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第九話


     舞台裏──過去・1(セツ視点)


 2009/8/11──五年前


 『殺さない殺し屋』にその依頼が入ったのは、数日前のことだった。

 依頼主はとある要人。その具体的な正体は、俺たちにも明かされていない。

 そして、標的は井上悠子という女子大学生だ。

 依頼主は彼女と愛人関係にあったが、段々とその関係を解消したいと考えるようになり、縁を切るように迫ったらしい。そのことに納得のいかなかった井上悠子は、不貞の証拠を盾に要人を脅したのだとか。

 困った依頼主は、こうして秘密裏に井上悠子をなかったことにしよう、と考えたわけだ。




 扉の取っ手が回り、いよいよ彼女──井上悠子が姿を見せる。

 麦わら帽子をかぶり、真っ白なワンピースに白い無地のソックスと、清涼感のあるコーディネートだ。顔は整っていて、幼さやあどけなさを残したまま成長した大人、という印象を与える。

 自室に人がいるとは思わなかったのか、俺たち『殺さない殺し屋』の姿を見つけた彼女は、数歩後ずさりしてから自分の状況に気づいたようだった。

 すぐに、諦めたようにこうべを垂れる。

「あなた方は、きっと殺し屋の方々ですよね?」

「あぁ、そうだね」

「きっと、『あの人』に依頼されて来たんですよね?」

「まぁ、君が思い浮かべている『その人』で、間違ってないと思うよ」

 彼女の確認するような問いに、クロさんが一つ一つ答えていく。

 それらの疑問は、驚くほど核心をついたものばかりで、まるで彼女は、この状況に何ら取り乱していないのではないか、と思えるほどだった。家に殺し屋がいたというのに。

 恐らく、依頼主の要人を脅すと決めた時から、死の覚悟を決めていたのだろう。だから、家に殺し屋がいても、こうして冷静に──わずかに諦念が入っているとはいえ──対処できるのかもしれなかった。

 その証拠に、彼女は次にこう言った。

「私はこれから、あなた方に殺されるんでしょうか?」

「そうだね。そういうことになってる」

「そうですか。それはちょっと残念です」

 ちょっと、残念?

 それは、これから殺される人の感情としては、恐ろしくふさわしくないように思えた。

「ちょっと残念? そいつは一体どうして?」

 ハクもそこに違和感を覚えたのか、二人のやり取りに口を挟む。

「私は『あの人』が初恋でしたから。人生で一度しか恋愛ができなかったなんて、それもこんな形の恋愛しかできなかったなんて、ちょっと惜しいと思ったんです。……出来ることなら、もう少しだけ色んな恋愛をしてみたかったです」

 そう言って、井上悠子はぎこちなく笑ってみせた。

 もう少しだけ色んな恋愛がしたい。それは、相手を脅してでも一つの恋にしがみつこうとした彼女の心残りとしては、随分意外なものだった。てっきり、井上悠子は、初恋の『あの人』への未練を捨てきれないもの、とばかり思っていたから。

 でも、心残りがそういうものでよかった。

 そう思ってクロさんに視線を送ると、彼は優しく頷く。

 それを了承の意と受け取って、俺は意気揚々と口を開いた。

「なら、悠子さん。もう少し生きてみない? それで、もうちょっと色んな恋愛を経験してみたらどう?」

「え?」

 俺の提案は予想外だったのか、井上悠子は目を丸くして疑問符を浮かべる。

「え? だって、あなた方は殺し屋で、『あの人』に依頼されて、それで私を殺しにきて……。え?」

 さらに彼女の頭には、いくつもの疑問符が浮かんでいく。

 それに追い打ちをかけるように、俺はハクやクロさんにも話を振った。

「やっぱり俺も、悠子さんはもっと色んな恋愛をした方がいいと思うな。ね、ハク?」

「確かに。悠子さんは、一つの恋愛に固執し過ぎるきらいがあるからね。もっと軽くて安っぽい恋を経験した方がいいかも。クロさんはどう思うっすか?」

「どうだろうね。私はあんまり、恋とか分からないから。……強いて言うなら、悠子さんが思うほど煌びやかで素晴らしいものじゃないと思うよ、恋は。まして、命をかけるほどじゃ」

 ハクもクロさんも、一つの恋愛に命をかけようとした井上悠子に、アドバイスを与えていく。まるで殺し屋とは思えない姿で。

 彼女は、死の覚悟こそ出来ていたものの、生きる覚悟は出来ていなかったと見え、俺の言葉に未だに混乱していた。

 それでも、とりあえずその混乱を、質問という形に固める。

「あなた方は殺し屋で、私を殺すように依頼されたんじゃないんですか? 私を殺さなかったら、あなた方が大変なことになるんじゃ?」

 混乱しているせいなのか、井上悠子が元からズレた人間なのか、出てきた問いはとてもおかしなものだった。自分を殺しにきた殺し屋のことを心配しているのだから。

 思わずフフッと笑いながら、そのおかしな問いに答える。

「もし悠子さんが俺たちの依頼主に未練たらたらだったら、多分こういう結末は厳しかったよ。でも悠子さん、『もっと色んな恋愛を経験したかった』って言ったからね。それなら、何とかなるんだよ」

「何とか?」

「そう。つまり、死を偽装するんだ。……全く知らない死体を『井上悠子』の死体ということにする。そして悠子さんは、全くの別人に成り変わればいい。そうすれば俺たちも悠子さんも依頼主も、みんなハッピー」

 俺がそう言うのに合わせて、証拠とばかりに、クロさんは鞄からパスポートを取り出した

 パスポートには、井上悠子の顔写真、国籍、性別、生年月日と個人情報が並んでいる。そして、顔写真のすぐ横には、彼女の新しい名前が載っていた。

 彼女が反射的にそのパスポートに手を伸ばす。

「……ちょっと待って」

 それを見たクロさんは、パスポートを取り上げた。そのまま、井上悠子の身長では届かない高さまで、パスポートを掲げてしまう。

 そして、険しい目つきをしながら、彼は口を開いた。

「でもね、これには条件があるんだ。……問題は、君が井上悠子だと勘付かれちゃまずいってことだ。だから、初恋の『あの人』に会っちゃいけないのはもちろん、君は、大学のクラスメートにも、家の隣人にも、仲の悪い友達にも、仲のいい友達にも、親友にも、そして家族にも、当分会うことはできないんだ」

 重々しい雰囲気を醸し出しながら、クロさんは畳み掛けるように早口でそう言った。

 井上悠子が実は死んでいなかったと分かれば、立場が悪くなるのは『殺さない殺し屋』だ。だからこそクロさんは、死を偽装することのリスクについて、仰々しく語っていた。

「これは『井上悠子』の名前を捨てる、なんて簡単な話じゃないんだ。『井上悠子』の全てを捨てるのか、って話なんだよ。生まれてからの二十年間、誰かと話した記憶も、頑張ってきた努力も、抱いてきた感情も、全て捨てるってことになるんだよ」

 分かるかな? とクロさんは一息に尋ねる。

「は、はい、分かります」と井上悠子は静かに答えた。

 それから彼女は、クロさんが取り出したパスポートに視線を落とすと、ようやく手に取ってこう言った。

「……麻生由美。これがこれからの私の名前ですか?」

「うん。結構いい名前でしょ?」とハク。

 彼女は、ふと頭にのせていた麦わら帽子を取ると、胸のあたりに抱えた。そんな格好のまま、数十秒新しいパスポートの名前の欄を見つめる。

 何か、考え事をしているのだろうか。

 その姿はなかなか様になっていた。

 顔が整っているからか、一枚の絵のように見える。特に、白一色のファッションと訳ありの女の子と深夜、という組み合わせにストーリ性を感じる。その内、その服装が白装束に思えてきた。

 少し経って、井上悠子はようやく顔を上げると、笑みを浮かべた。

「えぇ。……いい名前ですね」

 それから、あれだけ見つめていたパスポートを、あっさりと畳んでしまう。

 さらに、改めて麦わら帽子を頭にのせると、彼女は俺たち三人に向き直った。両腕を体の横にくっつけ、佇まいを正して。

「実は、こんなことが起こるとは思ってなかったので、少し混乱しているんです。てっきり、私はここで死ぬと思っていましたから」

 確かに、それはそうだ。

 こんな状況で取り乱さない人間はいないだろう。俺だって、ハクだって、きっとクロさんだって、逆の立場なら取り乱すだろう。

「なので、一つだけ、聞いてもいいですか?」

 そう言って、井上悠子は人差し指を立てた。

 逆に、一つだけでいいの? と確認したくなる。それを抑えて、俺は、答えられることなら答えてあげよう、という心構えでいることにした。

 彼女は口を開く。

「……どうして、こんなことをしてくれるんですか? 殺し屋が標的に殺さない提案をするというのは、聞いたことがないものですから」

 質問は、そういうものだった。

 思わず、拍子抜けする。

 何だ、そんなことでいいのか? そう思うくらい、俺にとって、その質問に答えるのは簡単なことだったのだ。

 けれど、井上悠子にとっては気になる質問だったらしい。一心に俺たちを見据え、返す言葉を待っている。

 その期待に応えるように、三人を代表した俺は、ニヤリとした笑みを浮かべることにした。

「そりゃあ、俺たちは『殺さない殺し屋』だからね」

 その単純明快な答えは、街中に響き渡りそうな勢いで、彼女の耳に飛び込んだ。

……午前三時過ぎ。午前三時過ぎ。

 ラジオが三度、やかましく騒ぎ始める。

 確かに、そろそろ空が白み始める時間だった。いよいよ、この奇妙の夜にも終わりが見え始めている。殺し屋の闊歩する、この奇妙な夜の終わりが。


     9(セツ視点)


 2014/3/5──現在


 駅前から国道を道なりに進み、三年前に『タイターン』が所有していた土地までやってくる。そこからは車を降りて、徒歩で廃工場に近づいた。

 いよいよ目的地の廃工場を前にすると、同行者が目を細めて口を開く。

「うわっ、懐かしいな」

「……ちょっと。静かにしててよ」

 すかさず、注意した。

 その気持ちは分かるけど、ここで俺たちの存在がバレたら作戦は台無しだったから。

「ごめんごめん」と彼女は軽く手を合わせる。

 それから、正面入り口を回避して、駐輪場の方へ回った。

 駐輪場といっても、自転車はどこにも見当たらない。ただ、だだっ広い空間があるだけだ。三年も使われていない廃工場なのだから、当然か。

 さらに少し行くと、裏口が現れた。

 扉が一枚あり、その上には非常口のマークが光っている。大きさは一度に一人しか通れないくらいだ。ドアノブが綺麗なのを見るに、普段から使われていた扉ではないらしい。

 そして、その近くには人影が見えていた。

 一人は、二メートルを超えていそうな大男だ。その大きな躯体を縮こまらせて、小さなドアから中の様子を伺っている。もう一人は、廃工場に似つかわしくない男子高校生だった。やはり同じように、その裏口から中を覗いている。

 そして最後に、金髪にネイル、ピアスとギャル風の女性がいた。彼女だけは中を覗かずに、ウロウロとその辺を歩いている。

 ジョーカーさんに聞いていた通りの三人組だ。

 同行者に目配せしてから、マフラーを口元までたくし上げた。そして、落ち着かない様子の女性だけに見えるように、手招きする。

 彼女はこちらに気づくと、大男や高校生に気づかれないように、忍び足で寄ってきた。

「セツさんですよね? お久しぶりです」

「久しぶり。悠子さんだよね?」

「えぇ。今はあーし、麻生由美ですけど」

「……なんか、随分変わったんだね。悠子さん」

 五年前の井上悠子を思い出す。

 彼女は、もっと幼さやあどけなさが節々に残った、内気な女性だったはずだ。この垢抜けた格好には、五年前の面影も残っていない。

 井上悠子はフフッと笑って言う。

「セツさん達『殺さない殺し屋』が、アドバイスしてくれたんじゃないですか。もっと色んな恋を経験した方がいいって」

「それで、こんな風になったんだ」

 五年間は、彼女の根本を変えてしまったらしい。

 閑話休題。

「それより、本題に入ろう。悠子さん、ジョーカーさん──相葉朋久からどこまで聞いてる?」

「裏口で待っているように。そうすればその内、『殺さない殺し屋』のセツが来ると思うから、彼を見つけたら高崎一郎と三上龍一にバレないように近づいていきなさい。……あの探偵さんから聞いたのは、それだけです」

 それだけ? ジョーカーさんめ、説明を端折りすぎだ。何より、一番大事な情報が、井上悠子に渡っていないじゃないか。

 心の中でそう毒突く。

 それから、仕方なく、俺から説明をすることにした。

「悠子さん。この中に、井上奈々──悠子さんの妹がいるのは、知ってる?」

「えぇ。奈々がいるのは知ってます」

「なら、話が早いね。折角だから、その妹に会っていかない?」

 提案すると、悠子さんは「え」とだけ発して、それから動かなくなってしまった。まるで処理落ちしたコンピューターみたいに。

 一方、同行者は、俺たちからちょっと離れた場所で、目を細めて壁に手を当てたりしていた。やっぱり、昔を懐かしがっているのだろうか?

「……でも、ダメですよ。あーしが奈々と会うと足が着いちゃいますよ。あーしが『井上悠子』だと分かるための手がかりになるかもしれません。だからあーしは、『井上悠子』の知り合いとは会わないって約束したんじゃないですか」

 数秒経って、再起動を入れたみたいに彼女は、再び話し始めた。

 確かに彼女の言う通り、五年前に、そんな約束をした。それは、『殺さない殺し屋』が依頼主を裏切り、井上悠子を殺さなかった、とバレないようにするためだった。

「そうだね。悠子さん。……でもね、もうそんな約束は必要ないんだよ」

 大事なのは、それが五年前の出来事だということだった。

 時間は劇薬だ。

 五年間が、幼さを残した内気な女性だった井上悠子を、まるっきり変えてしまったように、時間は色んなものを変えてしまうし、色んなものを解決してしまう。

 そして、やはり彼女の抱えていた問題も、時間が解決してしまったのだ。

「さる要人──悠子さんの初恋のあの人は、死んだんだ。この五年間の内にね」

 死因は、『殺さない殺し屋』も井上悠子も『タイターン』も関係がない、なんてことのない交通事故だったそうだ。飲酒運転の車が赤信号を無視して、それだけで呆気なく死んでしまったらしい。

 それだけで、井上悠子を麻生由美に縛り付けていたものは、全てなくなってしまった。

「つまり悠子さんの命を狙う人は、もう誰も居ないんだよ。麻生由美として生きる必要もないし、妹と会ってはいけない約束もなくなった」

「あの人が、死んだ……」

 彼女は呆然として、それだけを繰り返した。

 実際、どうなんだろう。井上悠子としては。

 やっぱり、初恋の人が死んだと聞くのは、悲しいのだろうか。それとも、麻生由美の呪縛から解かれることに喜びを覚えるのが、先なのだろうか。

 彼女の感情の整理を待つ。

 意外に早く、彼女は顔を上げた。

「セツさん。あーし、やります」

「……何を?」

「もちろん、妹との再会についてです」

 そう言って彼女は右手を差し出した。ダボダボの袖をたくし上げて、白魚のような指が露わになる。ネールが陽の光を反射する。

 実際、彼女がどう思っているのかは、俺には分からなかった。

 悲しみをこらえてそう言ったのかもしれないし、あるいは、喜びを押し出すようにしてそう言ったのかもしれないのだ。

 それでも、俺は、真摯にその右手を握ることにした。

 この五年間は、密かに、俺のことも変えていたのだろう。井上悠子ほどではないにしろ。

「じゃあ、行こっか」

 マフラーで見えないというのに、とびきりの笑みを浮かべて、そう言った。




「結構ピンチじゃん。大丈夫? ハク」

 マフラーを口に当てて喋るのは、久しぶりだ。大体三年ぶりか。

 妙にしっくりきて、自分でも驚いた。俺も深層心理では、マフラーを口元に巻きつけて、キャップを目深に被りたがっていたのかもしれない。

「セツ!? な、なんでここに?」

 その廃工場には、懐かしい顔が揃っていた。

 三年前まで相棒だったハクに、『タイターン』で副トップだった朱良治、井上悠子を姉に持つ井上奈々、そしてかつてジョーカーと呼ばれていた探偵の相葉朋久。

 でも、まだ役者が足りない。

 手っ取り早く、役者を揃えてしまおう。

「ちょっと、この廃工場に用があってさ」

 ハクにそうとだけ伝えてから、鉄製の機械みたいな装置に向かって手招きした。

 それをサインに、装置の影から彼女が出てくる。カールされた金髪に、チャラチャラという擬態語が似合いそうなピアスやネックレス、ダボっと袖の長い上着は着崩している。

 その姿に息を飲んだのは、井上奈々だった。

 あまりにも彼女が変わってしまっているから、もしかしたら井上奈々も気づかないんじゃないか、とも思ったけれど、俺が思っているよりもずっと姉妹の絆は強かったらしい。

「……お、お姉ちゃん!?」

 どれだけ姿が変わろうと、妹には、それが姉だと分かるのだろうか。

 彼女の言う通り、確かにそのギャル風の女性は、井上悠子だった。

「久しぶり、奈々。元気してた?」

「な、何でここにいるの?」

「そりゃあ、あーしは奈々のお姉ちゃんだからね。妹のピンチには駆けつけるよ」

 妹がどういう意図でそう尋ねたのかなんて理解しているだろうに、井上悠子はあえてズレた答えで返した。袖を口元に当てて。

 井上奈々は、姉の要領の得なさに眉を顰める。

 そして、核心に迫るような疑問を口にした。

「そういうことじゃないよ。あたしが聞きたいのは。そうじゃなくて、……死んだはずのお姉ちゃんが、どうしてここに居るの? どうして生きてるの?」

 その瞬間、狙い通りとばかりに井上悠子は、俺の方を振り向いた。それを答えるのは、君の方がいいよね、と言わんばかりに。

 俺も、その期待に応えるように口を開く。

「それは、井上悠子を殺すよう依頼された俺たちが、『殺さない殺し屋』だからだよ」

「『殺さない殺し屋』?」

「そう。俺たちは多分、この世で唯一、人を殺さないことを信条にした殺し屋なんだよ」

 だから、俺たちは井上悠子を殺さずに助けた。

 井上奈々は、その話を聞いても理解が追い付かないようで、混乱状態から解けない。この様子だと、初めから説明してあげた方がいいかもしれなかった。さる要人が井上悠子の命を狙ったこと、そして俺たちに依頼が来たこと、関係ない死体を『井上悠子』として死を偽装したこと、全て。

 そう思っていると、また別の方向から荒げた声が飛んでくる。

「嘘つけよ、殺し屋。人を殺さないで殺し屋が務まるかよ。お前ら『殺さない殺し屋』は、証拠も殺した形跡も残さない、死んだことにすらならない、そういう意味での『殺さない』だろ?」

 声の主は、赤いレザーコートを被った目つきの悪い男だった。

 眉尻が上がった鋭い目付きで睨まれる。さっきまでハクに向いていた銃口が、いつの間にか俺を捉えて離さない。そして、姉の登場で一度は離れた井上奈々を、片腕で無理矢理抱き寄せていた。きっと、人質代わりとして。

 そうか、朱良治は『殺さない殺し屋』をそう解釈したのか。

 それに応えるため、口を開こうとして、しかし俺よりも早く答えたのはハクだった。

「違ぇよ。『殺さない殺し屋』は文字通り、人を殺さない殺し屋だよ。……ちょっと、ひねくれて考えすぎなんじゃねーの?」

「な、んなわけねーよ。だって」

 そう言って、彼は目を瞑った。まるで、三年前の出来事を瞼の裏に投影しているかのように。

 それから目を開くと、一層鋭い目付きで口を開いた。

「だって、少なくとも灰田さんは──」

 そこまで言って、ぱたりと彼の言葉は止まった。

「……ちょっと、待てよ」

 朱良治は、右手で髪を掻き上げた。

 そのまま、俯きがちにボソボソと独り言ちる。

「……目の前で死ななかった灰田波依、消えた血痕、誰も見ていない灰田波依の死体、殺さない殺し屋、セツの遺品」

 いくつかの単語をつなぎ合わせるように、呟いていく。

 そして、その先に何かを見つけたのか、それとも俺が隠した答えに気づいたのか、彼はゆっくりと顔を上げた。髪を掻き上げていた右手は、力なくだらりと垂れ下がる。

「いや、流石にそんなはずないよな? 流石に……」

 乱れた前髪の間から、鋭い目線を飛ばしてくる。

 疑問のような、確認のような口調。

 どうやら、本当に、朱良治はその可能性に気づいたらしい。

 それなら、もう勿体ぶる必要もなかった。俺は、数分前と同じように、もう一度鉄製の機械のような装置に手招きする。ちょうど、井上悠子が出てきたところに向けて。

 そこから、同行者が出てくるまでに、そう長い時間はかからなかった。

 やけにあっさりと、溜めることなく、事も無げに、彼女はその姿を現した。肩までかかるセミロングの髪は、俺と同じような銀色だ。目鼻がしっかりしているからか、一見怖そうな印象を与える。その実、甘ったるいくらいに優しい人だということは、みんなが知っていた。

 彼女が、フフッと微笑む。過去を懐かしむように。

「……嘘だろ!?」と、ハク。

「偽物だ!」と叫んだのは、ジョーカーさんを羽交い締めにしたままの大男だ。

「……いや、偽物じゃない」

 男の言葉を否定したのは、意外にも朱良治だった。

「灰田さんだ」

 その瞳がまっすぐ見据える先には、灰田さんがいる。彼女も同じように、朱良治を視界に捉える。その二人が何を考えているのかは、多分、二人にしかわからない。

 やがて、朱良治が口を開いた。

「生きてたんですね、灰田さん」

 まるでこの三年間を噛み締めるかのように、彼はゆっくりとそう述べた。

「そうだね。見ての通り」

「夢じゃ、ないですよね?」

「多分ね」

 二人がそんな会話を交わす間、みんな静寂を守っていた。あたかも、その再会を祝福するかのように。つい先ほどまで、朱良治と銃を突きつけあっていたハクですら、空気を読んで会話の成り行きを傍観している。

「久しぶりですね。随分と」

「三年ぶりは、随分?」

「はい。だって三年もあれば、中学生は高校生になりますし、高校生は大学生になるんですよ?」

「そっか。そう考えると長いね。三年って」

 二人の会話は続く。

 そこで、ふと、ハクがこちらに視線を寄越した。

 三年ぶりに、元相棒の顔をしっかりと直視する。中学生を高校生に、高校生を大学生にしてしまうような三年越しに。

 すると、彼は今にも泣きそうな笑みを浮かべて、口をモゴモゴと動かした。口パクだ。

『ひ、さ、し、ぶ、り』

 思わず、フフッと笑ってしまう。ハクらしいなぁ、と感じながら。

 一方で、灰田さんと朱良治の会話も、佳境に入ろうとしていた。

「三年前の七月二十二日、灰田さんは死んだはずでした。銃声が鳴り響き、窓辺には血が飛び散ってたんだ。でも、生きてる。今ここにいる。……どういうことですか?」

「銃声と血だけじゃ、私が死んだ証明にはならないよ」

「だとしても、死を連想させるには十分な二つです。……一体、あの日、何が起きたんですか?」

 気になるのは、やはりそこなのだろう。

 死んだはずの人間が生きていたとなれば、誰だってその過程が気になる。それも、大切な人のこととなれば尚更だ。

 問いかけられた灰田さんは、井上悠子のやり方を踏襲するように、俺の方を振り向いてきた。そして、こう言う。

「やっぱり、そこから先を話すのは、セツの方がいいんじゃない?」

 その言葉を皮切りに、全ての視線が俺に集まる。

 思わず、俺は灰田さんを睨んだ。

 今まで朱良治と話していたのは、灰田さんの方じゃないか。それなら、最後まで灰田さんが話してくれればいいのに。そう思ったのだ。

 けれど、すぐに首を振って、その思考を断ち切る。

 俺には責任があったから。少なくとも、この話をしなければいけないくらいには。

 そこから逃げることは許されない。

「確かに、銃声も血も分かりやすすぎるくらいに、死を連想させるよね。……だからこそ、その二つが灰田さんの死を証明することはないんだよ」

 集まった注目に応えるように、俺は話を始めた。

 仕方がない。

「理由は簡単。死を連想させるということは、死を偽装するのに使いやすいってことだからね。……灰田さんが連れ去られ、銃声が鳴り、血が飛び散っていれば、勝手に人は灰田さんの死を妄想する」

 そう言うのと同時に、俺は袖をまくった。

 露わになった腕には、呪いのように残り続ける刀傷があった。

 痛々しくて、生々しい刀傷だ。

「三年前の七月二十二日に、本当は何が起きていたのか。そう聞いたよね。……俺はあの日、朱良治の前で灰田さんを攫い出した。そして窓から部屋の外に出た後、空砲を鳴らし、自分の腕をナイフで切り裂いたんだ。それだけだよ」

 死の偽装だなんて言えるほど、大それたものでもない。

 『殺さない殺し屋』が偽装する『死』に比べれば、子供のままごとみたいなものだ。

 それでも、朱良治は、銃声と俺の血と灰田さんを結びつけて考えた。それは、やっぱり銃声や血が死を連想させやすいからなのだろう。

「……何のために、そんなことを?」

 相変わらず右腕を力なく垂れ下げながら尋ねるのは、朱良治だった。

「もちろん、『タイターン』を潰すためだよ。『タイターン』の総長だった灰田さんが死ねば、組織は解散に向かうだろうと思ったんだ」

「どうして、お前が『タイターン』を潰したがるんだよ?」

「灰田さんに頼まれたんだ。もう自分じゃ『タイターン』を抑えられないから、それならせめて、『タイターン』を潰してでも止めて欲しいんだってね」

 そして実際に、組織のトップを失った『タイターン』は、すぐに解散に至った。少年の殺し屋がたった一人で『タイターン』を潰してしまったらしい、という噂と共に。

 こうして、街を牛耳っていた不良グループは、膿を出すように消えて無くなった。

 そこまでが、三年前の舞台裏だ。

「その後、灰田さんはこの街を後にした。もう『タイターン』は解散したとは言え、灰田さんがまだ生きているとバレたら、『タイターン』の復活につながりかねないからね」

 そして灰田さんは、この街から遠い場所にアパートを借りた。新しい環境で、朱良治や『タイターン』とは縁のない生活を送るようになった。井上悠子が麻生由美として生活していたのと同じように。

 彼女がその生活に何かの不満を言うことは、たったの一度もなかった。けれどその実、本心で朱良治や昔の友人と会いたがっているであろうことは、火を見るより明らかだった。

 彼女は何よりも、身寄りのない子供達の居場所だった、あのタイターンを愛していたのだから。

「でも、時間は劇薬だと思うんだ。時間が経てば多くのものが変わるし、解決するからね。この三年間で、この街もかなり変わったよね。『タイターン』が牛耳ってた頃に比べれば、治安はずっと良くなったんじゃない?」

 時間は本当に、色んなものを変えてしまう。

 望んでいようと、望んでいまいと。

「そして俺は、そんな時間が、灰田さんの問題を解決してしまうことに期待したんだ」

 何といったって、この五年間は井上悠子の問題を解決してしまったのだ。それが頭に引っかかっていた。

 それなら、三年間とちょっとが灰田さんの問題を解決しても、おかしくはないんじゃないか? という風に。

「……解決?」

 尋ねたのは朱良治だ。

「つまり、この三年間という時間が、『タイターン』の存在を風化させてくれることに期待したんだよ。『タイターン』? あぁ、そんな組織もあったね、って思わせるくらいには。そうしたら、灰田さんがこの街に戻っても、『タイターン』復活につながることはないから」

 そして実際に、三年間という月日は『タイターン』の存在を風化させていた。

 この街は、そんな名前の不良グループがあったことも忘れて、何気ない顔で回っている。灰田さんの名前も、朱良治の名前も、人々の記憶からは薄れ、『タイターン』の残党は、その大部分がこの街から抜けた。

 だからこそ、俺たちは、灰田さんがこの街に戻る準備に取り掛かったのだ。

 手始めに、手紙を送った。宛先は『朱良治』。『タイターン』を潰した殺し屋、セツの遺品につながる鍵を同封して、この鍵を持ってとある場所に来るよう言い付けた。

 彼にだけは、これから灰田さんが街に戻ることを、あらかじめ伝えておくつもりだった。

「そんな、時間が灰田さんの問題を解決してくれたんじゃないか、って考えは間違ってなかった。実際に『タイターン』の存在は風化していたし、朱良治の影響力もかなり落ち込んでいるからね。……でも俺は、あることを失念してたんだ。失念したまま、朱良治に手紙を送ってしまった」

「失念? あることって?」

「ハクのことだよ」

 まさか、答えが自分の存在だとは思っていなかったらしく、彼は思考が追い付かないまま首を傾げた。

「オレ?」

「そうだよ。……まさか、三年経っても未だにハクが、俺の行方を追っているとは思わなかったんだ。ましてやハクが、俺の行方を追う過程で、朱良治に送った手紙に行き着くとはね」

「……当たり前だよ、そんなの。三年前、お前はオレの相棒だったんだから」

 確かに逆の立場になれば、俺だって、三年経ってもハクの行方を追い続けるかもしれない。

 それでも、俺は、『殺さない殺し屋』を裏切るような形で、行方を眩ましたのだ。三年にも渡って俺のことを探しているとは予想もつかなかった。

 結局、『殺さない殺し屋』・セツの情報を嗅ぎ回っていたハクは、当然のようにセツの遺品へつながる鍵が同封された手紙に行き着いた。そして、彼は、簡単に手紙と鍵を盗み出してしまった。

 それが、高校生やギャル、探偵をも巻き込んだ大騒動へとつながるとは、露知らず。

「朱良治に宛てた手紙が、ハクの手に渡り、面倒な事態が起き始めていると気づいた俺は、とりあえず、ジョーカーさんに連絡を取った。でも、ジョーカーさんはジョーカーさんで、三上龍一という高校生の依頼をこなしている状況だったんだ。結局、二人で集まれたのは、昨日──つまり三月四日でさ」

 ちょうど昨日、ジョーカーさんと話した内容を思い出す。

 残された時間は二十四時間を切っていて、焦りながら、今回の騒動を収める方法について話し合った。色んな案が出たけれど、どれも、遺恨を残すような終わりにつながる可能性があった。

 そんな時、ジョーカーさんが、立ち上がって言った。

『仕方がないね、これはもう。……全部ぶちまけるほかないんじゃないかい?』

 実はセツが生きていることも、灰田さんが生きていることも、全部。彼はそう続けた。

 確かに、全てをぶちまけてしまえば、『殺さない殺し屋』と朱良治がいがみ合う理由はなくなる。大々的に「実は灰田さんは生きていた!」と教えることになってしまうけれど。

 それでも、背に腹は代えられなかった。

「そこで全部をぶちまけることを決めた俺たちは、二手に分かれることにしたんだ。ジョーカーさんには、時間稼ぎをお願いした。俺が間に合うまで、何とか惨事が起きないようにね。一方、俺は、急いでこの街を後にした。……灰田さんをこの街に連れて行くために」

 丸々一晩使って、灰田さんを拾いこの街まで戻ってきた俺は、そのまま、この廃工場に直行した。そして裏口に回り、ジョーカーさんからもらった情報を基に、井上悠子と再会した。

 そこからは知っての通りだ。

 井上悠子と灰田さんを文字通り以上の生き証人として、全てぶちまけてしまった。『殺さない殺し屋』の信条について、実は俺が生きていたことについて、実は灰田さんが生きていることについて。

「だから、もう君たちが戦う必要はないんだよ。朱良治に密着する必要もないし、ジョーカーさんを羽交い締めにする必要もない。……放してあげてよ。ジョーカーさんのこと」

 彼を羽交い締めにしたままの大男は、状況が読めないようで、助けを求めるように朱良治の方を向いた。けれど朱良治は口を開こうとせず、困った様子の大男は、恐る恐る羽交い締めを解いた。

 同じように、井上奈々も俺の言葉に従って、朱良治の側から離れる。それを、朱良治が邪魔することもなく、彼女は姉の近くまで歩き終えた。

 全てが終わった後で、ようやく朱良治は静寂を破った。

 真っ直ぐに俺のことを見据えて、こう尋ねた。

「結局、『タイターン』を潰した少年・セツの遺品って、何なんだ?」

「それも、もう分かってるんじゃないの?」

「あぁ、思い当たることはある。でも……」

 煮え切らない態度の朱良治。

 そんな彼には応えず、俺は、俯いてポケットの中をまさぐる。ひんやりとした金属の感触に行き当たると、それを掴んで取り出した。

 取り出したのは、金属製の鍵だった。ストラップもデコレーションもついていないからか、味気なさを覚える。持ち手の部分には会社の名前が刻まれていた。

 その鍵に反応を示すのは、二人だ。

 ハクと朱良治。

 実物を見たことのある二人だけが、俺の手にある鍵に興味を示した。ハクは目を見開き、朱良治は目を細めて。

「それって、セツの遺品につながる鍵なんじゃ……」

 確認するように言ったのは、ハクの方だった。

 俺は、一度だけその鍵を強く握りしめると、山なりで朱良治を目掛けて放り投げた。こんなものに、争ってまで手に入る価値なんてないのに、そう呟きながら。

 反射的に、彼は鍵を掴み取る。

「それは、アパートの合鍵だよ。……この街の外れにあるアパートの。灰田さん、そこに引っ越すんだ」

 手の中に収まった鍵を、そっと見つめていた朱良治は、俺の言葉を聞いて顔を上げる。

 その瞳には確信の色が映り込む。

「……ってことは、やっぱり?」

 そんな言葉に応える、というよりは、この三年間に別れを告げるように口を開く。

 ジョーカーさんや井上悠子を変え、『タイターン』を風化させた三年間は、平等に俺や灰田さんにも降りかかった。彼女は三年もの間、友人と会うことができなかったし、俺は『殺さない殺し屋』の二人と再会できないでいた。

 でも、それももう終わるのだ。

 永遠のように長かった三年に幕を降ろすために、息を吸う。そして、口を開く。

「俺の遺品は、つまり灰田さんのことだよ」

 その言葉は、静かに、この吹き抜けに響き渡った。

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