだ。


     5(相葉朋久視点)


 2014/3/3──現在


 この街の探偵となってもう三年が経とうかという日、三上龍一と名乗る青年が訪ねてきて、行方不明になった二人の友人を探して欲しいと依頼してきた。その翌日。

 早速僕は腰を上げた。というのも、依頼目的の一人に心当たりがあったのだ。

 三上くんが口にした『井上奈々』という名前。その響きを知っていた。



 伝えておいた待ち合わせ場所に行くと、すでに依頼人はいた。駅の改札近くで、柱に寄りかかって何かの参考書を読んでいた。

 近づいて声をかける。

「や、早いね」

「相葉さん! ……いえ、暇だったので」

 それから、僕の視線に気づいた三上くんは、読んでいた参考書を掲げながら、「今、試験中なんです」と申し訳なさそうに述べた。

 その様子に、少しだけ違和感を覚える。探偵に人探しを依頼しておきながら、試験を気にするなんて──学生なのだから、それがあるべき姿なわけだけれど──この街の裏事情に関係しているにしては、ちょっと普通すぎる。

 閑話休題、彼に場所を移すことを提案する。

「どこに行くんですか?」

「近くの全国展開されてる喫茶店だよ。そこのコーヒーが、安い割に美味いんだ」

「……喫茶店?」

 怪訝そうに首を傾げる彼を連れて、駅の反対側に回って、大通りに面した喫茶店に入る。一階で二人分のブレンドコーヒーを買い、階段を上る。

 二階はテーブル席だけで、カフェ音楽が流れる中、何グループかが談笑する落ち着いた雰囲気が流れていた。その中に、一人でアイスティーのストローを弄る女性を見つけると、近づいていって、テーブルに二つのコーヒーカップを置く。

「初めまして。……麻生由美さんで間違いないかな?」

 女性はこちらを見ると、小さくこくんと頷いた。

 想像していた『麻生由美』とは全く違う姿だ。明るい髪はくるっと巻かれていて、耳からはピアスが垂れ下がっている。派手なネイルやつけまつ毛も目立っていた。もっと内気で地味な女性だと聞いていたから、驚いた。

 とりあえず、近くで突っ立っていた依頼人を彼女の対面に座らせてから、僕も隣に腰を下ろす。

「相葉さん、この人は?」

「こちら、麻生由美さん。君が探してる井上奈々の姉にあたる人だよ」

「……姉?」

 またも怪訝そうに首を傾げる三上くん。

「相葉さんが、どうして奈々のお姉ちゃんなんて知ってるんですか?」

「探偵なんてやってたら、色々人と知り合うんだよ」

「な、なら具体的にどういう経路で知り合ったんですか?」

「出会いの道筋を聞くだなんて野暮だよ。僕はただ、井上奈々について聞いて回ったら、彼女に行き着いただけだからね」

 それよりも、もっと聞くべきことがあるんじゃないかな、と促すと、まだ何か言い足りそうな顔のまま、三上くんは対面の彼女に向き直った。

「あなたが奈々のお姉ちゃんってのは、本当なんですか?」

「うん、そうだね」

「どうして名字が違うんですか?」

「ちょっと事情があるんだよ。出来れば、そこには触れないで欲しいな」

「分かりました」

 依然として三上くんは、何かを怪しんでいるような表情をしていた。

 そりゃあ、胡散臭い探偵と、そいつが連れてきた友人の姉を名乗る女性なのだから、その目には怪しく映るのだろう。けれど、麻生由美と名乗るこの女性が、井上奈々の姉であることは確かだ。

 ともかく、今の状況を伝えなければ始まらない、と彼に話を始めるのを促した。

「もしも知っていることがあれば、何でもいいから教えて下さい」と前置きしてから、彼は僕にしたのと同じような話を始めた。

 由良聡と井上奈々という二人の友人と、突然連絡が取れなくなったこと。だというのに周りでは全く問題になっていないこと。そしてふらっと迷い込んだ相葉探偵事務所で、人探しの依頼をしたこと。

 その間僕は、ライターとタバコを取り出して、ニコチンを味わっていた。

 実の所、由良聡という名前にも聞き覚えがあった。随分前に何度か会ったことがあった。そして、僕が何とかすれば、彼が今どこにいるのかくらい、分かることも知っていた。

 けれど、僕の個人的な事情として、彼とは会いたくなかったのだ。

 つまり由良聡を探すのが嫌で、僕は問題を先送りにして、消去法的に井上奈々への手がかりを集めている。もし三上くんがこれを知ったら、どう思うだろう? そんな想像もしたが、言うつもりは毛ほどもないので、無駄な想像は途中で終わらせた。

 やがて三上くんの話は終わり、麻生由美に注目が集まる。

「悪いけど、あーしは何も知らないよ。もう何年も妹とは会ってないからね」

 彼女は、袖に隠れた手を口元に持っていきながら、そう答えた。

「家族なのに、何年も会ってないんですか?」

「まぁね。そういう約束なんだ」

「連絡も取ってないんですか?」

「そうだね。そういう約束だからね」

 三上くんは一層不思議そうな面持ちを深める。きっと彼にとっては、家族は一緒にいなくてはならないものなのだろう。よっぽど健全で、普通すぎる考え方だ。

 一方で僕は、彼女の言葉で得心していた。

 昔聞いた噂話やら、麻生由美の情報を寄越してきた相手やら、名字の違う姉妹やら、そういったことを総合的に考えたら見えてくることがあった。『麻生由美』と名乗る彼女の正体がようやくつかめてくる。

 そしてそれ故に、本当に彼女が井上奈々の情報を持っていないらしいことに気づいた。やっぱり、『殺さない殺し屋』からもらう情報なんて、頼りにするべきではなかったのだ。

「三上くん、どうやら麻生さんは本当に何も知らないみたいだよ。ね?」

「えぇ、あーしは本当に何も知りません」

「だから、もう行こう。これ以上は無駄だ」

「でも、嘘をついてる可能性もありますし……」

「それはないよ。彼女は絶対に嘘をついていない」

 そう言い切ると三上くんは、もう何度目か分からない訝しんだ表情を作る。

 根拠のない断言なのだ、当然の反応だろう。かと言って、事情を洗いざらいぶちまけるわけにはいかないし、もういっそ、納得するまで存分に麻生由美と話させるのもいいかもしれない。

 そうやって対応に困っている時だった。

 フロアの角にあるトイレから、二メートルを超えそうな黒人が、のそのそと近づいてきた。頭は天井に届きそうな位置にあり、何なら髪の毛先は天井に触れていそうだ。体付きもゴツゴツとしていて、一歩ごとに床が抜けないか不安になる程。

 しかしその体格よりも驚いたのは、彼がそのままテーブルを通り過ぎず、どころか麻生由美の隣に腰を下ろしたことだった。

「遅いよ、イチロー。……こっちは、あーしの彼氏。高崎一郎。ボディーガードとしてついてきてもらいました」

 挙句、彼女は男の腕に自分の腕を絡ませて、そんな紹介を告げた。

「悪い悪い、腹が痛かったんだよ。……で、お前らか。由美を呼び出した奴ってのは」

 その長身を生かして、上から鋭い視線が飛ばされる。

 その視線に耐え切れなかったのか、三上くんは顔を俯けた。

 彼に代わって、僕が席を立つ。

「初めまして。僕は趣味で探偵をやってる相葉朋久。よろしく」

 作り物の笑顔で男の視線を受け流しながら、自己紹介を述べて右手を差し出す。

 高崎一郎は、睨みが効かなかったのが想定外だったのか、気まずそうに「よろしくお願いします」と言って、僕の右手を握った。その直後、三上くんがボソッと「趣味だったのかよ」と呟く。

「にしても、何の用で由美を呼び出したんだ? ──です?」

「この子の依頼で、人を探してるんだ。それで、ある人によると、麻生さんが知ってるかもって話だったんだよ」

「それで、由美は知ってたんですか?」

「いいや。知らないみたいだったから、これで帰ろうかと思ってたところだよ」

 ね? と三上くんに振ると、彼はこくこくと無言で何度も頷いた。

 なるほど、と考え込む巨体の男。

「ちなみに、その探してる人って誰なんですか?」

 と、尋ねるイチロー。

 教えるメリットもデメリットも特にはないように思われたので、僕はあまり何も考えずに、その疑問に答えることにした。三上龍一のクラスメートで麻生由美の妹にあたる、まだ見ぬ女子高校生の名前を口にする。

「井上奈々って名前の女の子だよ」

 その瞬間、大男の様子がおかしくなった。

 瞬間的に目を見開くと、背もたれに体重をかけて前脚の浮いていた椅子から、音を立ててバランスを崩す。転ぶ、すんでのところで机に捕まり、衝撃で半分くらいになっていたブレンドコーヒーが波立つ。

「井上奈々? 探しているのは、本当にその名前の女の子なんですか?」

 そんな体勢になっているのも気にせず、慌てて男は尋ねた。

「そうだね。一応、そういうことになってる」

「……そうか。だから、探偵なんかが由美を訪ねてきたわけか」

 大男は再度、考え込む。

 「探偵と高校生、行方不明の女子高校生、誘拐、聞き取り調査……」と、いくつかの単語を単語の形のまま、ぶつぶつ呟きながら。

 どうやら彼には、井上奈々の名前に引っかかるところがあるらしい。

 そしてそれから男は数分もかけ、ようやく考えに結論を出したようだった。僕らを睨んできた時とは比べ物にならないくらい、弱々しい声で話し始めた。

「その井上奈々って女の子の居場所なら、知ってます。あなたもこの街で探偵なんてやってたら聞いたことがあるでしょう──元『タイターン』の副総長、朱良治の元です」

……『タイターン』?

 雲行きが怪しくなるのを感じる。

 あの不良組織が絡んできて、いい方向に転んだ事例なんて多分ない。

「どうして君がそんなことを知ってるんだい?」

「俺も昔『タイターン』に所属していて、その関係で、最近まで良治さんの付き人みたいなことをしてたんです。……良治さんは、今、誘拐した井上奈々を監禁してるはずです」

 まるでクラスメートの悪事を先生に言いつけるみたいに、早口で朱良治の悪行が明かされていく。

 その姿に、どうしても違和感を覚えた。

「どうして僕にバラすんだい? 探偵なんてやってる僕に。……まるで、朱良治をとっ捕まえて欲しいとでも言い出しそうな勢いだけど」

「えぇ、そうです、その通りです。良治さんを止めて欲しいんです。……どうやら、昔みたいに暴走気味みたいで。でも、俺には止められなくって」

 そう言ってオーバーに肩を竦める大男。

「だから、こういうのはどうでしょう? 俺が良治さんのところまで連れていきます。なので、良治さんを止めるのは、探偵さんたちにお任せしていいですか?」

 悪くない提案だった。麻生由美が井上奈々について何も知らないことが発覚し、暗雲が垂れ込めていたところに舞い込んできた提案だった。

 問題は、男の言う情報が本当なのかどうかだ。井上奈々の姉に情報を聞き取りに来たというのに、その彼氏が居場所を知っているだなんて、どう考えても出来すぎている。怪しさ満点だ。

 その一方で、男の情報以外に井上奈々につながるものがないというのも、また事実ではある。

 二本目のタバコに火をつけながら、覚悟を決める。

 実際のところ、この提案に乗るほか選択肢はないのだ。

「わかった。その提案、乗ったよ」

 確認のために三上くんの方に目をやる。

 この大男が現れてから置物のようになってしまった依頼人は、必死に目を細めて何か言いた気にしていたが、僕が何も話そうとしないことを察すると、渋々首を縦に落とした。

「これからよろしくお願いしますね、探偵さん」

 そう言って男は、二度目の握手を求めてきた。

 それから僕らは連絡先だけ交換して、詳しい話はメールで相談することに決めて、その場を後にした。三上くんは、途中から飲むのを忘れていたらしいコーヒーを、慌てて飲み干した。喫茶店を出ると陽はすっかり落ちていて、僕らはその場で別れる。

 その後、事務所に帰ってくるまで、頭からはずっと高崎一郎の笑みが抜け落ちないでいた。僕が提案に乗った時の、下卑た笑みというか、厭らしい笑みというか、ほくそ笑みというか、そういう笑みを……


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