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第一話


     間・1(クロ視点)


 2009/8/11──五年前


……午前二時過ぎ、午前二時過ぎ。

 ラジオから、目覚まし時計を真似した番組が、伝えるべきなのか悩みそうな時間帯を知らせてきた。

 すっかり街も寝静まった夜。

 いやに生活感のない殺風景な部屋。

 怪しげに辺りを照らす月の光。

 汚れを知らなそうな少年と、そろそろ反抗期に差し掛かりそうな青年と、全てを知っていそうな大人。

……午前二時過ぎ、午前二時過ぎ。

 ラジオは続いたままだった。

 ふと青年の方が、おもむろに真っ黒のローブを羽織る。

 それに対して、

「ハク、またそんな、派手な格好で来たの?」

 と、少年。

 季節外れのマフラーを巻いてキャップを被り、目だけを出した──これまた奇抜な格好のまま、悪びれずマフラー越しに言った。

「へへっ。いいだろ」

 と、青年。

 不格好でぶかぶかなローブを羽織った──確かに派手な格好のまま、肩をすくめてニヤニヤと言った。

……午前二時過ぎ、午前二時過ぎ。

 それを合図に、ようやくラジオは時刻の読み上げをやめた。

 果たして、この読み上げは、どれほどの効果があったのだろう? 午前二時過ぎにラジオを頼りにして起きようと思う人なんて、随分少なそうだが。

 それこそ、私たちのような人間でない限りは。

「それにしても、遅いっすね。悠子さん」

 青年──つまりハクが、欠伸を噛み殺してそう言った。

「もう二時だって。流石に心配になってくるね」

 少年──つまりセツが、興味なさそうにそう呟いた。

「大丈夫だよ。……彼女、いつもこれくらい遅いらしいから」

 冷凍庫から拝借したアイスバーを齧りつつ、不安そうな二人を落ち着ける。

 セツとハクは、それを聞いて、もう井上悠子(いのうえゆうこ)についての興味を失ったらしかった。今日の朝ごはんをどちらが作るかで揉めていた。

 しかし、二人にはああ言ったものの、確かに心配が一切ない訳ではなかった。

 なんたって彼女は、少し危うい立ち位置にいるのだから。

 どうにか井上悠子が無事でいますように。と、静かに両の手を合わせた。それから、外れたアイスバーの棒を放り投げて、洗面器で伸びてきた無精髭を剃って、私はまた二人の口論に耳を傾けることにした。

「昨日の朝ごはんは俺が作ったんだから、今日はハクが作ってよ」

「ばぁか。昨日の夜ごはんを作ったのは、オレじゃねーか」

「……任務の後は疲れてるから、俺、ごはん作りたくないんだよね」

「ばぁか。そんなの、オレだって同じに決まってんじゃん」

 これは長い論争になりそうだ。

 そんな口喧嘩をバック・グラウンド・ミュージックに、私は井上悠子を思い浮かべるのだった。

 瞳はきっと、汚れのない漆黒だ。まつげは、わずかに湿り気を帯びていて、それが一層男の心を虜にするのだろう。唇は桜色に違いない。ぷっくりとしていて、それがまた保護欲を煽るのだ。

 服装は、……そうだな。写真で見たときのように、純白のドレスだろう。それが、彼女の肌の白さを際立たせる最高のスパイスだからだ。極め付けに、ちょこんと手のひらサイズの足が、また可愛らしい。

 写真を一瞥しただけで、あれだけ一貫した小動物的な魅力があるのだ。さる要人が虜になってしまうのも無理はなかった。

 全く、心配だ。

 その美貌だけで、いくつも厄介ごとがやってきそうなのに、まして彼女の現状は危険極まりないのだから。

 井上悠子もバカだ。自分が、かの要人にとっては愛人に過ぎないということを、理解していればよかったのに。縁を切りたいと言われて、不貞の証拠を盾に要人を脅すだなんて、言語道断だった。

 そりゃあ、要人に雇われた殺し屋に命を狙われるのも道理だろう。

 にしても、こんな状況だから、てっきり家に籠っているとばかり思っていたけれど、夜遅くまで出かけているとは。

 全く、心配だ。

 なんてことを考えながら、二本目のアイスバーに齧り付いた。このシャキシャキとした食感がたまらない。

「しょうがねえなぁ。その条件なら、まあ、乗ってやってもいいぜ」

「そう? なら、この条件で」

 気づけば、二人の話し合いにも決着がついたようだった。

 話を聞くに、セツが勝ったらしい。

「明日の三食全部と引き換えで、今日の朝ごはんはオレの担当になったんすよ」

 と、ハクが教えてくれる。

 依然、街は静かで、世界中に私たちしかいないような不思議な気分を演出していた。そして、部屋にはのんびりとした空気が流れ続ける。

 けれどそれも、長くは続かなかったらしい。

 突然、月が雲に隠れて、月明かりが遮られた。静けさに加えて、暗闇までがこの街を包み込む。この闇に乗じて、何か、得体の知れない何かが蠢いている予感が背筋を走る。

……午前二時半過ぎ、午前二時半過ぎ。

 そんなラジオと一緒に、玄関の鍵が開けられる音がした──ガチャっと。

 三人で、顔を見合わせる。

 セツが、マフラーの奥の顔を痛々しいほどに歪めて、悪役チックな薄笑いを披露した。

「よかった。悠子さん、無事に帰ってきたみたいだ」

 妖しい空気が辺りを包み込む。

 ハクも真似して、口元に例の薄笑いを貼り付けた。

 月明かりは、戻らない。

「よかった。これで成功報酬は俺たちのものだね」

 セツが続ける。

 私は、サイレンサーのついた拳銃の銃口を眺めながら、井上悠子の帰りを待ち続ける。

……確かに、よかった。

 他の組織に、獲物を横取りされなくてよかった。依頼人が要人ともなれば、成功報酬も高くつく。

 いよいよ。

 足音は、もう近くまで。

 その瞬間も、もう近くまで。

 そして、居間のドアが開けられる音がする──やっぱり、ガチャっと。




 さあさ、我ら、闇に蠢く『殺さない殺し屋』につき。

 セツと、ハクと、それから「私」ことクロと。

 居なくなってほしい誰かがいる場合は、是非クロまでご一報を。


     1(朱良治(しゅりょうじ)視点)


 2014/2/27──現在


 太陽が沈んでから数分もしない午後五時半過ぎ。

 街にまばらな明かりが、チカチカと灯り始める時間帯。

 俺は、コンクリートの舗装もない道で、のろのろと車を走らせていた。

 背丈の揃わない街灯は、やはりのろのろと後ろに流れていく。ガタガタな道路に、車体はわずかに揺れる。

 そしてバックミラーには、無駄に図体のでかい同行者が、今更気後れして頭を抱えるのが映った。

「本当にやるんですか……?」

 なんて呟きも聞こえてくる。

 何を寝ぼけたことを言ってやがんだよ。ここまで来て、やめるわけねぇだろ。

 そんな言葉を使うのすら勿体なくて、無視してバックミラーから目を離した。

 ったく、こいつはどうして、こうも情けないのだろう。

 容姿はいかつくて、なかなか悪くない。褐色の肌に、筋骨隆々とした肉体。ガタイのよさは筋金入りで、身長は二メートルを軽く超える。

 だというのに、中身はなよなよだった。そこら辺のアサガオの方が、よっぽどピシッとしている。

……まず、名前が良くないよなぁ。名前が。

 この格好で、高崎一郎(たかさきいちろう)だぜ? そんな『いかにも日本人』みたいな姿か? こいつ。

「やっぱりやめた方がいいと思いますよ。良治さん」

 まだ言ってるし。

「……お前は、道端に宝石が落ちてたらどうする?」

「え?」

 唐突な質問に、驚いた顔を見せるイチロー。

 少しの間を挟む。

「そりゃ、拾いますけど」

「だろ? それと同じなんだよ」

「いや、でもそれは──」

 まだ何か言い足りなそうなイチローを睨みつける。

 するとガラスのハートの大男は、その視線だけで黙り込んでしまった。

 それから少しの間、静寂が車内を満たす。

 そんな間を埋めるように、呟いてやった。

「……獲物、発見」と。

 舌舐めずりして唇を濡らす。フロントガラス越しには、制服が揺れている。周りには人っ子一人いない。

 後部座席から、細く薄いため息が漏れでるのが聞こえた。

 今までの安全運転を一転、アクセルを目一杯踏み切る。タイヤが高速に空回りして、キーッと甲高いスキール音が鳴り響く。車体が大きく揺れて、遅れて景色が後ろに逃げていく。

 数十メートルだけ行って、今度はブレーキを踏み切った。

 同じようなスキール音が発生し、タイヤは煙でも出そうな勢いで道路を滑る。そして、空走距離と制動距離を進んだ先には、女子高生がいた。紅葉がかたどられた襟章と、そのセーラー服から見て、女子高校生で間違いない。

 ドイツ製のBMW車がその動きを完全に止める前に、今度は後方からドアが勢いよく開かれる。使えない同行者が勢いよく地面に降り立つ。そして、流れるように、ポケットに忍ばせていたハンカチを取り出し、逃げる隙もなく彼女の口元にあてがった。

──トリクロロメタン。通称クロロホルム。

 その効力は、ドラマや映画で証明されていた。

 大抵の物語で大抵の被害者がそうなるように、やはり、程なくして、少女の意識は刈り取られる。

 その日、「俺」こと朱良治と「使えない同行者」こと高崎一郎は、年端もいかない女子高校生を誘拐した。

 発端は、数日前に遡る。


 2014/2/23──四日前


……ピーンポーン。

 と、インターホンの音。

 この街の、それなりに治安の悪い地区の、特に不良が溜まりやすい一角の、ぼろっちいアパートに宅配便が届いた音だった。

 配達員は不良に絡まれないか不安な様子で、荷物の受け渡しが終わると、脱兎のごとくアパートを後にした。

 俺は、残された封筒に視線を落としながら、部屋に戻る。

 綿の出てきたソファーに腰をかけて、液晶にヒビの入ったテレビを点ける。チャンネルをザッピングして、適当にローカル局がやっている昼のニュースに合わせた。

 そして例の宅配物の封を切る。

 宛て名は『朱良治』。差出人の欄は、──空欄だった。

「……空欄?」

 最近の宅配便は随分な進化を遂げたらしい。

 差出人不明でも届きやがるとは。

 たったそれだけのことなのに、不思議と心音が速まるのを感じた。何か、決定的な何かが、噛み合って動き出す予感がした。……依然、ローカル局は取るに足らない些事ばかりを報道していたけれど。

 封筒の中には、数枚の手紙に加え、何かの鍵が同封されていた。

 鍵の方は調べようにも何もわかりそうもない。仕方がないので、大人しく手紙を読み始めることにした。どこか見覚えのある文字に、偏頭痛のような何かに苛まれつつ。

『拝啓、親愛なる友人へ。

 春寒の候、貴方様におかれましては、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。このような形で私から連絡をお送りするのは、筋違いのような気もしましたが、勇気を持って筆を取った次第であります。

 では早速ですが、本題に取り掛からせていただこうかと思います。というのも、話したいことは山のように多くあるのですが、それを書き始めたら数十枚では収まらない分量になってしまうためです。インクの無駄遣いだけならまだしも、貴方様のお時間を頂くのは申し訳ありませんから。

 とは言え、本題自体はさほど分量を取るものではありません。こうしてお手紙を送らせていただいたのは、同封された鍵について話すためなのです。ですがその前に、三年前の事件について、お話しする必要があります。

 覚えていますでしょうか。三年前の七月と言えば、この街を仕切っていた不良グループ「タイターン」が、一人の殺し屋によって壊滅に追い込まれた時期です。そう、貴方様も所属していた「タイターン」です。街中の悪人が慌ただしくしていたのが、懐かしいものです。

 そして同封させたこの鍵は、他でもない例の「タイターンを解散させた殺し屋」の遺品につながる鍵なのです。もしも興味がございましたら、一ヶ月後の三月二十三日に●●駅までお越し下さい。その時に、きっとお会いしましょう。きっと。

 末筆ではございますが、貴方様の多幸をお祈り申し上げております。

陰ながら貴方様のご活躍を応援する友人H』

 丁寧に締めくくられた手紙を読み終えて、ゆっくりと肺に溜まった重い空気を吐き出した。

 やはり、何も変わらない。そりゃ、手紙を読んだくらいでは日常は崩れないし、ローカル局のニュース報道は、同じ調子のまま。

 それでも、予感は止まらなかった。

 何かが噛み合い、三年前から止まったままだった時計の針は、わずかに身動ぎを見せた。そんな気がしていた。……厄介なことに。


 2014/2/25──二日前


 そんな手紙を受け取ってから二日後。

 状況は、まるで変わってしまっていた。

 どうだろう。油断していたと言えばそれまでだが、どうしようもなかったようにも思える。

 てっきり忘れてしまっていたのだ。例の手紙を受け取って、密かに、自分だけの時間がまた動き出したような錯覚に陥っていた。

 けれど実のところ、例の手紙の影響力は、もっとずっと大きかったらしい。

 少し昔に我らがタイターンを壊滅に追い込み、その後、姿を消したある殺し屋。彼のかつての同僚達──『殺さない殺し屋』の時間も、やはり三年前から息を止めていたようだった。

……要するに、足がついたのだ。

 昨日──つまり手紙を受け取ってから一日目の二月二十四日。ふとした瞬間に出来た隙を差し込まれた。大事にとっておいた鍵は跡形もなく消え去り、例の手紙はふざけた犯行文にすり替わっていた。

『拝啓、親愛なる仇敵へ

 挨拶略。僭越ながら、貴方様に宛てられた手紙と鍵はいただきました。セツの遺品はオレたちで回収させていただきます。

 末筆ながら、オレたちの邪魔にならない範囲で貴方様の多幸をお祈り申し上げております。

陰ながら貴方様を見守る仇敵H』

 おそらく、路上で黒のローブを羽織った男とぶつかった時だ。あの一瞬で、手紙も鍵も盗られてしまったのだろう。

 心当たりはあった。

 タイターンを潰した殺し屋の、かつての相棒。『実在するなら彼のもの』とまで称される殺し屋兼怪盗、ハク。

 彼ぐらいにしかできない芸当で、彼ぐらいにしかない動機だった。

 だから、死に物狂いでハクについての情報を集めた。すぐさまイチローを動かし、タイターン時代の伝手も辿って、なんとしてでもハクの動向を探った。

 そしてようやく鍵の在り処を突き止めたのが、それから一日後──つまり、今日だった。

 やはり綿の出てきたソファーに背を預ける俺に対して、高崎一郎は、やや背を丸めて恐る恐る話を始める。

「動きがあったのは、今日の昼です。駅前にハクが現れて、高校生らしき青年に荷物の引き渡しを行なっていました」

「荷物?」

「はい。おそらくは、例の鍵かと」

 思わず、オンボロソファーの背に乗っけていた人差し指が、ピクリと動く。

 逸る気持ちが抑えられず、イチローを睨みつけながら口を開いた。

「それで? もちろん、その青年についても調べたんだよな?」

「は、はい──」と、声を震わせるイチロー。

「……で?」

「せ、青年の名前は、由良聡。桜東高校の二年生で十七歳。両親は既に他界しており、兄弟姉妹もいないため、現在は一人暮らしをしているようです。高校では成績もよく行動も模範的で、典型的な優等生。その反面、正義感が強くトラブルに巻き込まれやすい」

 優等生で、正義感が強い?

 と、イチローの話にわずかな違和感を覚える。

 彼は、やはり震えた声で話を続けた。

「特に仲の良い生徒としては、井上奈々(いのうえなな)と三上龍一(みかみりゅういち)の二人が挙げられます。この二人とは非常に関係が深く、両親を亡くした今となっては、唯一の家族だと公言しているそうです」

 なるほど、かなり詳しいところまで調べているらしい。

 しかし、話を聞けば聞くほど、由良聡という青年のイメージが霧散していくのを感じた。まるで、殺し屋と接点があるような人間には思えない────ハクから鍵を受け取ったのだから、おそらく彼らの一味なのだろうが。

「それで、どうしましょうか?」

 情けない大男が手をこまねく。

「そりゃ、手っ取り早く由良聡から鍵を奪いたいが……」

 ハクが鍵を預けるほどの相手だ。

 正面突破では取り返せないほどの相手なのかもしれない。『殺さない殺し屋』の一味なのだとした、なおさら。

 どうにか、ことを有利に運ぶためのカードが欲しかった。

「……井上奈々を攫おう」

「さ、攫う?」

「あぁ、そうだ。井上奈々を攫う」

 それがきっと、由良聡に対して有効なはずだ。そう思った。

 彼は正義感の強い青年のようで、その上、井上奈々は彼にとって家族同然らしいのだから。

「攫うって、さすがにそれは……」

 とか言っているイチローのけつを蹴り上げて、今度は井上奈々の動向を探らせる。俺は攫うまでの準備を整えながら、二日間、イチローの報告を待つことにした。

「……ちなみに、良治さん。どうして井上奈々なんですか? 三上龍一じゃなくて」

「バカだな、お前。男が男を助けてどうすんだよ。物語で囚われるのは、お姫様って決まってんだよ」

 そして、二日後。

 俺たちは車に乗り込む──


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