プロローグ
✳︎
この街には、ある噂がある。
曰く、マフラーにキャップで顔を隠した少年の殺し屋がいるのだとか。
その素顔は、仲間たちですら知らないらしい──
プロローグ(由良聡)
2014/2/25──現在
二月の終わりにしては暖かいその日、駅前のベンチからぼんやりと空を眺めていた。
そういえば、秋の空は高いというけれど、どうだろう? 高いか低いかは、どうやって決まるのだろう? そんなことを考えては、馬鹿みたいにため息をついていた。
時折風が吹いては、近くにある噴水から水気を運んでくる。
パラパラと飛び散った水飛沫は、すぐに陽の光で乾いた。
「にしても、人通りが少ないなあ」
大都市のベッドタウンに位置付けられるくらいの駅前。南口近く、他の路線につながる連絡口に設置されたベンチだ。
もう少し人がいてもいいと思うけれど。
通行人は、ベビーカーを押した主婦に、無駄に濃い化粧のおばちゃんに、ジャージを着たニートぐらいだった。
そりゃあ、平日の昼だから。仕方ないか。
とか思っていると、また一人がやってきた。本の中から現れたんじゃないか、と思うくらいファンタジックな真っ黒のローブをはためかせた、……男?
そのまま通り過ぎるかと思いきや、はたとこちらを見つめ、ベンチの近くまでやってくる。
不審に思っているうちに、ついに、隣のわずかなスペースに身を屈めた!
「随分、早かったっすね」
と、ローブの男。
「……はあ」
なんとなく何か相槌を打った方がいい気がして、一番差し支えのない返答を選んだ。
「まあ、今日は暇だったので」
「そっか。そいつは良かったっす」
「……はあ」
相槌が単調になってしまった!
「……最近、事務所に活きのいいネズミが出て、困ってんすよね」
────どうやら、話題が変わったらしい。
まるで文脈が欠如している。これじゃ会話も、キャッチボールというより、ノックのようなものだ。
それに、活きのいいネズミ?
この現代に、ネズミ?
「猫にでも食わせたらどうでしょう」
「そう言ったって、猫なんて、どこにいるんすか?」
いや。
猫なんて、どこにでもいるはずだ。別に。
でも、そうだな……
「例えば、ペットショップ、とか?」
「なるほどなぁ。飼い慣らされた猫ってわけだ」
ローブの男は、何がなるほどなのか分からなくなる感想を言って、歪んだ得心をした。
それから、「ほい」とアタッシュケースが取り出される。
「これを、どうぞ」と。
……アタッシュケース。
ドラマやアニメで、よく一億円が入れられるような、金属製のもの。
それが、これから傾いていこうと息巻く太陽の光を、綺麗に反射していた。
どうしたものか、と悩みながら、一応聞いてみることにする。
「中身は一体、何ですか?」
すると男は、かすかに吐息を漏らした。
なんとなく、笑ったんだな、と思った。
ローブで顔が見えないけれど、口の端を上げている印象を受けた。
「猫っすよ。お求めの」
彼は、きっと笑って、そう言った。
それから男は去った。やはり、ローブをはためかせながら。
僕はアタッシュケースの中身が気になったけれど、家に帰るまでは開けないでいることにした。中身の猫に逃げられても困るからだ。
ただ、家路に着いている間、一度も鳴き声は聞こえなかった。
もしかしたら、ネズミを食べるのに一生懸命なのかもしれないとも思ったけれど、玄関のドアを閉めて錠を外すと、案の定そこには猫なんていなかった。
代わりに、そこには鍵があった。
ただの、鍵だった。




