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エピローグ


     エピローグ・1(ハク視点)


 2014/4/5──一ヶ月後


  夜に蠢く。

 深夜、寝静まった街の裏道を通って、目的地を目指す。

 本来なら、ベッドにくるまってテレビを見ていたであろうこの時間、どうしてこんなことになっているのか。それを話すには、数時間前まで遡る必要があった。


 きっかけは、今朝かかってきた、一本の電話だ。

 十時過ぎにブランチのトーストを頬張っていると、携帯が震えだしたのだ。ディスプレイに表示された通話相手は、クロさんだった。

「もしもし」

『もしもし、ハク? 悪いね、突然。ちょっと、緊急の依頼が入ったんだ』

「緊急の依頼、っすか?」

 オレたちは『殺さない殺し屋』だ。恐らく世界で唯一、人を殺さないことを信条にしている殺し屋。その都合上、普通の殺し屋の数倍、入念な準備が必要になる。

 そんなオレたちに緊急依頼とは、一体どういうことだろう。

『ここ最近、この街に通り魔が出没しているのは、知ってるよね?』

「はい、知ってます」

『その男を殺して欲しい、って依頼が来たんだ』

 クロさんの言う通り魔とは、多分、ここのところ夜のニュースを騒がせている男のことだろう。

 夕方から深夜にかけてこの街に出没し、無差別に通行人へ斬りかかるという通り魔。その被害は既に片手で数えられる範疇を超えているらしい。そろそろ新学期の小中高も、そのせいで始業式の延期が検討されているのだとか。

「……クロさん、その依頼を受けたんですか?」

 通り魔を殺すことは、『殺さない殺し屋』の専門と畑違いのように思えた。

 殺されて当然の人間を断罪するのは、警察に任せておけばいいのだ。

 オレたちの専門は、殺されるべきでないのに殺し屋に命を狙われた人を、死んだように見せかけて助けることだったから。

『そうだね。でも、これにはちょっと事情があるんだ。テレビのニュースじゃ放送されていない話なんだけどね。……実は、その男、『タイターン』の残党を名乗っていたらしいんだよ』

「『タイターン』!? またですか……」

『それで、一ヶ月前のこともあるから、とりあえず依頼を受けることにしたんだよ。とはいえ、私には別の仕事をやらなきゃいけないから。できれば──』

 そう告げるクロさんの声からは、ひしひしと任務を引き受けて欲しそうな感じが伝わってきた。

 それに思わず苦笑を浮かべながら、はっきりとこう言う。

「分かりました。通り魔の件については、オレに任せてください」

 なんたって、『殺さない殺し屋』は慢性的な人員不足に苛まれているのだ。オレとクロさんの二人しかいない組織だ。

 だから、オレばかりが遊んでいる訳にもいかない。

 すぐにクロさんとの通話を切ると、トーストの最後一切れを頬張って、出かける支度を整えた。『タイターン』絡みの問題となれば、向かいたい場所があったのだ。

 つい先程までクロさんと通話していた携帯電話を手に持つと、今度は別の場所にかける。コール音が数度鳴ってから出た彼は、これからの訪問を許してくれた。


 そして五時間後。今からおよそ八時間前。

 オレが歩いていたのは、この街で最も治安が悪い一角だった。背の高いビルに挟まれて出来た道には隙間風が吹き荒び、道中に捨てられた生ゴミやらガムなんかが行く手を阻む。相変わらず、歩きにくいことこの上ない道だ。

 何とかそこを通って、とある雑居ビルにたどり着いた。

 作られた当初こそ真っ白だったであろう外装は鼠色に煤け、少し大きな地震が来ただけであっさり折れてしまいそうな雑居ビルだ。その門をくぐる。中に入ってもその雰囲気は変わらないまま、いやに遅いエレベーターを使って四階まで上った。

 その先に、目的地があったのだ。

「すいませーん。ジョーカーさん、居ませんか? ハクです。電話した通り、来ました」

 『相葉探偵事務所』とシールが貼られた扉を開けると同時に、大声でそう叫ぶ。

 すると、奥からバタバタと物音がして、やがていつも通り軽装に金髪、サングラス姿の相葉朋久──ジョーカーさんが姿を現した。

「やぁ、ハク。数日ぶりだね。今日は一体、どうしたんだい?」

「こんにちは、ジョーカーさん。……その、ちょっと聞きたいことがあったんです」

 そう言うと、彼はニヤリと微笑んだ。サングラスのせいで、完全に表情を読み取ることはできないけど、何やらオレの用件を理解していそうな素振りだ。

 そんな印象を抱いていると、案の定、彼はこう告げる。

「ハクの用件は、何となく見当がついてるよ。ここ最近、街に出没している通り魔のことだよね?」

「……な、何で分かったんですか?」

「こっちにも話が回ってきたからだよ。通り魔を捕まえて欲しい、って」

 なるほど、合点がいった。

 そういえば、ジョーカーさんは探偵になったのだった。確かに、探偵へ「通り魔確保」の依頼をするのは、至って普通のことだろう。少なくとも、殺し屋へ「通り魔殺害」の依頼をするよりは。

 ということは、ジョーカーさんも、通り魔の男が『タイターン』の残党を名乗っていると知っているのだろうか。

 そんなオレの心を読むように、彼は口を開いた。

「君が通り魔の情報を集めるために、ここに来たということは、僕の話を聞きに来たわけじゃないよね? 君が話を聞きたそうな二人なら、この奥にいるよ」

 そう言って、彼は探偵事務所の奥の方を指差す。

 その口ぶりからいって、やはりジョーカーさんも、通り魔の男が『タイターン』の残党を名乗っているという情報を持っているのだろう。だからこそ、あの二人の居場所を教えてくれた。

 まさしく、オレが聞きたいのは、その二人の話だった。

 ライターを取り出してタバコに火をつけ始めたジョーカーさんに、軽く感謝の言葉を述べてから、探偵事務所の奥の方へ足を進める。

 先程までいた応接間から一枚ドアを隔てた先は、どうやら休憩室のようだった。真ん中に背の低いテーブルと二つのソファーが並んでいて、隅っこには簡易的なキッチンが備わっている。

 そして、目的の二人は、そのソファーに座っていた。

 肩までかかるセミロングの銀髪、しっかりした目鼻、と美人と形容するのにぴったりな女性。そして、赤いレザーコートに、眼鏡、鋭い目付き、と怖そうな印象の男性。

 灰田さんと朱良治だ。

 そうだ。今からちょうど一ヶ月前、この街へ戻ってきた灰田さんは、それからジョーカーさんの下で働くようになったのだ。助手として。

 そして、後を追うように、朱良治も相葉探偵事務所で働くようになった。

「こんにちは、灰田さん。朱良治」

 お茶を飲みながら休憩している二人に、話しかける。

「ハク、こんにちは」

「……おい。何で俺だけ呼び捨てなんだよ」

 文句を垂れる朱良治は、もちろん無視。

「灰田さん。それから、ついでに朱良治。……今、この街を騒がせている通り魔のことは、知ってるっすか?」

「うん。もちろん、知ってるよ」

「……おい、無視すんじゃねぇよ。殺し屋」

「その通り魔が、『タイターン』の残党を名乗っていることも?」

「そうだね、それも知ってる」

「……おい」

 灰田さんも朱良治も、元々は『タイターン』のトップだった二人だ。灰田さんは『タイターン』の元総長で、朱良治は元副総長。

 『タイターン』のことなら、誰よりも詳しい。

 だから、通り魔が『タイターン』の残党だと名乗っている以上、情報を集めるならここしかないと踏んだのだ。

 けれど。

「ここまで来てもらって悪いけど、ハク。私たちは『タイターン』の元メンバーが、今どういう状況なのか、把握してないんだ。ね? 良治」

「そうですね。……通り魔の顔写真でもあれば、そいつが『タイターン』に所属していたかは分かる。けど、何もないところからじゃ、ちょっと無理だな」

 二人から帰ってきた返事は、決して色良いものではなかった。

 確かに、ちょっと考えてみれば分かることだった。

 灰田さんは三年間姿を眩ませていて、連絡を取れる状況になかったのだし、朱良治が『タイターン』解散後に、元メンバーと連絡を取り合うとも思えない。

 この二人が『タイターン』の元メンバーのその後を、知っているはずないのだ。そんな簡単なことを、失念していた。

 しかし、これで手がかりは消えてしまったのか。

 それなら、これからどうしたものか。

 なんて、そんなことを考えていると、突然、朱良治から声がかかる。

「おい、殺し屋。『タイターン』の元メンバーの行方なら、もしかするとイチローが知ってるかもしれねぇぞ」

「……イチロー?」

「高崎一郎のことだ。一ヶ月前、廃工場で、ジョーカーさんを羽交い締めにしてた大男。覚えてないか?」

 そう言われて、一ヶ月前のことを思い出す。

 確かに、そういえば、筋骨隆々でガタイの良さは抜群、身長も優に二メートルを超えていそうな大男がいたような気がする。あの時のインパクトが、かすかに蘇る。

「あいつ、気が小さくて無能な割に、情報収集だけは得意だったからな。通り魔になった元『タイターン』メンバーがいるのなら、そいつのことも知ってるかもしんねぇ。……確か、あいつの連絡先は──」

 そう言って、朱良治は近くにあったメモ用紙をちぎると、ペンを走らせていく。高崎一郎の連絡先と思わしきものが、刻まれていく。

 その姿に、思わずオレは目を丸めてしまった。つい一ヶ月前、銃を突きつけあったはずの朱良治がここまでしてくれるとは、予想だにしていなかったのだ。

「ほらよ」と言って、ついには、高崎一郎の連絡先が書かれたメモが手渡された。

「ありがとうございます、朱良治さん」

 反射的に、そう口走っていた。

 数秒経ってから、自分が何を言ったのか気づく。まさか、自分の口から「朱良治さん」なんて言葉が出てくるとは。

 一瞬ぽかんとした朱良治は、すぐに、面白いものを見たぞと、ニヤついてこっちを見据えてきた。

 思わず、その視線に気まずさを感じる。

 やがて、気まずさはいたたまれなさに変わり、オレはその場から逃げ出したくなってきた。

 どうせ、ここでの用件は済んだのだし、ぱぱっと礼だけ言って、帰ってしまおう。そう思って、「ありがとうございました」を口にしようとした時だった。

 それまで静かにしていた灰田さんが、突然、口を開いた。

 その瞳は、真っ直ぐにオレを見据えている。

「……ところで、ハク。セツは今、どうかな? 元気?」

 わずかに震えたその声。

 まるで何かを心配するようなその素振り。

  その問いに、オレは少しだけ困ってしまった。何と返事すればいいのか、分からなかったのだ。

 精一杯考えて、何とか返事を捻り出す。

「それは、分かりません。灰田さんも知っての通り、オレやクロさんも、セツが今どこに居るのか知らないっすから。……でも、週に一度届く手紙によると、まぁ元気にやってるみたいですよ」

 捻り出した返事は、そんなのだった。

 本当はオレだって、セツなら元気にやってますよ、と喜色満面に言ってやりたかった。でも、そんな選択肢、残されていなかったのだ。

 セツが今元気なのか知りたいのは、オレも一緒だ。

 灰田さんは静かに、「そっか」とだけ呟く。それから、「それじゃ仕方ないね」とも。

 そしてそれからは、セツがいた頃の話で盛り上がった。主にあいつの悪口で。そのせいで、あのマフラーにキャップ姿の少年が、瞼の裏に浮かび上がってしまう。

 そんな話にも一段落がつくと、タイミングを見計らい、昔話を切り上げた。

「それじゃ、失礼しますね。慣れないと思いますが、探偵業、頑張ってください」

 そう言って、ついにその休憩室を背にする。

「ありがと。それじゃ、またね。ハク」

「もう来んなよ、殺し屋」

 そんな言葉と共に、灰田さんは笑顔で、朱良治は仏頂面で、オレの後ろ姿を見送ってくれた。


 その後は、一度『殺さない殺し屋』の事務所に戻り、別の任務に取り組んだり、デスクワークを片付けたりして過ごした。

 朱良治に教えてもらった高崎一郎とは、早速、今夜の十一時に会う約束を取り付けていた。それまでの時間を潰す必要があったのだ。

 意外にも暇潰しの作業に身が入り、七時間はあっという間に過ぎる。時刻はいよいよ十一時に迫ろうとしていた。コートを羽織ると、意気揚々と夜の寝静まった街へ繰り出した。

 高崎一郎の家を目指し、物音一つしない裏道を進み。

 そして、今に至る。


 夜に蠢く。

 深夜、寝静まった街の裏道を通って、目的地を目指す。

 やがて行き着いたのは、何の変哲もないアパートだった。外装は、ところどころ錆びてきているようだが、目に付く程じゃない。鉄筋の螺旋階段も、頑丈で全く軋まない。

 三階まで上ると、目の前に現れた部屋のチャイムを鳴らす。

 すぐに、インターホンから「ちょっと待ってて下さぁーい」と、女性の声が聞こえてきた。

 女性? まさか高崎一郎が女なはずはないし、部屋も、指定された場所と間違えてはいないはずだ。それなら、彼のガールフレンドだろうか。

 そんな当たりをつけて、彼女が玄関のドアを開けるのを待った。

 そして、数十秒。

「すみません、待たせちゃって」

 そんな言葉と一緒に、ドアが開かれる。

 ドア越しに現れた、エプロン姿で玄関に立つ彼女を見て、瞬間、思考が停止した。何も考えられないまま、ただ衝撃が頭を駆け抜ける。

「は?」

 数秒経って、ようやく出てきたのは、たったそれだけだった。

 それも仕方がない。

 若干カールされた金髪、ピアス、ネックレス。その反面、ミトンを右手にエプロン姿。チャラついたギャルなのか、家庭的な主婦なのか、いまいち分かりづらい。

 その彼女の正体は、五年前、『殺さない殺し屋』が助けたあの女性だったのだ。

……井上悠子。

 どうして、井上悠子がここにいるんだ?

「とりあえず、ハクさん。外は寒いでしょうから、上がっちゃってください」

 呆けて動かないオレを見つめて、彼女はただそう言った。


 中に通されると、既に、高崎一郎はテーブルに着いていた。

 オレも、ちょうど彼の対面に座る。

「久しぶりです。一ヶ月前ぶりですよね?」

「うん。……確か君は、ジョーカーさんを羽交い締めにしてた、あの大男だよね?」

「……ハハ。その節は、どうも」

 彼は後頭部を掻きながら、そう言った。

 オレは、そんな大男を見つめながら、何の話から始めようか悩む。少し時間をかけてから、より気になる方を、先に尋ねることにした。

「ところで、どうして悠子さんがこの部屋の中にいるのかな? イチローと悠子さんは、どういう関係?」

 訝しむような視線で見つめると、彼はあっさりと答えた。

「恋人ですよ。付き合ってるんです」

「……それだけ?」

「はい。それだけです」

 思わず、拍子抜けしそうになる。

 『タイターン』の元メンバーと、朱良治が攫った井上奈々の姉が、偶然付き合っていた? そんな偶然があるのか?

 そう思って、訝しむような目つきを続けていると、彼はもう一度口を開いた。

「悠子と付き合い始めたのは、彼女が井上奈々の姉だったからです。……一ヶ月前、良治さんと俺が井上奈々を攫ったのは、知ってますよね? だから、誰かが井上奈々の行方を探り、悠子に接触して来るだろうと踏んで、彼女に交際を申し込んだんです」

「ん? つまり、君と悠子さんは偽の恋人関係ってこと?」

 やっぱり、そんな偶然ないらしい。

 高崎一郎が交際を申し込んだのは、実に打算的な考えがあってのことのようだ。

……ん? でもそれなら、未だに一緒に住んでいる必要ないんじゃないか? 何たって、一ヶ月前に騒動は全て収まっているのだ。

 そうやって疑問に思っていると、大男はその首を大げさに横へ振った。

「いいえ。きっかけはそんなでしたけど、気持ちが変わったんです。動いた、というか。……偽の恋人関係を続けているうちに、俺、本当に悠子のことが好きなってきて。それで──」

「なるほど。それで、今も一緒に暮らしてるってわけか」

「えぇ、そういうわけです」

 彼の説明で、得心がいった。

 初めは、高崎一郎宅から井上悠子が出てきて混乱したけれど、落ち着いて考えてみれば、筋骨隆々とした大男とチャラついたギャルだ。お似合いの二人なのだろう。

 台所に目をやると、当の井上悠子は、エプロン姿で晩御飯の皿洗いをしていた。

 確かに、五年前、彼女へ「もっと色んな恋をした方がいい」とは言ったけれど、まさかこんな大男と付き合うようになるとは。

 まぁ、そういう事情なら井上悠子がここにいるのも理解できた。納得のいく事情だ。

 それなら、本題に入ろう。

 そう決めて、顔に無表情を貼り付けた。

「それより、イチロー。君、『タイターン』の元メンバーの行方って、知ってる?」

「元『タイターン』メンバーの行方、ですか?」

「うん。どう?」

「えぇ、まぁ。それなりには……」

 突然、話が変わり、彼は話の流れを掴もうと神妙な面持ちを作る。そのまま、恐る恐る頷いた。

 そんな顔に、オレは、真っ直ぐ本題を叩き込む。

「それなら、通り魔になった元メンバーが居るかって、分かったりする?」

「と、通り魔?」

 大男は、素っ頓狂な声をあげて、言葉を繰り返した。

 その姿に、違和感を覚える。元々不良グループのメンバーだったくせに、そこまで驚くことか? と。それからすぐに、不良グループに所属していたからこそ、こんなに驚くのかもしれない、と思い直した。

 人の不幸で甘い蜜を啜るオレたち裏の人間にとっては、理由のない殺しこそが、最も忌むべきものだったから。

 大男は、右手を顎に当て、考える素振りを見せる。

「……もしかして、最近ニュースで取り上げられてる、あの通り魔と関係が?」

「まあね。実は、噂によるとその通り魔は、『タイターン』の残党を自称してるみたいなんだよ」

「『タイターン』……。なるほど、それで元メンバーの行方、ですか」

「うん、そう」

 彼は、ぽりぽりと後頭部を掻きながら、記憶を辿っているみたいだった。

 随分長い間、そうしたまま、動きを止めている。

 オレからすれば、通り魔になりそうな人物なんて、すぐに絞り込めそうに思えるけど、そんなことないのだろうか?

 ついに二、三分が経って、ようやく彼は答えを出したようだった。

「すいません。俺が知ってる限りでは、元メンバーが通り魔になったなんて情報はおろか、なりそうという話すら聞いてなくて……。すいません」

 高崎一郎は、頭を下げてそう言った。

「そっか。なら、仕方がないな。……通り魔が『タイターン』の残党を名乗っているだけの、無関係な一般人って可能性もあるしね」

 口先だけでそう言う。

 それから、聞きたいことは全て聞き終えたので、雑談も程々にして帰ることにした。感謝の言葉と一礼だけを残して、高崎一郎たちのアパートを後にする。行きの時よりもずっと深まった夜の中、夜風に体を震わせながら帰り道を歩いていく。

 裏道だからか、街灯の一本もなく先がよく見えなかった。見通しが悪い。視界不良。まるで、もう通り魔につながる手がかりのない、今のオレを暗示しているようだった。

 そうだ。灰田さんも朱良治も、高崎一郎すら知らないとなると、『タイターン』の知り合いはもういない。頼れるものは、もうなくなったのだ。

 その事実が、ゆっくりと脳を蝕んでいった。

 三年前の灰田さんも、こんな気持ちだったのだろうか? 『殺さない殺し屋』に断れられ、ジョーカーさんもまともに話を聞いてくれず、最後にセツを頼った灰田さんも。

 でも、オレと灰田さんでは根本が違う。

 三年前の灰田さんと違って、オレにはセツを頼ることができないのだ。

 セツは一ヶ月前のあの日、『殺さない殺し屋』を正式に抜けてしまったのだから。殺し屋ではなく、普通の高校生になりたいのだと言い残して。

 きっと、節々に幼さを残すあの青年は、既にこの街を抜けたに違いなかった。

 セツの居場所を知る者は、もう誰もいない。


     エピローグ・2(ハク視点)


  2014/4/9──四日後


 その日の朝、目が覚めたのは六時だった。

 久しぶりに早起きしたので、散歩でもしようかと考えながら、トーストの上のバターを伸ばしていた。テレビの中では、お天気キャスターが今日の天気を予報する。

 あれから、四日が経っていた。

 結局、『タイターン』経由で通り魔の正体を掴むことはできず、オレはいつも通りの地道な調査に入った。それでも通り魔の居場所はおろか、その正体すら分からないまま。

 まだ、例の通り魔は捕まっていない。

「……よし、今日こそ手がかりを」

 そうやって、始まりそうだったマイナス思考を、無理矢理打ち消す。気合いを入れ直す。

 そのまま、最後の一切れを口に運ぼうとした時だった。

 朝のニュースを伝えていた報道番組の様子に異変が起こった。

 テレビスタッフが、生放送中だと言うのに、女性アナウンサーに近づいていったのだ。その間マイクは、誰かの走る音や、テレビスタッフたちのざわめき声を拾っていた。アナウンサーは『少々、お待ちください』と告げてから、スタッフから何かの資料を受け取る。

 そして、その資料に目を通した彼女は、明らかに顔色を変えた。

 そのまま、こう言う。

『今ここで、速報が届きましたのでお伝えします。……昨晩午後十時五十二分、●●街の民家で、身元不明の遺体が発見されました。遺体には数カ所の切り傷があり、これらが直接的な死因として推定されています。……また、警察はこの遺体があった状況などから、この遺体が、この頃出没していた通り魔のものであるとして、調査を進めている模様です』

 思わず、バタートーストの最後の一切れを落としてしまう。

……いや、だって、そんな。

 通り魔が何者かに殺された。それだけならまだいい。通り魔なんてやっているのだから、誰かの恨みを買って、人知れず殺されることもあるだろう。

 でも。

 身元不明の遺体? 状況などから、通り魔の遺体だと判断?

 それだと、まるで『殺さない殺し屋』の手口と一緒じゃないか。全く別の死体を標的の死体と偽って、死を偽装する『殺さない殺し屋』の手口と。

 そんな回らない頭で、まずオレがしたことは、落ちた一切れを拾って食べることだった。


     ▲


 通り魔を殺した(あるいは、通り魔の死を偽装した)のは誰か。

 やはり、真っ先に思い浮かぶのは、あのマフラーにキャップ姿の青年だった。──セツ。

 だってセツは、元々『殺さない殺し屋』の一味だったのだ。『殺さない殺し屋』の手口を真似て死を偽装することなんて朝飯前だし、三年前に一度、灰田さんで披露している。

 もしもセツだとするなら、彼は今もこの街にいるということだろうか?

 彼は『殺さない殺し屋』から抜ける時に、殺し屋ではなくて普通の高校生なりたいのだと言っていた。そして、この街にも普通の高校生はたくさんいる。

 そんな風に思考を展開していて、ふと気づくことがあった。

 それは、一ヶ月間の話だ。あの日、セツは廃工場に突然現れて、見事騒動を収めてしまった。

 でも、一体セツは、どうやって騒動が廃工場で起こっていると、知ったのだろう? 確か、彼はこう言っていた。

『朱良治に宛てた手紙が、ハクの手に渡り、面倒な事態が起き始めていると気づいた俺は、とりあえず、ジョーカーさんに連絡を取った』

 ジョーカーさんに教えてもらったわけではなく、自分で気づいたのだ、と。

 この街に居ずして、オレたちの動向が分かるはずない。ジョーカーさんから情報をもらったならまだしも、自力では無理だ。

 それなら、やっぱりセツはこの街にいるのだろう。三年前から今に至るまで、ずっと。

 どころか、オレたちの近くにいるはずだ。少なくとも、オレが朱良治から手紙を盗んだことを把握できるくらいには。

……ダメだ。

 後一歩で、何かにたどり着きそうなのに、わずかに手が届かない。

 もどかしさが脳の大部分を占有する。

 気持ち悪さが胸に溜まる。

 鼓動が高鳴る。

 そうやって逸る気持ちを落ち着けようと、大きく深呼吸した。

「スゥー、ハァー」と。

 それから、やっぱり当初の予定通り、散歩することにした。体を動かせば考えがまとまるかもしれないし、あてもなく歩きたい気もしたから。

 家を出てすぐ、道を埋め尽くす学生の数に驚いた。

 そういえば、そうか。もう始業式シーズンか。

 休み明けの学校で、戦場に行く兵士のような顔をしている学生たちを、人知れず応援しながら裏道に入った。歩きながら、考えをまとめる。

 結局、通り魔を殺したのは、本当にセツなのだろうか。

 確信は持てないものの、その可能性は随分高いように思えた。そして、もしそうだとしたら、セツはきっと、この街で普通の高校生をやっているのだろう。さっきの学生のように。

 ただ、そこから先が、どうしてもつながらなかった。まるで、ほとんど出来上がったジグソーパズルの、最後の一ピースをなくしてしまったかのように。

 そんな時だ。

「ばーか。忘れ物なんて、先生に謝ればいいでしょ」

「でも、謝ったところで、怒られるだろ? 頼むって、聡」

「僕じゃなくて、奈々に頼んだら?」

「……奈々ぁ」

「仕方ないな、もう。龍一って、時々アタシのお姉ちゃんみたいだよね」

「どういう意味?」

「抜けてるって意味だよ」

 裏道の先に、そんなやり取りを交わす三人組の高校生が見えたのだ。

 一ヶ月前の騒動に巻き込まれた、あの三人組。

 朱良治に誘拐された井上奈々と、ジョーカーさんに彼女の捜索依頼を出した三上龍一、それから俺たちと協力して井上奈々を救出しようとした由良聡。その三人組。

 そういえば、彼らもこの街に住む普通の高校生だったな。冗談交じりにそう考えて、思いがけず突拍子もない考えが頭に浮かんだ。誰もが鼻で笑いそうな、馬鹿げた考えだ。

 オレも、まさかね、と鼻で笑おうとして、瞬間的に凍りついた。じりっと、髪の毛の先が焦げ付くような感覚に襲われる。

「まさか……」

 それは、やはり突拍子がなくて馬鹿げた考えのはずだ。だというのに、思いついた瞬間から、パズルの最後の一ピースがぴったり埋まった、そんな感覚が頭を離れない。

 考えれば考えるほど、その考えを裏付ける状況が、頭に蘇った。

 例えば、殺し屋であるクロさんの尾行が、素人のはずの彼にバレたこととか。

 例えば、灰田さんの死を偽装するために使われたセツの刀傷が、どういうわけか彼の腕にもついていたこととか。

 例えば、彼が予定を開けようとしていた三月四日が、ジョーカーさんとセツの話し合いの日だったこととか。

 例えば、彼が持っていたはずの鍵を、どういうわけかセツが持っていたこととか。

 それらが鮮明に脳裏に浮かんだ。

 そして、何より。……初めて彼と会った日、二月二十五日。

 あの日オレは、彼がクロさんの変装した姿だと勘違いして、大事な鍵を渡してしまった。けれどそれは、必ずしもオレの過失とは言えなかった。

 だってオレは、確かに合言葉を使ったのだ。『殺さない殺し屋』しか知らないはずの。

──そうだ、『殺さない殺し屋』しか知らないはずの合言葉を。

 普通に考えて、おかしいだろ。

 偶然、合言葉の正しい答えが返ってくるなんて。


 もしかして、由良聡はセツなんじゃないか?


 頭を過ぎったのは、そんな馬鹿げた考えだった。けれどもう、オレにはそれが、ただの馬鹿げた考えには思えなくなっていた。

 何とかして、由良聡がセツかどうか、それとなく確認する方法はないだろうか。

 そんなことを考えていたオレの下に、ついに高校生三人組がやってきた。

「おはようございます、ハクさん。お久しぶりです。こんなところで何してるんですか?」

 三人を代表して、オレと面識のある由良聡がそう言った。

「散歩だよ。おはよう、聡。……そっちこそ、こんなところで何してるの?」

「見れば分かる通り、学校に行くところです」

「こんな裏道が、通学路なの?」

「いえ。でも、こっちの方が早いんですよ」

 それから由良聡は、「それじゃ失礼します」とだけ言い残して、二人を連れてまた歩き始めてしまった。

 制服の後ろ姿が三つ、段々と小さくなっていく。

 きっと、その後ろ姿は、何でもない日常につながっているのだろう。ふと、そう思った。

 オレやクロさんが諦め、セツが欲しがった、何でもない日常。人殺しはおろか、暴力も盗みもない、至って平坦な日常。

 そんな日常に目を細めながら、後ろ姿の一つに声をかけた。

「ねぇ、聡」

 すると、真ん中を歩いていた後ろ姿が、歩みを止める。他の二人に何かを言ってから、回れ右して、オレの下まで駆け寄ってきた。

「どうかしましたか? ハクさん」

「登校中に悪いな、聡。一つだけ聞きたいことがあったんだ。……もしも、──もしも野良猫が道端で倒れていたなら、オレはどうすればいいと思う?」

 ゆっくりと、丁寧に、一言一言を紡ぐ。

……それは、どうしても気になっていた質問だった。

 多分、三年前からずっと。

「え? 野良猫?」

 セツは、怪訝そうな顔をして、その質問に首を傾げる。

 その反応に、半分だけ落胆して、半分だけほっとした。そんな気持ちのまま、訂正する。

「いや、やっぱり何でもないや。悪かったね、呼び止めて」

 そう告げると、聡は「そうですか……」とやはり怪訝そうな顔をしたまま頷いた。それから彼は、「それなら、僕は失礼します」と神妙そうな面持ちで、別れを告げる。

 荷物を全て右腕で抱え、二人のところまで走っていく。

 みるみるその後ろ姿が小さくなっていく。

 そして、ようやく二人の近くまでたどり着いたところで、彼は、はたとこちらを振り向いた。その表情は、遠くてよく見えない。無表情のようにも見える。悪役チックな笑みを貼り付けているようにも見える。

「でもね、ハクさん。やっぱり僕は、道端で倒れている野良猫は、そのまま放っといた方がいいと思うんですよ。だって、その猫は野良猫なんですから」

 そして、風に流れ、そんな声が聞こえてくる。

 オレは、思わず笑ってしまった。

 それほどに、その答えはいかしていた。

 気分が上がる。

 そんな気分のまま、オレはステップを踏んで歩き始めた。この裏道を。決して何でもない日常つながることはない、オレの道を。

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